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旧東関部屋に移転した二子山部屋が始動「地元の方と交流していきたい」

寅さんの街に相撲部屋が残った-。3月いっぱいで部屋が閉鎖された東京・柴又にある旧東関部屋に、埼玉・所沢に部屋を構えていた二子山部屋が移転し、1日から始動した。

この日の朝稽古は午前7時半から約3時間。稽古後に電話取材に応じた二子山親方(43=元大関雅山)は「所沢で頑張ってきたものを発揮して、これからみんなで、さらに頑張るぞ、というのを感じられるいい稽古内容でした。関取を狙うのもいるし、同世代はそれに置いていかれないように頑張っていました。新しい部屋になって、さらにその相乗効果が出ていた気がしました」と語った。

所沢の部屋で飾っていた、現役時代の師匠だった先代武蔵川親方(元横綱三重ノ海)のA3サイズほどの写真も玄関に飾り「新たに大きな写真をいただいたので、それを稽古場に飾っている」という。またベンチプレスの器具も所沢から持ち運ぶなど、前の部屋から培われたものを引き継いでいる。

地元・柴又との交流についても言及。「コロナが落ちついたら、地元の方と交流していきたいですね。稽古見学もしてもらいたい。僕のツイッターにも(情報を)載せるので」と、コロナ収束後の日常生活が戻った際には、稽古場見学を歓迎する気持ちを口にした。

東関部屋は2代目師匠の先代東関親方(元前頭潮丸)が、初代師匠(元関脇高見山)が開設した東京都墨田区東駒形から、18年1月に葛飾区柴又へ移転。だが先代は翌19年12月に死去し、現東関親方(元小結高見盛)が部屋を継いだが、精神的負担の重さから難色を示し、1年で部屋は閉鎖。東関部屋の力士は同じ高砂一門の八角部屋へ転籍し、柴又の部屋は空き状態だった。先代東関親方の遺族や土地を有償で貸し出す葛飾区との話し合いが続き、二子山部屋が移転することが決まり、この日、門出を迎えることになった。

部屋は、葛飾区が観光戦略など地域活性化を狙って相撲部屋を誘致。約150坪の区有地を、有償で借し出して建てられた。完成から3年あまりとリフォームも必要ない築浅で2階建て。先代(故人)の「ケガした力士でも2階に上がらないで済むように、力士の生活が1階だけで全部できるようにした」という弟子への愛情から、稽古場や風呂場、ちゃんこ場がある1階に大広間も作った。2階にも20畳ほどの部屋と関取用の個室2部屋を用意。両国国技館にも公共交通機関で30分ほどと利便性もあり、相撲部屋として申し分ない立地にある。

徒歩10分ほどの所には、寅さんシリーズとなった映画「男はつらいよ」の舞台となった、東京の観光名所・帝釈天もあり、葛飾区としては観光など地域活性化の期待もかけている。

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隠岐の海、響龍さん死去受け「一生懸命にやるだけ、それが最大限の予防」

大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)で西前頭12枚目に就いた隠岐の海(35=八角)が1日、昨年春場所以来となる無観客開催の場所に向けて気持ちを高めた。

都内の部屋での稽古後、報道陣の電話取材に応じ「(無観客は)そんなに嫌じゃない。逆にお客さんが入ってもシーンとしている方が緊張しますよ。自分結構土俵に上がるとむせるタイプなので、せき払いとかしづらいなあとか無観客の時はありましたけど、意外と稽古場みたいで自分は嫌いじゃないですけどね」と話した。

昨年秋場所から4場所連続で負け越しており、「やっぱり体が硬いですよ。小さなけがをかばっていると思いますし、その積み重ねが良くないのかもしれない」と不調の原因を分析する。7月には36歳の誕生日を迎えるベテラン。「もうひと花、もうひと花と思いながらやっているけどね。もうひと花と言いながら5年も10年もたっている」と笑った。

春場所後に旧東関部屋の力士が八角部屋に転属したため、計30人という大所帯となった。「いい雰囲気ですよ。東関部屋の魂もですね、(19年12月に41歳で死去した)前親方の潮丸関の気持ちを引き継いで一生懸命やってほしいですよね」と期待を寄せた。

悲しいニュースもあった。先月28日に境川部屋の三段目力士、響龍(ひびきりゅう)の天野光稀(あまの・みつき)さんが急性呼吸不全のため東京都内の病院で死去。響龍さんは春場所13日目の取組で、すくい投げを食った際に頭部を強打し、自力で立ち上がることができず都内の病院に救急搬送され、入院先で寝たきりの状態が続いていた。「つらいと思いますよ。対戦相手の子も。何もないと思ったって感じることがあるだろうし、自分らだってきついから」。

土俵に頭を打つなどの衝撃で電気が走り、腕が上がらなくなるなどのアクシデントは、力士にとって珍しくないという。「よくあることって『大丈夫、大丈夫』ってなっちゃうんですよね。やっぱり『それを乗り越えて先がある』ってなっちゃうし、顔から落ちろっていう指導もあるし。でも本当に危ないときは手を着かないといけないと思いましたよ」。自身も巡業の稽古で投げの打ち合いの結果、頭から落ちて腕のしびれが半日なくならなかったことがあるという。「紙一重なところをいっているんですよね。それを怖がって相撲にならないのもいけないですしね。こればかりは難しいですよ。だから我々は一生懸命にやるだけ。それが最大限の予防」と話した。

日本相撲協会の理事長を務める師匠の八角親方(元横綱北勝海)からは、響龍さんの死去を受けて力士に話があったという。「とにかくそれだけ危ないことをやっているんだという話はありましたね。気を引き締めてやらないとダメだ、と。改めて気を引き締めてやろうということはありましたね。それ以上、あまり言い過ぎても、かえってびびっちゃうし、頭にみんな残っていますからね、衝撃が。考えれば考えるほど怖いだろうし。一生懸命やるのが正解なんじゃないですかね」と話した。

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前頭筆頭の北勝富士、長男の初育児に奮闘 将来は「劇団四季の俳優に」

大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)で西前頭筆頭に就いた北勝富士(28=八角)が1日、都内の部屋での稽古後、報道陣の電話取材に応じた。

この日は幕下を相手に相撲を取って調整。先場所後に旧東関部屋の力士が八角部屋に転属したため、部屋は計30人という大所帯で「活気が出始めた。新しい風が入ってきた」と歓迎していた。

夏場所は緊急事態宣言下のため3日目まで無観客開催となる。「無観客の取組は得意じゃないが、気持ちのつくり方は(昨年春場所で)1回経験しているので、しっかりやっていきたい。大阪の時は図書館で相撲取ってるみたいな感じ。本当にお客さんのありがたみは感じた」。

先場所は東前頭2枚目で9勝を挙げたが、周囲の好成績もあって返り三役には届かなかった。金星獲得数7個は現役2位タイの実力者。春場所後には照ノ富士が大関に復帰し「奮い立たされますね」と刺激を受ける。

4大関撃破へ「自分も上に勝つことで、お客さんとかも喜んでくれる。北勝富士ならやってくれるんじゃないかっていう期待とかも言われたり、感じたりしているので。それをちょっと楽しみながら、期待に応えられるように頑張らないといけない」と意気込んだ。

相撲だけでなく初めての育児にも奮闘している。春場所中に第1子となる長男が誕生した。

「奥さんが一生懸命、子育てをやってくれてる。一緒にサポートしながら稽古して、トレーニングしてっていう生活が今は続いているけど、あんまりきつくなくて。親バカかもしれないけど、元気をもらえてる」

家庭では長男を風呂に入れるのが一つの役目。「お風呂はいっつも泣かせています」と苦笑い。「僕のおなかの上で寝てくれるので、かわいいですよ。かわいいっすね。でも思いますよね、子どもがかわいくなかったら、人類は繁栄してなかったっすね。大変なことが多いので。かわいいから面倒見てあげられるっすね。そう思います」とデレデレだ。

関取のDNAを継いでいるが「絶対相撲だけはやらせない。やりたいと言ってもやらせない」とキッパリ。わんぱく相撲で埼玉県を制したという小6のおいが相撲に取り組んでおり、「(相撲は)そっちに任せて、こっちはもう(鑑賞が趣味の)劇団四季の俳優にさせます。ははははは」と豪快に笑った。

一方で先月28日に境川部屋の三段目力士、響龍(ひびきりゅう)の天野光稀(あまの・みつき)さんが急性呼吸不全のため東京都内の病院で死去した。響龍さんは春場所13日目の取組で、すくい投げを食った際に頭部を強打。自力で立ち上がることができず都内の病院に救急搬送され、入院先で寝たきりの状態が続いていた。深い交流はないが自身と同い年。「常にけがと隣り合わせですけど、打ち所が悪かったら、死にもつながる。さらに気が引き締まります」と、けが予防の意識を高めた。

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八角部屋が所属力士最多に、閉鎖東関部屋から力士受け入れ/夏場所新番付

両国国技館(2021年1月10日撮影)

日本相撲協会は26日、大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)の新番付を発表した。

3月の春場所を最後に東関部屋と峰崎部屋が閉鎖されたため、部屋数は44部屋から42部屋に減少。新番付にしこ名が載った力士総数は、春場所の新弟子が多かったことから、春場所比で18人増え670人になった。部屋別、出身地別のナンバーワンはどこか…。データを紹介します。

【部屋別力士数】

長らく最多を誇った佐渡ケ嶽部屋が、1位の座を譲る格好となった。閉鎖された東関部屋から力士を受け入れた八角部屋が、春場所の24人から6人増え一気に30人となり最多となった。2位は佐渡ケ嶽部屋と九重部屋の29人。木瀬部屋と玉ノ井部屋の28人が4位タイで続く。

以下、6位境川部屋(27人)、7位高砂部屋(25人)、8位高田川部屋(22人)、9位追手風部屋(20人)と続き、ここまでが20人以上の部屋。トップ10の最後は19人の式秀部屋だ。

関取輩出では、追手風部屋(幕内5人、十両2人)、九重部屋(幕内4人、十両3人)、木瀬部屋(幕内3人、十両4人)の3部屋が7人を擁してトップ。5人の伊勢ケ浜部屋(幕内4人、十両1人)、4人の常盤山部屋(幕内2人、十両2人)がこれに続く。

力士数の最少は鏡山部屋の2人で、片男波部屋と錦戸部屋は4人の“少数精鋭”で臨んでいる。

【出身地別力士数】

ここ数年の傾向で、日本全国の人口比率に準じている順位に、ほとんど変動はない。1位は東京都の54人。以下<2>大阪府35人<3>愛知県と兵庫県が33人と、本場所開催3都府県が上位3傑に入る。以下<5>千葉県32人<6>神奈川県30人<7>埼玉県29人<8>福岡県と鹿児島県26人<10>熊本県25人と、ここまでがベスト10入り。

幾多の横綱を輩出した“相撲どころ”の北海道が22人で続く。幕内7人、十両4人とも出身地別で最多のモンゴルは20人で、ここまでが20人超え。北海道同様、やはり多くの名力士を輩出した相撲どころの青森県は春場所から2人増えて11人(18位タイ)となっている。なお47都道府県の最少は鳥取県と滋賀県の1人。福井県が3人、奈良県と和歌山県が4人となっている。

国別ではモンゴルの20人がダントツで、ブラジル、ロシア、ジョージア、ブルガリア、フィリピン、ウクライナが各1人となっている。

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二子山部屋が旧東関部屋に移転へ 一門の枠超え継承

二子山部屋

寅さんの街に相撲部屋は残ります-。

3月いっぱいで部屋が閉鎖された東京・柴又にある旧東関部屋に、埼玉・所沢に拠点を構える二子山部屋が移転することで調整が進んでいることが5日、分かった。関係者によれば、細部の条件が整えば今月中旬にも移転するという。

東関部屋は2代目師匠の先代東関親方(元前頭潮丸)が、初代師匠(元関脇高見山)が開設した東京都墨田区東駒形から、18年1月に葛飾区柴又へ移転。翌2月に部屋開きが行われた。だが先代は翌19年12月に死去。年明けの20年1月に、現在の東関親方(元小結高見盛)が部屋を継いだが、精神的負担の重さから難色を示し、1年をかけて高砂一門内で後継者探しを模索。それでも適任者が見つからず3月の春場所を最後に封鎖され、今年4月1日付で東関親方や力士は八角部屋(元横綱北勝海)に移籍した。

柴又の部屋は、葛飾区が観光戦略など地域活性化を狙って相撲部屋を誘致。区有地を50年間の有償で借し出して建てられた。完成から3年あまりとリフォームも必要ない築浅で、約150坪の広大な敷地に2階建ての建物。先代(故人)の「3階建ても考えたけど、ケガした力士でも2階に上がらないで済むように、力士の生活が1階だけで全部できるようにした」という弟子への愛情から、稽古場や風呂場、ちゃんこ場がある1階に大広間も作った。2階にも20畳ほどの部屋と関取用の個室2部屋を用意するなど環境は抜群。その部屋が閉鎖されたことを惜しむ多くの声が、角界や地元・柴又からもれていた。

後継師匠捜しが難航し、断念の方向に向かうと同時に、両国まで公共交通機関を使っても30分足らずという、絶好の環境にあるその部屋を、何とか継続使用できないかと関係者間で話し合いが進められていた。そんな中で浮上したのが二子山部屋の移転だ。二子山親方は藤島部屋から分家独立し、18年4月に所沢に部屋を創設。農地に囲まれた自然豊かな環境にあり、所沢市としても西武線沿線としても初の相撲部屋として話題となった。

ただ、最寄り駅から両国までは、電車を数本乗り継いで最速でも1時間以上かかり、力士の負担は大きかった。前日、明らかになった立浪部屋の茨城県つくばみらい市から、東京・台東区への移転同様、解禁された際の出稽古や東京場所で両国まで通う“通勤負担”の軽減など、稽古環境を整えたいという師匠としての思いがあった。

関係者によれば、先代東関親方の遺族や葛飾区との折衝が進み、詰めの交渉は最終段階に入っている。二子山親方は電話取材に、全てがクリアされたことを前提に「亡くなった(先代東関親方の)潮丸さんとは現役時代から仲が良かったので、その遺志を引き継ぎたい。今はコロナ禍で、すぐには難しいかもしれませんが、地元の方々と触れ合って地域の活性化に貢献したい」と話した。41歳の若さで死去した先代東関親方は、柴又に部屋を構えた際、「寅さんシリーズ」となった映画「男はつらいよ」の舞台となった「帝釈天でパレードできるような力士を育てたい」と夢を膨らませていた。志半ばで他界し「東関」の部屋名もなくなったが、その思いは一門の枠を超え、新たに部屋を構えることになる二子山部屋に継がれようとしている。

二子山部屋の看板

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床山の床鶏3・31付で退職 4・1付で床雅を採用

両国国技館

日本相撲協会は1日、東京・両国国技館で理事会を開き、床山の退職と採用を発表した。

3月31日付で床鶏(28)が退職。床鶏が所属していた東関部屋は4月1日付で閉鎖し、師匠を務めていた東関親方(元小結高見盛)や力士は八角部屋に移籍することが決まっていた。

また、協会は1日付で床雅(本名・加藤真生、18=二子山)を採用した。

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高見山最後の弟子引退 東関部屋閉鎖とともに区切り

華王錦(2020年7月22日撮影)

元高見山の先々代東関親方(76)がスカウトした最後の現役力士が、土俵に別れを告げた。元十両華王錦(かおうにしき、42=東関)が春場所限りで引退。東関部屋閉鎖とともに区切りをつけ、新たな人生を歩み始めた。現在の心境などを聞いた。【取材・構成=佐々木一郎】

-引退が発表され、今の心境は

「まだ落ち着いてはいません。東関部屋は3月31日までで、4月3日に八角部屋へ引っ越します。その前には出て行かなくてはいけないので、荷物をまとめたり、役所に行って転出届を出したりしています」

-引退のきっかけは

「場所前にヘルニアを悪化させてしまいました。一時は、歩くのもしんどかった。そんな中、部屋がなくなるのもあるんで…。20年間、東関でやってきて、東関で終わりたいので」

-春場所は、最後の1番だけ出場しました

「(部屋を)移ってやるなら、しっかり治した方がいい。でも、自分は東関部屋として最後なので『1番出させてください』と言って出させてもらいました」

-決まり手は逆とったりでした

「たまたまあんな感じになっちゃって…。いろんな人に、『そんな業師だった?』とか『最後だからって必死になりすぎ』って言われました。土俵に立つ以上は一生懸命ですから。2番前に首から落ちた力士(響龍)がいて、ちょうど土俵下にいたんです。中途半端な気持ちで土俵に上がりたくないなというのがあったんで、自然と体が動きました」

-角界での一番の思い出は

「やっぱり、初めて化粧まわしをつけて土俵に上がったときはうれしかったですね。緊張もしました。初めての(土俵入りの)時はどっちに回るんだっけとか、手の上げ方とか、塩まきとか、緊張しましたね。これが関取なんだと、いい経験をさせてもらいました」

-十両2場所目で膝をケガして苦しみました

「ケガして休場してから、再出場しました。もうちょっと様子を見た方がよかったですね。とにかく出なきゃと思ったんで。当時、医師に『どうにか土俵に立ちたいので何とかお願いします』と無理を言っていろいろしてもらった。本来はよくない。焦っていた部分もあります。しっかり治さないといけなかった」

-丸20年、現役でした

「いろんな人から『20年、長かった』と言われるんですけど、力士でいられることは楽しかったですね。いろんな人から声をかけてもらったり、応援してもらうのがすごくうれしかったので、続けることができました」

-一時は協会に残るという話も聞きました

「若者頭として申請を出していたのですが、かないませんでした」

-断髪は

「東関部屋がなくなるので、部屋でできなかったんですよ。そうしたら先々代の高見山さんが『最後の弟子だから、私が責任を持って(まげを)切るよ』と言ってくれました。前の東関部屋はまだ稽古場があるので、そこでやります。本当によかったです。その言葉に、本当にこの部屋で良かったと…。高見山さんにスカウトされて、定年後もずっとかわいがってくれた。力士としてのスタートがあそこだったんで、まだ土俵があるのもありがたいです」

-いつごろになりますか

「コロナの様子を見ながら、あくまで予定なんですが、5月30日に。まだ正式に決まっていないけど、そういう方向で話が進んでいます」。

-今後はどうされますか

「まだ決まっていないんです。部屋があればその間探せるけど、部屋がなくなるし、コロナの状況もあるので…。相撲が好きなので、相撲に携わる仕事があればなと思っています」

◆華王錦武志(かおうにしき・たけし) 本名・村田武志。1978年(昭53)9月14日、秋田県生まれ。東洋大から元関脇高見山の東関部屋に入り、2001年夏場所初土俵。2011年名古屋場所新十両。最高位は西十両6枚目。通算403勝383敗49休。

20年2月 大相撲の継承発展を考える有識者会議に出席する高見山大五郎さん(左)と王貞治ソフトバンク球団会長
東関部屋の看板

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華王錦、舛東欧ら幕下以下20人の引退発表

華王錦(2020年7月22日撮影)

日本相撲協会は3月31日、大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議を開き、春場所中に引退した横綱鶴竜(35=陸奥)改め年寄鶴竜襲名と、幕下以下20人の引退を発表した。元十両で春場所を最後に部屋がなくなった東関部屋の華王錦(42)や、唯一のハンガリー出身の舛東欧(35=常盤山)ら、以下の20人。

【引退】舛東欧(常盤山)光源治、大勇人(以上、峰崎)斗城丸(宮城野)華王錦(東関)綾風、宙風(以上、尾車)富栄、勇富士、八百ツ富士(以上、伊勢ケ浜)播磨灘(尾上)琴今川(佐渡ケ嶽)大翔鶴(追手風)玉の星(片男波)清水(武蔵川)太田(山響)久之虎(出羽海)霧乃龍(陸奥)煌(朝日山)東照錦(錦戸)

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横綱白鵬が優勝争いの中心/大相撲春場所見どころ

白鵬(20年撮影)

大相撲春場所は14日に初日を迎える。3月の春場所は本来、大阪で行われるが、新型コロナウイルス感染予防のため力士らは東京にとどまり、両国国技館で行われる。横綱鶴竜は休場するが、今場所の見どころはいくつもある。

   ◇   ◇   ◇

<優勝争い> 本来の力が戻っていれば、横綱白鵬が優勝争いの中心になる。4場所連続で休場していたため、相撲勘はどこまで戻るか。初日は、初場所優勝の小結大栄翔との対戦が組まれた。

<昇進、かど番> 関脇照ノ富士は、大関復帰をかけた本場所になる。「直近3場所を三役で33勝」が大関昇進の目安になるが、33勝まであと9勝。2桁勝てば、大関の座が見えてきそうだ。

大関貴景勝は、かど番で迎える。体重を17キロしぼった影響はどう出るか。

<兄弟幕内> 英乃海が幕内に復帰したことで、弟の翔猿と史上9組目となる兄弟同時幕内を実現した。英乃海は5場所目の幕内で、初の勝ち越しがかかる。

<元幕内力士の復帰> 元小結の阿炎が、西幕下56枚目で復帰する。昨年7月場所中、新型コロナウイルス感染対策ガイドラインに違反し、3場所連続休場処分を受けていた。初日は、東幕下56枚目泉川との対戦が組まれた。

元幕内の友風は西序二段55枚目から、1年4カ月ぶりに復帰。右膝関節脱臼の重傷を負い、7場所連続休場から再起した。

<部屋の移転、師匠交代など> 貴景勝、隆の勝らが所属する常盤山部屋は、本場所前に東京・台東区から板橋区に移転した。国技館からやや遠くなったが、影響はあるか? 時津風部屋は、前師匠の不祥事により師匠が交代して初めて迎える本場所になる。峰崎部屋は師匠の定年を控え、春場所後に力士は芝田山部屋に転籍する。東関部屋は春場所を最後に閉鎖となり、力士は八角部屋に移籍する。どちらの所属力士も、現所属最後の場所で奮闘したい。

<親方ちゃんねるは?> 日本相撲協会はYouTubeに公式チャンネルがあり、本場所中は「親方ちゃんねる取組生配信」が人気コンテンツの1つだが、13日午後7時現在、「三月場所の配信につきましては現在未定です。予定が決まり次第、お知らせいたします。」としている。主要キャストだった小野川親方(元北太樹)と音羽山親方(元天鎧鵬)が新型コロナウイルス感染のため全休が決まったほか、社会貢献部の親方衆が4日目まで休場するため、調整が続いているとみられる。

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東関部屋が春場所最後に消滅 精神的負担がネックか

東関親方(2020年1月30日撮影)

日本相撲協会は12日、東京・両国国技館で理事会を開き、4月1日付で東関部屋の師匠である東関親方(元小結高見盛)や力士6人ら全員が、八角部屋に転属することを承認した。また、同日付で東関部屋を封鎖することも承認した。

東関親方は19年12月に先代東関親方(元前頭潮丸)が死去したことに伴い、部屋付き親方だったことから、昨年1月に部屋を継承。ただ、部屋の運営には師匠としての精神的負担から難色を示し、関係者によれば1年ほどの“暫定的”な継承として師匠の座を引き継いだという。高砂一門内で次期継承者を模索したが、後任選びは難航していた。

今回の承認を受けて、東関親方は協会を通してコメントを発表した。「私なりに精進して参りましたが、部屋の力士たちにとって、よりよい環境などを求め、八角理事長に相談させて頂き、3月場所を最後に東関部屋を封鎖して、力士たちと八角部屋に転属させていただく決断をいたしました」と部屋移籍および封鎖の経緯を説明した。

東関部屋は、ハワイ出身で高砂部屋付きだった12代東関親方(元関脇高見山)が、86年2月に高砂部屋から分家独立して東京・東駒形に創設。横綱曙、高見盛や潮丸らの関取を輩出した。09年6月の定年後は、当時小野川親方の先代東関親方が部屋を継承。話題を集めた人気部屋だったが、大相撲春場所(14日初日、東京・両国国技館)を最後に、約35年の歴史に幕を閉じることになった。

東関部屋の入口(2021年2月6日撮影)

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東関親方「よりよい稽古環境を求め決断しました」

東関親方(2020年1月30日撮影)

日本相撲協会は12日、東京・両国国技館で理事会を開き、東関部屋の師匠である東関親方(元関脇高見盛)と力士6人、床山ら全員が、同じ高砂一門の八角部屋(元横綱北勝海)に移籍することを承認した。4月1日付で、東関部屋としては大相撲春場所(14日初日、東京・両国国技館)が最後になる。

東関親方の話 「昨年の一月場所後から約1年間東関部屋の師匠として私なりに精進してまいりましたが、部屋の力士たちにとって、よりよい稽古環境などを求め、八角理事長に相談させていただき、三月場所を最後に東関部屋を閉鎖して、力士たちと八角部屋に転属させていただく決断をいたしました。今まで大勢の皆様に東関部屋を応援していただきまして感謝申し上げます。今後は部屋付きとして自分のできることを一生懸命頑張りますので、何卒宜しくお願いいたします。東関大五郎」。(以上、原文ママ)。

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東関部屋が春場所を最後に閉鎖か、継承者選びが難航

東関部屋を継承し、報道陣の取材に対応する東関親方(2020年1月30日撮影)

外国人力士のパイオニアが創設し、優勝11回の横綱を輩出した東関部屋(東京都葛飾区柴又)が、大相撲春場所(3月14日初日、東京・両国国技館)を最後に、閉鎖される可能性があることが8日、関係者への取材で分かった。

現師匠である東関親方(44=元小結高見盛)の後任選びが難航しているためで、このままの状況が続けば約35年の歴史に幕を閉じるという。

東関親方は、19年12月に41歳の若さで死去した先代東関親方(元前頭潮丸)の死去に伴い、部屋付き親方だったことから、年明けの昨年1月、部屋を継承した。ただ、部屋の運営には師匠としての精神的負担から難色を示し、関係者によれば1年ほどの“暫定的”な継承として師匠の座を引き継いだという。

そのため高砂一門内で、次期継承者を模索。先代高砂親方(現錦島親方=元大関朝潮)の定年に伴い、高砂部屋を継承しなかった若松親方(元前頭朝乃若)らが候補に挙がったが、不調が続き現状では候補者不在。前述の「1年間」のリミットが切れる状況では、部屋封鎖もやむなしの方向で話が進んでいるという。

東関部屋は、ハワイ出身で高砂部屋付きだった12代東関親方(元関脇高見山)が、86年2月に高砂部屋から分家独立して東京・東駒形に創設。外国出身者による初めての部屋で、ジェシーの愛称で人気を博したこともあり話題を集めた。同じハワイ出身の曙が横綱に上り詰め、高見盛や潮丸らの関取を輩出。09年6月の定年後は、当時小野川親方の先代東関親方が部屋を継承。18年1月に現在の部屋に移転した。

現在の部屋は、地域活性化の狙いで誘致した葛飾区が、区有地を有償で貸し出した土地に建築された。行政側との問題なども残り「完全には(撤退は)決まっていないが、その方向にはある」と関係者は話し、その際には東関親方と力士6人は、同じ高砂一門の八角部屋(師匠=元横綱北勝海)に移籍する方向性も示されているという。

○…部屋の存続問題について東関親方は、電話取材に「自分がどうこう言っても悪い方にとられてしまう。正直、ノーコメントです」と話した。14日初日の春場所が迫っていることもあり「場所も近いし余計なことは言いたくありません」とも付け加えた。コロナ禍で力士の生活環境も厳しい状況が続く。「自分も力士も外出はしてませんが、こんな状況ですから、いつ感染するかもしれない。(いつ感染するか分からないという)覚悟はしています」と予断を持たずに責務を全うする姿勢を示した。

◆東関大五郎(あずまぜき・だいごろう)本名・加藤精彦、元小結高見盛。1976年(昭51)5月12日、青森・板柳町生まれ。99年春場所で幕下付け出しデビュー。00年名古屋場所で新入幕。愛称は「ロボコップ」。13年初場所で現役を引退し同年10月に年寄「振分」を襲名、20年1月に年寄「東関」を襲名して部屋を継承

東関部屋の入口(2021年2月6日撮影)
東関部屋の外観(2021年2月6日撮影)

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礼儀欠かさなかった曙親方/記者が振り返るあの瞬間

曙太郎K−1入り会見 K−1参戦を表明し会見する曙親方(右)と谷川貞治プロデューサー=東京・帝国ホテル(2003年11月6日)

<スポーツ担当記者 マイメモリーズ>(32)

政府の緊急事態宣言が延長され、スポーツ界も「自粛」状態が続いている。

日刊スポーツの記者が自らの目で見て、耳で聞き、肌で感じた瞬間を紹介する「マイメモリーズ」。サッカー編に続いてオリンピック(五輪)、相撲、バトルなどを担当した記者がお届けする。

  ◇  ◇  ◇

その声が自分に向けられたものだとは、すぐには分からなかった。もう1度「オイッ!」という低い声が飛び、鋭い眼光は相撲担当になってまだ2日目の自分を見ている。03年10月31日。朝稽古の取材で東関部屋を訪れて、一礼だけして後方に座った直後、曙親方(元横綱)に呼ばれた。怒気をはらんだ口調だった。

前日、部屋の幕内高見盛が出稽古先で横綱朝青龍につり上げられ、バックドロップのようにたたきつけられて右肩を負傷した。様子を確認しに来た自分が気に食わないのかもしれない。テレビでしか知らなかった巨体に恐る恐る近づく中で、いろいろと考えた。首に下がる記者証をにらみつける親方の目が怖かった。

「お前、あいさつはどうした?」。そう言われて慌てて名乗ろうとした。すると「オレじゃない!」と語気が強まった。「師匠にだ。部屋に入ってきたらまず師匠にあいさつするのが礼儀だろ。それが日本人の心ってもんじゃないのか」。

分かる人も多いだろうが、稽古中は意外と静かな間が多い。体同士、時に頭と頭がぶつかり合う鈍い音が響き、呼吸の乱れもよく分かる。そんな空間で、相撲のすの字も分からないペーペーの担当記者ができることは、ひたすら存在を消すこと。物音を立てず、邪魔にならないよう隅っこで見ていようと思っていた。稽古を遮るあいさつすら失礼になると思い込んでいた。

その静寂を壊してまで「礼儀」を説いてくれた曙親方の思いを、今も感じることができる。慌てて師匠の東関親方(元関脇高見山)に頭を下げると、にこりと笑ってくれた。曙親方に戻り、一から名乗ると「それを忘れないようにな」と優しい声で言われた。ハワイ出身の親方に教わった「日本人の心」は、その後の記者生活の土台になった。

ところが話はまだ続く。

1週間後の11月6日の朝、日刊スポーツ1面に「曙親方 K-1参戦へ」の文字が躍った。スクープだった。部屋に行くと東関親方は明らかに落胆していて、退職の申し出は受けていたものの「気がついたら部屋に荷物がなかった。こういう言葉は使いたくないけど、裏切られた」と恨み節が出た。

稽古場で諭してくれた、あの「日本人の心」は一体どこに…。当時は自分もだいぶ混乱したものだった。

ただ、実際にK-1やプロレスに転向した曙はその後も部屋を訪れて師匠と肩を並べている。先日は闘病中の体を押して、東関親方として急逝した元幕内潮丸の葬儀に訪れた。非礼のままであれば、そうはいかないのがこの世界。礼儀を欠かさなかったからこそだと、曙の姿を見るたび、そう感じている。【今村健人】

福岡市の福岡国際センターで行われた前夜祭の支度部屋で、曙親方のKー1参戦を伝える本紙に目を通す小結高見盛(2003年11月6日撮影)

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コンビ秘話…勝武士さん初っ切り相棒に聞く(上)

17年2月、初っ切り相撲で取組中にVサインを見せる勝武士さん(右)

大相撲力士の勝武士(しょうぶし)さん(本名・末武清孝=すえたけ・きよたか)が、新型コロナウイルス感染の影響で13日に28歳で亡くなった。勝武士さんは相撲の禁じ手などを面白おかしく実演する「初っ切り」を、巡業などで担当していた。初っ切りで最初の相棒を務めていた元高三郷の和木勝義さん(30)に話を聞いた。【聞き手=佐々木一郎】

勝武士さんとコンビを組んでいた和木さんは、訃報に触れた後、ツイッターに「ほんとかよ 嘘だと言ってほしい」と苦しい胸の内をつぶやいた。「直接お別れできないのがかなり辛い」とも。

勝武士さんが亡くなり、メディアでは初っ切りを担当していた時の写真や映像が多く紹介された。コンビを組んでいたのは、元幕下高三郷の和木さんだ。故人をしのんだ後、電話インタビューに応じてくれた。

-勝武士さんは高田川部屋、和木さんは東関部屋の所属でした。同じ部屋の力士で初っ切りを務めることが多いのですが、なぜこの2人がコンビを組んだのでしょうか

和木さん 大山親方の付け人として巡業に出ていた時、(初っ切りの)1組がなくなったんです。それで、大山親方から『やってみないか?』と言われました。同じ部屋に、ちょうどいいサイズの人がいなかったのですが、高田川部屋の行司さん、今の伊之助親方ですが、『うちに勝武士がいるよ』と紹介されました。

-初っ切りは体格が異なる大型力士と小兵のコンビが一般的なので、勝武士さんとはサイズ感が合ったのですね。2014年4月の神奈川・藤沢市巡業で初めて初っ切りを披露しました。準備期間はどのくらいありましたか

和木さん 半年くらいでした。

-それまで面識はあったのですか

和木さん 対戦もありましたし、しゃべったこともありました。練習は主に夜です。ウチの部屋まで来てくれました。部屋が違うのは大変でしたね。最初はもう1組の動きを見て覚えて、徐々に大山親方に教えてもらったり。1年くらいたってから、自分たちで新しい動きを考えたりしました。

-高三郷、勝武士のコンビならではの動きはありますか

和木さん 最後にハリセンで自分が切られて、『パン』とたたかれるところですかね。その時に流行っていたネタや、その地方に合う言葉を入れたりもしました。例えば、(長野県)松本市の時は、地元の大きな病院の名前を出したり。その都度、考えていました。

<(下)に続く>

17年2月、初っ切り相撲で高三郷(左)の顔面に力水を吹き掛ける勝武士さん

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振分親方の「東関」継承承認「力士の気持ち考えて」

東関部屋を継承し、報道陣の取材に対応する東関親方

日本相撲協会は30日、東京・両国国技館で理事会を開き、元小結高見盛の振分親方の年寄「東関」の継承と襲名、東関部屋の継承を承認した。両国国技館で行われた師匠会に参加した東関親方は「今も正直、いろいろと落ち着かなくてドキドキしている。できることを精いっぱいやりたい」と心境を明かした。

元前頭潮丸の先代師匠は、昨年12月13日に血管肉腫のために41歳で死去。師匠不在となり、同じ高砂一門の「八角部屋預かり」となっていた。他の部屋への移籍や、一門内からの新師匠の抜てきも浮上。しかし周囲のサポートもあり、育った部屋の存続を優先した。東京・柴又に部屋を新設してから約2年しかたってないこともあり、部屋関係者が存続の道を探っていた中で、春場所前に一段落する形となった。

師匠としての心構えを聞かれた東関親方は「まずは力士たち。親方として相撲を教えるだけではなくて、仮に相撲がダメになっても、第2の人生を考えてあげたい」と責任感を口にした。慎重な性格もあって、報道陣の前でしどろもどろになることも多かったが「先代のいいところを取り入れて、力士の気持ちを考えてやりたい」と堂々と話した。

◆東関大五郎(あずまぜき・だいごろう)本名加藤精彦。現役当時のしこ名は高見盛。1976年(昭51)5月12日、青森・板柳町生まれ。99年春場所で幕下付け出しデビュー。00年名古屋場所で新入幕。取組前に自らの顔や胸を激しくたたくしぐさから、愛称は「ロボコップ」。13年初場所で現役を引退し同年10月に年寄「振分」を襲名。20年1月に年寄「東関」を継承・襲名。

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振分親方が東関部屋継承へ、30日承認なら新師匠に

振分親方(2018年3月28日撮影)

元小結高見盛の振分親方(43)が東関部屋を継承する見通しであることが29日、分かった。30日の日本相撲協会理事会で承認されれば、名跡を「東関」に変更して新師匠になる。

元幕内潮丸の先代師匠は昨年12月13日に血管肉腫のために41歳で死去。師匠不在となり、当面は同じ高砂一門の「八角部屋預かり」となっていた。他の部屋への移籍や、一門内からの新師匠の抜てきなども案として浮上した。だが東京・柴又に部屋を新設してから約2年しかたっていないこともあり、東関部屋関係者は存続の道を探っていた。

振分親方は、先代が入院していることが多かった昨年、師匠代理として稽古場で指導。師匠会にも代理として出席するなど、継承するには最適の立場だった。慎重な性格もあって悩み抜いたが、周囲のサポートもあり、育った部屋の存続を優先。初場所中の高砂一門会でも、振分親方が継承することで話がまとまった。錦戸親方(元関脇水戸泉)は「どうなるか決まった。(発表は)場所後になる」と話していた。力士は環境を変えることなく、新生東関部屋として春場所を迎えることになる。

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師匠不在の東関部屋「決まった」発表は初場所後

2019年12月、東関親方死去に伴い部屋で報道対応する振分親方

高砂一門は20日、都内で一門会を開き、初場所後に開催される日本相撲協会の役員候補選挙で現職理事の八角親方(元横綱北勝海)を擁立することを決めた。副理事候補には若松親方(元前頭朝乃若)を立てる。

昨年12月の前東関親方(元前頭潮丸)の死去により、師匠が不在となっている東関部屋について錦戸親方(元関脇水戸泉)は「どうなるか決まった。(発表は)場所後になる」と話した。現在東関部屋の力士らは、八角部屋の一時預かりとなっている。

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師匠急逝の東関部屋の力士、八角部屋が一時預かりへ

大相撲の年寄総会に臨む八角理事長(撮影・小沢裕)

日本相撲協会は23日、都内で理事会を開き、東関親方(元前頭潮丸)の急逝で師匠不在となった、東関部屋所属の力士らを同じ高砂一門の八角部屋の一時預かりにすると発表した。

東関部屋には部屋付き親方として振分親方(元小結高見盛)がいるが、同部屋の継承者は審議中。芝田山広報部長は「どれぐらいの期間かは不明だが、一門の長である八角部屋預かりになった。何か問題があれば八角親方(元横綱北勝海)が責任を取る」と説明。東関部屋の力士らは、これまで通りに東京・葛飾区の部屋で稽古や生活を送る。また、協会のコンプライアンス委員会から「師匠に対する指導のあり方についての特別研修の実施」など、5つの暴力問題再発防止強化策を提言されたことも発表した。

元潮丸の東関親方の通夜に参列した八角理事長(2019年12月18日撮影)

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東関親方の告別式500人参列 八角理事長涙の弔辞

出棺される元潮丸の東関親方(本名・佐野元泰)の棺がある祭壇の前で弔辞を読む葬儀委員長の八角理事長(撮影・現場代表)

さる13日、血管肉腫のため41歳で死去した東関部屋の師匠、東関親方(元前頭潮丸、本名・佐野元泰さん)の告別式が19日、東京都葛飾区柴又の東関部屋で営まれた。

前日18日の通夜に続き、日本相撲協会の八角理事長(56=元横綱北勝海)を葬儀委員長とする高砂一門の一門葬として執り行われた告別式には、協会理事や一門の枠を超えた親方衆、関取衆や、故人とゆかりのあった政治家の鈴木宗男氏ら約500人が参列。先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎さん、元関脇富士桜の中沢栄男さんら多数の高砂部屋OBも参列した。

八角理事長は時折、涙で声を詰まらせながら「さぞ無念だったでしょう。あなたの誠実な人柄に私もほれ込んで、一回り年下でも何か相談するたびに、あなたの言葉に救われました。自分の体を失ったような感じで、運命の残酷さを痛感しています」などと弔辞を読み上げた。

戒名は、師匠として率いた部屋名の一部、本名から「大優院東元泰善居士」と付けられた。告別式終了後、東関親方の遺体を乗せた霊きゅう車は、部屋がある葛飾区内の四ツ木斎場に向かい荼毘(だび)に付された。

東関親方は今月10日ごろ、再入院していた都内の病院で様態が悪化。故人の遺志をくんで12日に部屋に戻り、力士一人一人の手を握り、声をかけたという。翌13日午後9時52分、力士や部屋関係者、夫人で喪主を務めた真充さん(40)らにみとられながら息を引き取った。

喪主を務めた東関親方(本名・佐野元泰)の妻の真充さん(左から2人目)(撮影・河田真司)
元潮丸の東関親方の告別式に参列する、元高見山の先代東関親方(撮影・河田真司)

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東関親方の葬儀日程決まる 高砂一門葬として実施

元前頭潮丸(08年03月10日撮影)

日本相撲協会は16日、13日に41歳で死去した元幕内潮丸の東関親方(本名・佐野元泰)の葬儀を「高砂一門葬」として実施すると発表した。

通夜は18日午後6時、告別式は19日正午から、それぞれ東関部屋(東京都葛飾区柴又2の10の13)にて。喪主は妻の佐野真充(さの・まみ)さん、葬儀委員長は日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)が務める。

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