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高安4場所ぶり連勝発進「押したり引いたりで内容はボチボチ」

千代の国(左)の攻めを耐える高安(撮影・鈴木正人)

<大相撲夏場所>◇2日目◇10日◇東京・両国国技館

高安が千代の国を常に体の正面に置きながら攻め、体勢を崩したところを見逃さずに左からの突き落としで転がした。

動きの良さが目立ったが「押したり引いたりで内容はボチボチ」と反省。それでも、優勝争いを演じた先場所の勢いそのままに、昨年秋場所以来4場所ぶりの2連勝発進となった。

千代の国(手前)を突き押しで攻める高安(撮影・小沢裕)
千代の国(左)を突き倒す高安(撮影・河野匠)

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「大関照ノ富士」21場所ぶりに響く 史上初“復帰V”へ期待の白星発進

明生(右)を攻める照ノ富士(撮影・鈴木正人)

<大相撲夏場所>◇初日◇9日◇東京・両国国技館

大関に返り咲いた春場所覇者の照ノ富士(29=伊勢ケ浜)が、東前頭2枚目明生をきめ出しで下して白星発進した。2場所連続、昭和以降では初の大関復帰場所での優勝に向けて、17年秋場所3日目以来1355日ぶりの大関白星を挙げた。昨年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止。2年ぶりの夏場所は3日目まで無観客で開催される中、16年九州場所5日目以来の4大関安泰で幕を開けた。

   ◇   ◇   ◇

照ノ富士が3年半ぶりに大関として勝った。2度目の立ち合いで、明生の両腕を抱え込むと、じわじわと体を寄せて、焦らず料理。危なげない一番に「(相手が立ち合いの呼吸を)合わせてくれなかったが、前に足が出たので良かった」と納得するようにうなずいた。

不安を抱えながら臨んだ場所だった。場所前の調整について、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)は「膝の調子があんまりよくない。稽古はちょっと足りてない」と、古傷の両膝の状態を懸念。「出るからには、大関としての責任を果たせるように頑張ってもらいたい」と求めている。

昭和以降、大関復帰場所で優勝した例はない。現行のかど番制度となった69年名古屋場所以降では、7人8例が大関に返り咲いたが、復帰場所での最多白星は05年春場所での栃東の10勝。データ上では優勝争いに絡んだケースすらない中で、史上初の“復帰V”が期待される。

無観客開催で国技館内は静寂に包まれる。場内アナウンスなどで「大関照ノ富士」のしこ名が17年秋場所以来、21場所ぶりに響くが本人は「特に(感想は)ありません」と感慨にふける様子はない。4日目の12日から上限約5000人で観客が入る。「やることは変わらないが、身近で見て盛り上がってくれればいいこと」。照ノ富士の白星が号砲となるように、4大関全員が白星。出場最高位として土俵を引っ張っていく。【佐藤礼征】

▼八角理事長(元横綱北勝海) 照ノ富士からすれば差されたら(相手の腕を)きめるのはいつものこと。先に動いたのが良かった。相撲が安定していて優勝争いの中心になるでしょう。(4大関安泰に)勝つべく人が勝って盛り上がる場所になりそうな感じがする。

照ノ富士(左)はきめ出しで明生を破る(撮影・小沢裕)
照ノ富士(左)はきめ出しで明生を破る(撮影・小沢裕)

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隠岐の海、響龍さん死去受け「一生懸命にやるだけ、それが最大限の予防」

大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)で西前頭12枚目に就いた隠岐の海(35=八角)が1日、昨年春場所以来となる無観客開催の場所に向けて気持ちを高めた。

都内の部屋での稽古後、報道陣の電話取材に応じ「(無観客は)そんなに嫌じゃない。逆にお客さんが入ってもシーンとしている方が緊張しますよ。自分結構土俵に上がるとむせるタイプなので、せき払いとかしづらいなあとか無観客の時はありましたけど、意外と稽古場みたいで自分は嫌いじゃないですけどね」と話した。

昨年秋場所から4場所連続で負け越しており、「やっぱり体が硬いですよ。小さなけがをかばっていると思いますし、その積み重ねが良くないのかもしれない」と不調の原因を分析する。7月には36歳の誕生日を迎えるベテラン。「もうひと花、もうひと花と思いながらやっているけどね。もうひと花と言いながら5年も10年もたっている」と笑った。

春場所後に旧東関部屋の力士が八角部屋に転属したため、計30人という大所帯となった。「いい雰囲気ですよ。東関部屋の魂もですね、(19年12月に41歳で死去した)前親方の潮丸関の気持ちを引き継いで一生懸命やってほしいですよね」と期待を寄せた。

悲しいニュースもあった。先月28日に境川部屋の三段目力士、響龍(ひびきりゅう)の天野光稀(あまの・みつき)さんが急性呼吸不全のため東京都内の病院で死去。響龍さんは春場所13日目の取組で、すくい投げを食った際に頭部を強打し、自力で立ち上がることができず都内の病院に救急搬送され、入院先で寝たきりの状態が続いていた。「つらいと思いますよ。対戦相手の子も。何もないと思ったって感じることがあるだろうし、自分らだってきついから」。

土俵に頭を打つなどの衝撃で電気が走り、腕が上がらなくなるなどのアクシデントは、力士にとって珍しくないという。「よくあることって『大丈夫、大丈夫』ってなっちゃうんですよね。やっぱり『それを乗り越えて先がある』ってなっちゃうし、顔から落ちろっていう指導もあるし。でも本当に危ないときは手を着かないといけないと思いましたよ」。自身も巡業の稽古で投げの打ち合いの結果、頭から落ちて腕のしびれが半日なくならなかったことがあるという。「紙一重なところをいっているんですよね。それを怖がって相撲にならないのもいけないですしね。こればかりは難しいですよ。だから我々は一生懸命にやるだけ。それが最大限の予防」と話した。

日本相撲協会の理事長を務める師匠の八角親方(元横綱北勝海)からは、響龍さんの死去を受けて力士に話があったという。「とにかくそれだけ危ないことをやっているんだという話はありましたね。気を引き締めてやらないとダメだ、と。改めて気を引き締めてやろうということはありましたね。それ以上、あまり言い過ぎても、かえってびびっちゃうし、頭にみんな残っていますからね、衝撃が。考えれば考えるほど怖いだろうし。一生懸命やるのが正解なんじゃないですかね」と話した。

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響龍さん死去 28日に容体急変 「たんがよくたまる」入院中に訴えていた

響龍さん(2020年7月21日撮影)

大相撲境川部屋の三段目力士、響龍(ひびきりゅう)の天野光稀(あまの・みつき)さんが28日午後6時20分、急性呼吸不全のため東京都内の病院で死去した。日本相撲協会が29日、発表した。28歳だった。響龍さんは、春場所13日目の取組で頭部を強打。救急搬送されて入院中だった。現役力士の死去は、昨年5月に新型コロナウイルス性肺炎による多臓器不全でなくなった三段目の勝武士さん以来。取組で負傷した力士が死亡するのは異例の事態となった。

   ◇   ◇   ◇

懸命の祈りも届かなかった-。響龍さんが亡くなり、電話取材に応じた芝田山広報部長(元横綱大乃国)は「何が原因か、因果関係は分からない。こんなことが起きるとは誰も思っていない」と突然の訃報に戸惑いを隠せなかった。

響龍さんは春場所13日目の取組で、すくい投げを食った際に頭から落ちた。近くで見ていた関係者によると、頭部が俵と土俵の間に挟まるかたちで首に圧力がかかる不運があったという。意識はあったがうつぶせのまま立つことができず、倒れてから約1分後に、呼び出し3人があおむけにした。審判の親方衆や医師らが容体をうかがうなどし、倒れてから約6分後に担架に乗せられて土俵を降り、都内の病院に救急搬送された。響龍さんは救急搬送された際、協会関係者に体のしびれにより首から下が動かないなどと訴えていた。

救急搬送された翌日には、師匠の境川親方(元小結両国)が協会広報部を通じて「いま、一生懸命、治療に専念しています」とコメントしていた。関係者によると、入院していた響龍さんは、徐々にまひした体が動くようになっていたという。しかし、28日に容体が急変し、死去した。入院生活で寝たきりの状態が続いており、肺血栓を患っていたという。また、関係者には「たんがよくたまる」などと訴えていたという。取組でのアクシデントがきっかけとなった死去は、異例のことだ。

芝田山広報部長は「搬送された後は入院していたが、意識はあって話ができるとは聞いていた。若い力士が亡くなったことは非常に切なく、残念」と悔やんだ。葬儀・告別式は境川部屋関係者のみで執り行われる。夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)まで10日と迫る中、角界が大きな悲しみに包まれた。

◆響龍光稀(ひびきりゅう・みつき)本名・天野光稀。1993年(平5)3月17日、山口県下関市生まれ。山口・響高校(現下関北高)相撲部出身で、11年5月の技量審査場所で初土俵。最高位は19年秋場所での西三段目24枚目。通算195勝206敗5休。

響龍さん(2020年7月21日撮影)

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響龍さん死去 28歳 春場所取組で倒れ入院、寝たきり続き急性呼吸不全で

響龍さん(2020年7月21日撮影)

大相撲の境川部屋の三段目力士、響龍(ひびきりゅう)さん(本名・天野光稀)が28日、急性呼吸不全のため東京都内の病院で死去した。28歳だった。日本相撲協会が29日、発表した。

響龍さんは3月の春場所13日目の取組で、すくい投げを食った際に頭から落ちた。意識はあったがうつぶせ状態のまま立つことができず、倒れてから約1分後に、呼び出し3人があおむけにした。審判の親方衆や医師らが容体をうかがうなどし、倒れてから約6分後に担架に乗せられて土俵を降り、都内の病院に救急搬送されていた。響龍さんは救急搬送された際、協会関係者に体のしびれを訴えていた。

翌日には、師匠の境川親方(元小結両国)が日本相撲協会広報部を通じて「いま、一生懸命、治療に専念しています」とコメントしていた。関係者によると、響龍さんの入院生活は続いていたというが、徐々にまひした体が動くようになっていたという。しかし、28日に容体が急変。同日に死去した。取組でのアクシデントがきっかけとなった死去は、異例。寝たきりの状態が続いており、肺血栓を患っていたという。

協会トップの八角理事長(元横綱北勝海)は「この度の訃報に接し、協会員一同、心より哀悼の意を表します。ご遺族の皆様方のご傷心を察しますと、お慰めの言葉も見つかりません。私自身、突然の訃報に、ただただ驚き、茫然としております。一か月以上にわたる闘病生活、さぞ辛かったと思いますが、ご家族や師匠らの懸命の看病のもと、力士らしく、粘り強く耐え、病魔と闘ってくれました。今はただ、安らかに眠って欲しいと願っております。懸命の治療を施してくださった医療関係者の皆様には故人に代わり、深く感謝申し上げます」(原文ママ)とのコメントを発表した。

◆響龍光稀(ひびきりゅう・みつき)本名・天野光稀。1993年(平5)3月17日、山口県下関市生まれ。山口・響高校(現下関北高)相撲部出身で、11年5月の技量審査場所で初土俵。最高位は19年秋場所での西三段目24枚目。通算195勝206敗5休。

響龍さん(2020年7月21日撮影)

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“再”大関照ノ富士「盛り上げていけば」4大関で綱取り争い活性化を

夏場所の番付発表で大関に復帰し、リモートでの会見に臨む照ノ富士(日本相撲協会提供)

大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)が大関復帰場所となる照ノ富士(29=伊勢ケ浜)が、綱とり争いの活性化を誓った。

日本相撲協会は26日、夏場所の新番付を発表。17年秋場所以来21場所ぶりの地位に就き、都内の部屋で臨んだ会見で看板力士としての自覚をにじませた。横綱白鵬の休場が確実で、自身を含めた4大関が出場最高位に。横綱誕生の期待も気合十分に受け止めた。

   ◇   ◇   ◇

2場所連続4度目の優勝を目指す“再”大関場所を、綱とりの起点にする。過去3度の優勝は全て関脇以下。照ノ富士は「横綱に上がるためには、優勝に準ずる成績はずっと残さないといけない立場。毎場所優勝に絡んでいけるように頑張っていきたい」と気持ちを高めた。

貴景勝、朝乃山、正代、自身を含めた4大関の綱とりレースに注目が集まることは意識している。新横綱誕生は17年春場所の稀勢の里が最後。「しばらく横綱が誕生していない。大関陣が4人になったから、周りからの新しい横綱の誕生(の期待)がある中で挑む場所。4人で盛り上げていけばいいかなと思う」。夏場所は3日目まで無観客での開催が決定。「自分の場合はテレビの向こうで(ファンが)見ていると思って頑張っているので、特に変わらない」と淡々と意気込んだ。【佐藤礼征】

夏場所の番付発表で大関に復帰し、番付表の自身のしこ名を指さす照ノ富士(日本相撲協会提供)

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18年間「皆勤賞」の玉鷲が現役2位の673勝/夏場所新番付

玉鷲(2021年3月25日撮影)

日本相撲協会は26日、大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)の新番付を発表した。現役力士の今場所達成可能な歴代10傑入りなどの記録は以下の通り(在位したことで達成済みも含む)。

【通算勝利数】

先場所、3日目から休場したものの2勝を上積みした横綱白鵬(35=宮城野)が、1172勝で歴代トップに君臨。今場所は既に休場を“表明”しており、7月の名古屋場所で更新できるか。現役2位の785勝だった横綱鶴竜(現鶴竜親方)が引退したため、現在の現役2位は玉鷲(36=片男波)の673勝。歴代10位で860勝の元関脇寺尾(現錣山親方)までは、あと187勝で、歴代10傑入りは苦しいか…。ちなみに現役3位は、西序二段94枚目の50歳力士・華吹(立浪)の670勝。単純比較は出来ないが、元横綱朝青龍の669勝を1つ上回る立派な記録だ。

【幕内在位場所数】

先場所で白鵬が、旭天鵬(元関脇=現友綱親方)を抜き歴代単独2位の100場所となり、今場所が101場所目。歴代1位の元大関魁皇(現浅香山親方)の107場所まで、あと1年、現役を続ければ並ぶ。なお、新入幕からの幕内連続在位は先場所、史上初の100場所となり、これも101場所に更新した。

【幕内出場回数】

白鵬が歴代8位の1265回だが、今場所は休場する方向で上積みは来場所以降になる。7月の名古屋場所で皆勤すれば、9月の秋場所初日に、歴代7位の安芸乃島(元関脇=現高田川親方)に並ぶ。歴代1位は、元関脇旭天鵬(現友綱親方)の1470回。

【幕内勝利数】

白鵬が1078勝で、2位の魁皇に199勝もの差をつけ歴代トップ。現役2位は玉鷲の490勝、3位は栃ノ心(33=春日野)の488勝。

【通算連続出場】

初土俵以来、無休の「鉄人記録」。歴代7位に1331回の玉鷲が入っている。04年春場所の序ノ口デビューから足かけ18年の「皆勤賞」だ。歴代6位の寺尾まで、あと28回。2場所皆勤で5位に浮上する。ちなみに1位は元関脇青葉城の1630回。

【金星獲得】

現役力士で歴代10傑(9個で三根山ら5人)入りは不在だが、ただ1人、現在8個で西前頭6枚目の逸ノ城(28=湊)に10傑入りのチャンスがあった。だが、白鵬休場で横綱戦はなし。横綱がいなければ獲得できないものだが、7個の北勝富士(28=八角)や遠藤(30=追手風)にも今後、10傑入りのチャンスがありそうだ。

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白鵬が8年8カ月ぶり一人横綱、照ノ富士昇格で4大関に/夏場所新番付

横綱白鵬(2021年3月15日撮影)

日本相撲協会は26日、大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)の新番付を発表した。

横綱は、鶴竜(現鶴竜親方)が引退したため白鵬(36=宮城野)だけとなった。番付上の一人横綱は12年秋場所の白鵬以来、8年8カ月ぶり。優勝制度が制定された1909年(明42)夏場所以降、一人横綱は宮城山、玉錦、大鵬、北の富士、千代の富士、北勝海、曙、朝青龍、白鵬と9人いるが、一人横綱経験者が再度、一人横綱になるのは初めてとなった。

大関は、照ノ富士(29=伊勢ケ浜)が再昇進したことで、19年名古屋場所(豪栄道、高安、貴景勝、栃ノ心)以来の4大関となった。照ノ富士は17年秋場所以来、21場所ぶりの復帰。大関復帰は19年九州場所の貴景勝以来、昭和以降では11人目(栃東が2回あるため12回目)。平幕陥落後の大関復帰は77年春場所の魁傑以来で、序二段陥落後の大関復帰は史上初めて。東の序列2番目の正代(29=時津風)は今年初場所以来、2度目のかど番で臨む。

三役陣は4人。先場所、小結だった高安(30=田子ノ浦)が、7場所ぶりの関脇に復帰した(三役は4場所連続)。西の関脇は、新三役から4場所連続で隆の勝(26=常盤山)。小結は西から東に回った御嶽海(28=出羽海)が3場所連続(三役は6場所連続)、西は先場所に続き大栄翔(27=追手風)が就いた。

大相撲夏場所は、5月7日予定の取組編成会議で初日と2日目の対戦相手が決定。9日の初日を迎える。

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照ノ富士が横綱へ思い「しばらく誕生していない。大関4人で盛り上げを」

夏場所の番付発表で大関に復帰し、リモートでの会見に臨む照ノ富士

大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)の番付が26日、発表された。春場所を12勝3敗で3度目の幕内優勝を飾り、17年秋場所以来21場所ぶりに大関に復帰した照ノ富士(29=伊勢ケ浜)が会見に臨み、最高位横綱への思いを強く明かした。

「もう次の場所に頑張っていかないとという気持ちだけです」と話し、「やらなくてはいけない。そういう気持ちでやっています」と決意表明した。

横綱鶴竜が引退し、白鵬も右膝の手術で夏場所の休場は確定的。照ノ富士が復帰した4大関が、番付的に最上位となる。

照ノ富士は「横綱、大関は協会の看板力士で責任もある。ちゃんと対応して、ちゃんとした結果を残さないといけない」と話し、「横綱に上がるためには優勝に準ずる成績を残していかないといけない立場。毎場所、そこに絡んで優勝を目指していきたい」と力強く語った。

その意味では朝乃山、貴景勝、正代と大関陣で、最高位を目指す戦いのスタートともなる。照ノ富士は「自分のことは自分のこと。他人はいろいろあるだろうし」と話しつつ、「しばらく横綱も誕生していないし、大関4人で盛り上げられたらと思います」と綱とり争いの幕開けを意識した。

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阿炎、幕下56枚目から49枚上昇 再十両に全勝必要か/夏場所新番付

阿炎(2021年3月20日撮影)

日本相撲協会は26日、大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)の新番付を発表した。

幕下以下の注目力士の1人、阿炎(26=錣山)は東幕下7枚目に番付を上げた。阿炎は昨年夏、新型コロナウイルスの感染防止のため日本相撲協会が策定したガイドラインに違反し、9月の秋場所、11月場所、今年1月の初場所と3場所連続休場の処分を受けた。処分が明け3月の春場所で土俵復帰。西幕下56枚目で7戦全勝優勝し、番付を49枚上げた。

阿炎は17年名古屋場所から守っていた関取の座を、初場所の幕下陥落で逃した。それ以来の関取復帰となる再十両には今場所、やはり先場所同様の7戦全勝が求められそうだ。

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幕内復帰確実の石浦が7番で4勝3敗「楽しい場所にしたい」

夏場所に向けた合同稽古で関取衆との申し合いに参加する石浦(左)(代表撮影)

大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)に向けた計4日間の合同稽古の最終日が両国国技館内の相撲教習所で行われ、来場所の幕内復帰を確実にしている十両石浦(31=宮城野)は関取衆との申し合いで計7番で4勝3敗だった。

前日21日の稽古中に左手首を痛め、稽古を外れる場面もあった。「手首を前から痛めていたけど、昨日はちょっとひどくなった」。この日は「番数は取れない」と計7番にとどめたが、計4日間の合同稽古を振り返って「体が最初は全然だめだったけど、感触はよかった」と振り返った。

先場所は東十両2枚目で9勝を挙げ、昨年秋場所以来の幕内復帰を確実としており「楽しい場所にしたい」と意気込む。175センチの自身と同じ小兵の翔猿や翠富士が活躍中。「みんなタイプも違う。自分も負けていられないですね。そのうち炎鵬と宇良もまた上がってくるでしょうし」と対抗意識を燃やした。

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玉ノ井部屋の親方、力士ら関係者は全員陰性 十両・東龍が新型コロナ感染

東龍(2021年3月26日撮影)

日本相撲協会は20日、新型コロナウイルス感染が判明した十両東龍が所属する玉ノ井部屋の親方、力士ら関係者がPCR検査を受け、全員が陰性だったことを発表した。

代表による電話取材に応じた芝田山広報部長(元横綱大乃国)が明らかにした。

東龍は前日19日に発熱のため抗原検査を受けたところ、陽性が判明した。芝田山広報部長によると「昨日(19日)玉ノ井親方から電話があり『4日前に(東龍は)稽古した。ただ保健所からは(他の力士らは)濃厚接触に当たらないと言われた』と言っていた」と濃厚接触者とは認定されなかったものの「念のため検査を受けみんな陰性だった」と、協会の判断でPCR検査を実施した。

玉ノ井部屋では昨年9月に集団感染が発生し、師匠の玉ノ井親方(元大関栃東)や所属する力士は同月の秋場所を全休した。当時、東龍は感染していなかった。

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玉ノ井部屋の十両東龍がコロナ感染 同部屋では昨年9月に集団感染発生

東龍(2017年5月24日撮影)

日本相撲協会は19日、十両東龍(33=玉ノ井)が新型コロナウイルスに感染したことを発表した。

19日に発熱のため医療機関で抗原検査を受けたところ、陽性が判明した。

東龍は自宅で隔離し、今後は居住地の指導に基づいて濃厚接触者の調査、本人の入院、療養などの対応が行われる予定。

玉ノ井部屋では昨年9月に集団感染が発生し、師匠の玉ノ井親方(元大関栃東)や所属する力士は同月の秋場所を全休した。当時、東龍は感染していなかった。

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元関脇麒麟児、突然の訃報 30年前の“あの日”と変わらない柔らかな物腰

行司控室で指導を受ける行司として二所ノ関部屋に入門した押田裕光(1989年1月20日撮影)

新年度が始まる春。新たな出会いの季節でもあり、一方で卒業や異動など別れの季節でもあるだろう。悲しいのは人生の卒業…。訃報が飛び込んだのは13日のことだった。

元関脇麒麟児の垂沢和春(たるさわ・かずはる)さんが、67歳の若さで旅立った。今も語り草となっている、天覧相撲での富士桜との死闘。108発にも及ぶ壮絶な突っ張り合いを、今、演じられる取組はないだろう。

当時、大関貴ノ花ファンで中学2年だった私も部活から帰り、固唾(かたず)をのんでテレビで見ていた記憶がある。その垂沢さんが今から3年前に定年を迎えた際は、その3年前に受けた頭部腫瘍の摘出手術を受けた影響から、顔面にまひの症状が残り、現役時代の面影は薄かった。それでも退職間際、最後に会った時の紳士然とした柔らかな物腰は“あの日”と少しも変わらなかった。

1989年、というより平成元年といった方が経過した時間の重みが分かるだろうか。昭和天皇の崩御で喪に服すことから、初日が1日遅れて月曜日から始まった大相撲初場所。それは私にとっての相撲担当「初土俵」の場所だった。3シーズン務めたプロ野球担当からの配置転換で、右も左も分からぬまま頭の中は大混乱。そんな中、場所中にある若者の行司デビューを取材する機会があった。

2カ月後の春場所で、行司として初土俵を踏む15歳の押田裕光君。前年秋場所後を最後に引退した北陣親方(元麒麟児)の、おいにあたる青年だった。千葉・柏中3年の夏、力士になりたかった押田君は「身長規定に足らないんです。でも相撲が好きで身内に相撲界の人がいるから」と二所ノ関部屋で修業に入った。初場所中は、折を見て両国国技館の行司控室で先輩行司から指導を受けていた。

緊張しきりの押田君を横目に、取材に応じてくれた北陣親方は「修業はつらいけど立派に土俵を務めてほしい」と願いを込めるように話してくれた。驚いたのは、その後だ。「どうぞ、よろしくお願いします」。8歳も年下の新米相撲記者に、頭を下げたシーンは今でも鮮明に覚えている。会釈でも、ちょこんと頭を下げたわけでもない。下げた後、少し静止して頭を上げてニコッと笑みを送ってくれた。前年の暮れから相撲担当になったが、稽古場に行っても場所に行っても別世界のように感じられた。言葉遣いも荒っぽく、ちゃんこの味も染みていない若輩記者は、ただただ「怖い世界だな」と思うばかりだった。

そんな中で紳士的に対応してくれたのが北陣親方。部屋付きとして稽古場では、鋭い眼光と若い衆を腹の底から絞り出すような声で叱咤(しった)激励する姿に、あの天覧相撲で見せた「力士麒麟児」をほうふつとさせたが、稽古を終え我々と談笑する際は、まるで別人のような温和な人だった。NHKの大相撲中継でも、ソフトでさわやかな語り口と分かりやすい解説で、お茶の間の相撲ファンを引きつけた。

あの32年前、私に「よろしくお願いします」と頭を下げ成長を見守っていた、おいの押田君は、今や幕内格行司の12代式守錦太夫として立派に土俵を務めている。叔父も、きっと天国から優しいまなざしで土俵を見守っていることだろう。多臓器不全のため亡くなったのは3月1日。発表が1カ月以上も先になったのは、春場所の初日まで2週間を切った時に、悲しい知らせを角界に伝えるのは忍びない、場所も終わって落ち着いた時にでも、という故人の遺志が尊重されたのではないかと、勝手に思っている。

「別れ」でもう1つ思い出した。私の「初土俵」となった、あの89年初場所初日。取材のスタートは、前年12月に部屋開きし、この初場所が晴れのデビュー場所となる新生・峰崎部屋だった。「新米記者には、新しい部屋から一緒にスタートするのがいいだろう」という先輩の温かい? 配慮で、朝6時の稽古から32歳の峰崎親方(元前頭三杉磯)と、3人の弟子の記念すべき1日を追った。

営団地下鉄(現東京メトロ)赤塚駅から市ケ谷を経由して両国へ。超満員電車での“通勤”に峰崎親方が、1番相撲を控える弟子の1人に「サラリーマンにならなくて良かっただろう」と笑顔で話しかけ緊張を和らげていたのが、ほほえましかった。その力士は「峰崎部屋1番相撲」で敗れた上に、移籍前に所属していた「放駒部屋」とアナウンスされるハプニングもあったが、それも今はいい思い出になっていることだろう、と思いたい。緊張で食事も喉を通らなかった、その若い力士も白菜、焼き豆腐、ぶりなどが、たっぷり入ったちゃんこを平らげていた。頼もしい限り…そんな思いで「取材初土俵」を終えた。

その峰崎部屋も、師匠の定年に伴い3月の春場所で閉鎖となった。時の流れとともに、移ろいゆく大相撲の世界。10年ひと昔というが、デジタル化された現代は1年でも「ひと昔」と感じざるを得ない。それでも30年前の記憶が、しっかり残されている。この世界独特の人情味があるからこそだろう。【渡辺佳彦】

75年5月、夏場所で富士桜(右)と猛烈な突っ張り合いを見せる麒麟児

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元関脇・琴勇輝が引退 「膝が限界」手術後は満足な稽古できず

立ち合い前に「ホウッ」と気合を入れる琴勇輝(2015年3月撮影)

日本相撲協会は14日、元関脇琴勇輝(30=佐渡ケ嶽)の引退と年寄「君ケ浜」襲名を承認した。

電話取材に応じた師匠の佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)は「膝を手術して四股が踏めず、稽古が思うようにできなくなっていた。加えて番付も落ちてしまった。それが一番。本人からも『膝が限界です』と言われた」と引退を決断した理由を明かした。

琴勇輝は昨年10月に左膝の内視鏡手術を受け、同年11月場所を全休。十両に陥落した1月の初場所では4勝11敗と負け越して、3月の春場所では西幕下筆頭まで番付を落とした。1場所での関取復帰を目指していたが、手術した膝の状況が悪く、春場所を全休。佐渡ケ嶽親方は「膝を治療しながらすぐじゃなくてもいい、焦らなくてもいいからやれることをやろう、という風には声を掛けたんですけど。なかなか難しかったです」と話した。

香川・小豆島町出身の琴勇輝は、08年春場所で初土俵を踏み、11年秋場所で新十両。13年初場所で新入幕を果たし、東前頭筆頭だった16年春場所では横綱日馬富士から初金星を獲得するなど12勝を挙げ、翌夏場所で新三役となる新関脇の座をつかんだ。立ち合いからもろ手突きで一気に押し出す相撲が魅力のほか、一時は立ち合いの直前に「ホウッ」と気合のこもった声を発することでも注目を浴びていた。通算480勝430敗70休。金星1個、殊勲賞1回受賞だった。

今後は君ケ浜親方として、後進の指導に当たる。佐渡ケ嶽親方は「部屋にも突き押し相撲の力士がいる。そういう力士たちに押し相撲の基本を教えて欲しい。何が必要なのか教えて欲しい」と期待を込めた。

白鵬の前で「ホウッ!」とほえる琴勇輝(2016年撮影)

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元関脇の琴勇輝引退、立ち合い直前気合の「ホウッ」注目 年寄君ケ浜を襲名

琴勇輝(2021年1月撮影)

日本相撲協会は14日、元関脇琴勇輝(30=佐渡ケ嶽)の引退と年寄「君ケ浜」襲名を承認した。西幕下筆頭だった春場所は全休していた。

香川・小豆島町出身の琴勇輝は、08年春場所で初土俵を踏み、11年秋場所で新十両。13年初場所で新入幕を果たし、東前頭筆頭だった16年春場所では横綱日馬富士から初金星を獲得するなど12勝を挙げ、翌夏場所で新三役となる新関脇の座をつかんだ。立ち合いからもろ手突きで一気に押し出す相撲が魅力のほか、一時は立ち合いの直前に「ホウッ」と気合のこもった声を発することでも注目を浴びていた。

一方で両肘と両膝のケガにも苦しんできた。休場した20年初場所では「両変形性肘関節症により手術を予定」との診断書を提出。同年10月には左膝の内視鏡手術を受けていた。西十両9枚目だった1月の初場所では4勝11敗と負け越し、11年秋場所の新十両昇進以来守り続けた関取の地位を失った。通算480勝430敗70休。金星1個、殊勲賞1回受賞。

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日本相撲協会、秋と冬巡業は中止を発表 コロナ感染拡大の影響

日本相撲協会は13日、今年9月の秋場所後の秋巡業と11月場所後の冬巡業を、新型コロナウイルス感染拡大の影響により中止することを発表した。巡業開催は19年九州場所後の冬巡業が最後となっている。

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元関脇の麒麟児が死去、多臓器不全で67歳 108発の突っ張り合いも

1976年1月、大相撲初場所4日目 富士桜(左)と麒麟児

日本相撲協会は13日、元関脇麒麟児の垂沢和春さんが3月1日に多臓器不全のため死去したと発表した。67歳だった。

強烈な突っ張りを武器に、幕内通算84場所で三賞受賞は11度。昭和28年生まれで「花のニッパチ組」の1人として土俵を沸かせた。現役引退後は北陣親方として後進の指導に当たり、18年に日本相撲協会を退職していた。

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また1人、名力士がこの世を去った。日本相撲協会は、元関脇麒麟児の垂沢さんの死去を発表。協会関係者によると、15年夏ごろに頭部の腫瘍摘出手術を受けた影響で顔面にまひの症状が残り、体調が悪かったという。18年3月に65歳の定年を迎えたが、再雇用制度は利用せずに協会を退職。3年後の3月1日に、自宅で多臓器不全により死去した。近年は糖尿病と腎臓を患っていたという。葬儀・告別式は家族葬で執り行われた。

1967年夏場所で二所ノ関部屋から初土俵を踏んだ。昭和28年生まれで「花のニッパチ組」の1人として、元横綱北の湖、元横綱2代目若乃花らとともに人気を誇った。1975年夏場所8日目の天覧相撲では、富士桜との計108発に及ぶ壮絶な突っ張り合いを披露。昭和天皇が身を乗り出して観戦された一番は、今も語り草となっている。幕内優勝こそ果たせなかったが、金星6個、三賞受賞は11度と実績を残した。

88年秋場所を最後に35歳で現役引退後、北陣親方として二所ノ関部屋で後進を指導した。相撲協会では主に巡業部に所属。大相撲中継では爽やかな語り口の解説で親しまれた。

◆麒麟児和春(きりんじ・かずはる)本名・垂沢和春。1953年(昭28)3月9日、千葉県柏市生まれ。67年夏場所初土俵、74年初場所新十両。同年秋場所で新入幕。強烈な突っ張りを武器に金星6個、殊勲賞4回、敢闘賞4回、技能賞3回と三賞計11回受賞。最高位は関脇。幕内通算84場所で三役は通算17場所。通算773勝792敗34休。88年秋場所限りで引退し、年寄「北陣」を襲名。18年3月に日本相撲協会を定年退職。

麒麟児
北陣親方(元関脇麒麟児)(2008年09月6日撮影)
断髪式を終えタキシード姿になった元関脇麒麟児の北陣親方=1989年1月29日

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「かど番の方が強い」大関正代“2度目”に初場所V争いイメージし自然体

ゴムチューブを使ってトレーニングする大関正代

大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)にかど番で臨む大関正代(29=時津風)が13日、都内の部屋で稽古を行い、かど番脱出に向けて自然体を強調した。

この日は相撲は取らずに、すり足などの基礎運動に加えてゴムチューブなどを使用したトレーニングで汗を流した。相撲を取る稽古はすでに開始しているといい「土曜日と昨日に取りました。幕下と10番ずつぐらいですけど」と明かした。

春場所では千秋楽に負け越しが決まった。昨年秋場所後に大関昇進してから、2度目のかど番。1度目のかど番だった初場所は「真っ青って感じだった」という。しかし、今回は「初めてではない。僕も今年30歳で別に若い方ではない。守りに入らないように、元気よくできたらいい」と穏やかに話した。むしろ「かど番の方が強いですよ」とニヤリ。かど番だった初場所では優勝争いを演じるなどし、その時のいいイメージが頭の中にあるようだ。

本来であれば、春場所後に地元・熊本に帰省する予定だったという。「負け越したのでいいかなと。早い段階で勝ち越したら、ちゃんとチケット取ったんですよ。どうしようかなと考えてチケット取るのやめました」と負け越したことで帰省は断念した。14日には熊本地震発生から5年を迎える。「まだ仮設住宅はある。(地元の宇土)市役所もまだ仮庁舎で、まだプレハブ。早くちゃんとした市役所が出来ればいいですけど」と地元を思いやった。5月場所後の帰省については「結果がどうあれ帰りますよ」と笑って話したが、かど番脱出を果たして地元に勇気を届けたい。

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翠富士、兄弟子快挙を祝福「戻ってくれてうれしい」

翠富士(21年1月撮影)

大相撲春場所で3度目の優勝を果たした照ノ富士(29=伊勢ケ浜)の大関復帰が決まり、弟弟子で平幕の翠富士(24)が祝福した。

都内の部屋で昇進伝達式が行われた31日、代表取材に応じ「毎日一緒に稽古してきて、ケガしたときも知っているので、また戻ってくれてうれしいですね」と喜んだ。

両膝のけがや内臓疾患に苦しみ、17年秋場所を最後に大関から陥落して、一時は序二段まで番付を落とした照ノ富士。当時若い衆だった翠富士も、ともに稽古に励んでいた。

翠富士に弱音を吐くこともあったという。それでも「吐くんですけど、それでも吐いてまた頑張るので。『もうだめだ』とか言ってるんすけど、それでもその日勝ってたり、すごいです」と振り返った。

兄弟子の快挙に翠富士も刺激を受ける。新入幕だった1月の初場所で技能賞を獲得するなど活躍したが、春場所は場所前にヘルニアを発症した影響で5勝10敗と負け越した。腰は「めちゃくちゃ痛い」と治療中。それでも「(照ノ富士と比べれば)自分はしょぼいケガ。自分、結構休み癖があるんですけど、大関に言われたらなんとも言えなくなっちゃうっすね」と話していた。

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