上へ戻る

au版ニッカン★バトル

記事検索

「キックの鬼」沢村忠さんが死去 肺がんで入院

沢村忠氏(右)は「キックの鬼」と呼ばれ国内では連戦連勝、キックボクシングが大ブームになった(1969年1月4日撮影)

「キックの鬼」の異名で一世を風靡(ふうび)した元キックボクサーの沢村忠さん(本名・白羽秀樹)が、3月26日に死去した。1日、親族が発表した。78歳だった。葬儀は近親者で行った。昨年から肺がんを患い、千葉県内の病院に入院していた。

目黒ジムで沢村さんの付け人も務めた後輩で、元WKBA世界ウエルター級王者でもある伊原道場の伊原信一会長は「今朝(1日)連絡を受けました。肺がんで闘病されているのは聞いていましたが、病気になって彼は人と会わなくなり、コロナ禍で見舞いにも行けなかった。本当に残念です」と語った。

日大3年の時に空手の全日本学生選手権で優勝した沢村さんは、キックボクシングを創設した野口修プロモーターにスカウトされ、66年にデビュー。「真空飛びひざ蹴り」を武器にKO勝利を重ね、67年に獲得した東洋ミドル級王座を14度、その後、同ライト級王座を20度防衛。昭和40年代に空前のキックボクシングブームを巻き起こした。

沢村さんの半生を描いたテレビアニメ「キックの鬼」(TBS系列)は視聴率30%を超え、映画やテレビドラマにも出演。73年にはプロ野球3冠王の巨人王貞治氏らを抑えて、日本プロスポーツ大賞を受賞した。

77年10月に232勝(228KO)5敗4分けという驚異的な戦績を残して、34歳で現役を引退。その後は格闘技界との関係をすべて断ち切り、かねて興味を持っていた自動車整備士の資格を取得。80年に独立して都内で整備工場を経営していた。関係者によると子どもたちを指導するなど後進の育成にもあたっていたという。

野口氏の継承者として新日本キックボクシング協会の代表も務める伊原会長は「沢村さんは人一倍の努力家で、気配りも一流だった。女性が列をつくるほどもてた。キックをやっている人間として、彼が作り上げてきたものに感謝の気持ちを持ち、一層頑張っていきたい」と思い出を語り、故人をしのんだ。

◆沢村忠(さわむら・ただし)本名は白羽秀樹。1943年1月5日、旧満州の新京生まれ。法大一-日大芸術学部映画科。大学3年の全日本学生選手権で優勝。66年にキックボクシングデビュー。2戦目にタイ人選手に16度のダウンを奪われて4回KO負けを喫したことで発奮。以降「真空飛びひざ蹴り」を武器に、東洋ミドル級と同ライト級王座を通算34度防衛。77年引退。現役時代は174センチ、61キロ。家族は妻と1男2女。次女の白羽玲子さんは元タレント。

沢村忠氏(2004年1月15日)
沢村忠氏は「キックの鬼」と呼ばれ国内では連戦連勝、キックボクシングが大ブームになった(1969年1月4日撮影)