上へ戻る

au版ニッカン★バトル

記事検索

明瀬山が右下顎骨骨折で休場 7日目まで1勝6敗

明瀬山(21年1月撮影)

東前頭13枚目明瀬山(35=木瀬)が夏場所8日目の16日、日本相撲協会に「右下顎骨骨折により5月場所の休場を要する」との診断書を提出して休場した。診断書によると、3日目の11日に負傷したという。

今場所は7日目まで1勝6敗と振るわず、再出場しなければ来場所の十両陥落は確実となっている。

休場は08年初場所の初土俵以来初めてとなった。8日目の対戦相手、天空海は不戦勝。今場所の十両以上の休場者は横綱白鵬ら6人目となった。

関連するニュースを読む

三段目友風が勝ち越し王手「いい相撲内容」先場所に右膝の大けがから復帰

友風(右)は大翔樹を寄り倒しで破る(撮影・小沢裕)

<大相撲夏場所>◇8日目◇16日◇東京・両国国技館

元幕内で、右膝の大けがから復帰した東三段目88枚目の友風(26=友風)が勝ち越しに王手をかけた。大翔樹を落ち着いた取り口で下し、3勝1敗とした。

「いい相撲内容でした。先場所より膝の状態はいいが、7場所ぶりのブランクは簡単に埋められないと痛感しています」

先場所、1年4カ月ぶりに復帰した。自己最高位、西前頭3枚目の19年九州場所2日目に右膝を負傷。当初は歩くことも困難と見られた大けがで4度の手術を乗り越えて復帰にこぎつけた場所だった。

復帰した先場所は序二段で6勝1敗。三段目に上がった今場所も、勝ち越しに王手をかけた。「一番一番、当日に切り替えていきたい」と気持ちを新たにした。

関連するニュースを読む

霧馬山に最高の“参謀役” 2場所連続朝乃山撃破!相手の対策教わり感謝

霧馬山(右)は朝乃山を上手投げで破る(撮影・柴田隆二)

<大相撲夏場所>◇6日目◇14日◇東京・両国国技館

東前頭4枚目霧馬山(25=陸奥)が2場所連続で大関朝乃山を破った。相手得意の左上手を許しながら、巧みに切って上手投げ。今場所は2勝4敗と黒星が先行しているが、春場所中に現役を引退した兄弟子の鶴竜親方(元横綱鶴竜)から日々助言をもらい、着実に成長している。大関に復帰した照ノ富士は初日から6連勝。1敗の大関貴景勝、関脇高安が追走している。

   ◇   ◇   ◇

「勝っても負けても、真っすぐいけた」と霧馬山の笑顔がはじけた。初めて朝乃山に勝った先場所は、立ち合いで左に動いてあっけなく送り出す“注文相撲”だったが、今回は正面から当たった。四つ相撲の本格派大関から、真っ向勝負で白星をつかんだ。

朝乃山の形になっても慌てなかった。差し手争いから右四つに組み、浅い位置で相手得意の左上手を取られた。万事休すと思われたが、あごをつけた体勢から下手で振って上手を切る。棒立ちとなった大関を、上手投げで豪快に転がした。「最後まで我慢できた」と満足そうにうなずいた。

部屋にはこれ以上ない“参謀”がいる。19年9月に旧井筒部屋から転籍し、今年3月の春場所中に引退した部屋付きの鶴竜親方から、対戦相手の対策を教わる。「まわしを切るとか頭をつけろとか…。(対策の助言は)いつも言われている」と感謝している。

大関貴景勝や平幕の阿武咲らと同じ1996年度生まれ。昨年12月の合同稽古に参加した際は「同い年なので、どうしても負けたくないという気持ち」とライバル心をメラメラ燃やした。

最高位は昨年11月場所の東前頭筆頭。左肩の負傷などで番付を落としていたが、先場所から再び上位総当たりの地位に戻ってきた。「最後まで、今日みたいな相撲を取っていきたい」。成績次第では来場所、新三役を狙える地位に就く。巻き返しに向け、モンゴル出身のホープがきっかけをつかんでいく。【佐藤礼征】

▽朝乃山の話 自分の形の左上手が外れて、そこから攻められた。攻めがバラバラになった。明日からまた自分の相撲を取っていきたい。

霧馬山(手前)は朝乃山を上手投げで破る(撮影・滝沢徹郎)

関連するニュースを読む

里村明衣子「やり過ぎだ、私は許さない」王者へのリベンジ誓う

NXT UK女子王者レイ(左)に敬意を表され、一礼された里村だが…(C)2021 WWE, Inc. All Rights Reserved.

<WWE:NXT UK大会>◇13日(日本時間14日)◇英ロンドン

NXT UKの「ファイナルボス」里村明衣子(41=センダイガールズ)がNXT UK女子王者ケイ・リー・レイ(28)へのリベンジ魂を燃やした。

急きょサプライズで代役出場した次期挑戦者決定ガントレット戦で勝利した後、リングに上がってきた王者レイとにらみ合った。今年1月からNXT UKとコーチ兼任で契約を結んだ里村は3月にはレイに初挑戦。激闘の末にケイのゴリーボムを浴びて敗退している。

敬意を表され、先に一礼を受けた里村は礼で返した直後だった。顔面に入るスーパーキックを浴びてダウン。「私がここの王者だ。誰も変えることはできない」と悪態をつかれた。もちろん里村も黙っていられない。「ケイはやり過ぎだ。私は許さない。ガントレット戦を制した。ケイ・リー・レイに再挑戦します」とSNSで報告。現在も最長王座保持記録を伸ばし続ける王者レイへのリベンジを誓った。

メインイベントで開催されたガントレット戦は里村の独壇場だった。負傷欠場のザイヤ・ブルックサイド(22)の代理としてサプライズで4番目に登場。エミリア・マッケンジー(20)、ダニ・ルナ(22)に連勝したアイラ・ドーン(27)と対戦し、DDTや側転式ニー・ドロップをたたき込んだ。最後は腕ひしぎ逆十字固めから丸め込んで3カウントを奪った。

最後に登場した5番目のジニーとの最終戦では、介入する敵セコンドのジョセフ・コナーズを蹴散らした上でデスバレーボムで投げてからのスコーピオライジングでジニー頭部にかかとを落とし、フォール勝ち。次期挑戦権を獲得し、絶対王者ケイとの2度目の王座戦を決めていた。

NXT UK女子王者レイ(奥)のスーパーキックを浴びて倒れる里村(C)2021 WWE, Inc. All Rights Reserved.
ジニー(手前に)スコーピオライジングを放った里村(C)2021 WWE, Inc. All Rights Reserved.

関連するニュースを読む

WWE里村がNXT UK女子王座挑戦権ゲット ガントレット戦に緊急出場

NXT UK女子王座の次期挑戦者ガントレット戦に急きょサプライズ出場し、挑戦権をゲットした里村(C)2021 WWE, Inc. All Rights Reserved.

<WWE:NXT UK大会>◇13日(日本時間14日)◇英ロンドン・BTスポーツスタジオ

NXT UK女子の「ファイナル・ボス」里村明衣子(41=センダイガールズ)が再びNXT UK女子王座挑戦を決めた。メインイベントで5選手出場の次期挑戦者ガントレット戦が開催。当初はジニー(31)、エミリア・マッケンジー(20)、ザイヤ・ブルックサンド(22)、ダニー・ルーナ(22)、アイラ・ドーン(27)がエントリーされていたが、負傷欠場したブルックサンドの代役として里村が4人目で緊急サプライズ出場。2勝していたドーンを下すと、ジョセフ・コナーズを伴って5人目で登場したジニーとの最終戦を迎えた。

デスバレーボム、ミドルキックでダメージを与えると、必殺のスコーピオライジングでジニーの頭部にかかとを落とし、3カウントを奪取。NXT UK女子王者ケイ・リー・レイ(28)への挑戦権を獲得した。試合後、リングにベルトを持って姿をみせたレイに一礼された。敬意を表する形の態度に一礼すると、そのまま無情なキックを浴びてダウン。「私がここの王者。誰もそれを変えられない」と罵声を浴びせられた。

里村は試合後、自らのツイッターで「私がガントレット戦で勝った。ケイ・リー・レイに再挑戦します」と決意をつづった。今年1月からNXT UKとコーチ兼任で契約を結んだ里村は3月にはレイに初挑戦。激闘の末にケイのゴリーボムを浴びて敗退している。現在も最長王座保持記録を伸ばし続ける王者レイを止めることができるか。

関連するニュースを読む

千代の国が左膝半月板損傷、骨挫傷により休場 3日目の御嶽海戦で負傷

千代の国(21年3月撮影)

西前頭3枚目千代の国(30=九重)が夏場所4日目の12日、日本相撲協会に「左膝半月板損傷、骨挫傷により約2週間の加療を要する見込み」との診断書を提出して休場した。3日目の小結御嶽海戦で、取組後に土俵を下りる直前、左足を気にする様子を見せていた。付け人の肩は借りず、ゆっくりとした足取りではあったが、自力で花道を引き揚げていた。

休場は新型コロナウイルスの影響で九重部屋の力士全員が全休した初場所から3場所連続22度目。4日目の対戦相手、小結大栄翔は不戦勝となる。

今場所の十両以上の休場者は初日から休場している横綱白鵬、碧山らを含めて5人目となった。

関連するニュースを読む

元関脇琴勇輝の君ケ浜親方「いろんな人に応援してもらった」涙ぬぐう場面も

大相撲初場所13日目、塵手水(ちりちょうず)を切る琴勇輝(21年1月22日撮影)

<大相撲夏場所>◇初日◇9日◇東京・両国国技館

先月14日に現役を引退した元関脇琴勇輝の君ケ浜親方(30=佐渡ケ嶽)が9日、都内で会見に臨んだ。「少しホッとしている。安堵(あんど)感もあるけど、これから親方として気の引き締まる思い」と心境を明かした。「いろんな人に応援してもらった」と周囲への感謝を口にすると言葉が詰まり、涙をぬぐう場面もあった。

引退を決断した要因は、相撲を取る恐怖心からだったという。昨年11月場所前に左膝の内視鏡手術を受けた影響で休場し、十両に陥落した初場所は4勝11敗と負け越して幕下に陥落。たび重なる膝の負傷を乗り越えてきたが「土俵に上がるのが怖いという気持ちが先行していた。勝負師として終わり。いろいろ考えて決断した」と、リハビリの中で気持ちを立て直すことができなかった。

現役生活で印象に残る一番は、16年春場所3日目の日馬富士戦で挙げた金星。この場所は上位総当たりで12勝3敗の好成績を残して殊勲賞も獲得し、翌場所は新関脇昇進も果たした。「とにかく稽古場通りの自分の立ち合いがどこまで通用するかという気持ちだった。結果的に12番勝ったというのも分からなかったくらい、体もよく動いていた」。

会見に同席した師匠の佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)は「私の中ではもう少しできるんじゃないかと思っていた」と、弟子の引退を惜しんだ。「負けず嫌いなところが相撲に出る力士。本当にいい力士だった。先代師匠が元気だったら、琴勇輝の相撲を喜んで見ていたと思う。先代に似ている部分があった」と「猛牛」と呼ばれた亡き先代佐渡ケ嶽親方(元横綱琴桜)に姿を重ねた。

一時は立ち合いの直前に「ホウッ」と気合のこもった声を発することでも注目を浴びていた。琴勇輝は「関取になってからかなり注目されるようになったけど、もっと前からやっていて、地位が上がるにつれて覚えてもらえるきっかけになっていった。しっかりと気合を入れて、おなかに力を入れるイメージだった。一気に自分の気合が入るようなルーティンになった」と振り返った。

関連するニュースを読む

土俵上の応急対応措置、審判部ら「いかに早く医師に診せるか」手順学ぶ

土俵周りで行われた「土俵上の応急対応措置講習会」に参加する親方衆ら

日本相撲協会は7日、東京・両国国技館の土俵周りにて、「土俵上の応急対応措置講習会」を開催した。講習会には審判部や警備担当の親方衆ら約60人が参加。NPO法人スポーツセーフティージャパンの佐保豊代表理事を講師として招き、約1時間行われた。

電話取材に応じた春日野警備本部長(元関脇栃乃和歌)は、講習会を振り返り「みんなこわごわと搬送しないといけないんじゃないかというのがあったけど、あえて迅速に適切にやれば、早く専門の医師に任すという意味では必要なのではないかと。思い切って1分でも早く専門家に判断してもらうように迅速な対応が必要なんだなというのはありました」と、より迅速な対応が必要であることを感じたという。

講習会では「負傷者を担架に乗せて医師に渡すまでの手順を訓練した」という。「横を向いた状態、あおむけの状態、うつぶせの場合」と、倒れている患者の体勢によっての担架への乗せ方を学んだという。春日野警備本部長は「治療は医師が行う。それまでの工程を安心に迅速に行う。時間をかけてやればいいという訳ではない。いかに早く医師に診せるか。その手順を学んだ」と説明した。

4月28日に境川部屋の三段目力士、響龍の天野光稀さんが急性呼吸不全のため都内の病院で死去した。響龍さんは春場所13日目の取組で、すくい投げを食った際に頭部を強打。自力で立ち上がることができず都内の病院に救急搬送された。

負傷時は協会関係者に体のしびれにより首から下が動かないと訴えていたが、入院後は徐々にまひした体が動くようになった。しかし、容体が急変して死去。今回実施した講習会について芝田山広報部長(元横綱大乃国)は以前に、1月の初場所で脳振とうを起こした力士がおり、もともと検討していた講習会と説明していた。

土俵周りで行われた「土俵上の応急対応措置講習会」に参加する親方衆ら

関連するニュースを読む

【藤波辰爾50周年連載1】78年飛龍原爆固めで初戴冠「ドラゴン」ブーム

78年、WWWFジュニア王座タイトルマッチで剛竜馬(後方)をやぶり、王座を防衛しベルトとトロフィーを掲げる藤波

<藤波辰爾のプロレス人生50年(1)>

プロレスラーの藤波辰爾(67)が9日にデビュー50周年を迎える。新日本プロレスを立ち上げから支え、99年には社長にも就任。低迷期を乗り越え、1度も引退することなく、現在でもリングに立ち続ける。日刊スポーツでは「藤波辰爾のプロレス人生50年」と題して、6回にわたり連載する。第1回はプロレスラー藤波辰爾。【取材・構成=松熊洋介】

★必殺技「ドラゴン・スープレックス・ホールド(飛龍原爆固め)」 1978年(昭53)1月23日、無名ながらWWWF(現WWE)ジュニアヘビー級王座を獲得。王者エストラーダにフルネルソンを決めたまま、原爆固めの要領で後方に投げ、そのままフォールした。

★「ドラゴン」ブーム 78年の王座獲得で一気にスターダムに。日本でも女性や子供のファンを獲得。ジュニアながら、ブルース・リーをほうふつさせる肉体美、軽快な動きから名前の「辰=龍」にちなんだ「ドラゴン」ブームを巻き起こした。

★「オレはお前のかませ犬じゃねえ」 81年にはヘビー級転向。82年からは「飛龍十番勝負」でホーガン、ブッチャーらと戦った。同10月には長州との抗争が勃発。「オレはお前のかませ犬じゃねえ」という暴言を吐かれ、大乱闘。その後も感情むき出しの“ケンカ”が続いた。

★師匠アントニオ猪木との激戦 85年12月のIWGPタッグ・リーグ優勝戦でも、この大技で師匠アントニオ猪木からフォールを奪った。88年にはIWGPヘビー級の防衛戦に猪木が挑戦、60分間戦った末に引き分けた。

★ケガとの戦い 89年にベイダーとの一戦で腰を負傷。選手生命の危機に立たされた。「立って歩けないくらいくらいになった」。1年半後に復帰も、痛み止めを飲みながらの戦いはその後も続いた。93年にはG1クライマックス、94年にはIWGPヘビー級王座を獲得。

★社長就任 99年に新日本プロレスの社長に就任し、第一戦から退いた。格闘技ブームや他団体の盛況もある中で低迷期を支え続けてきた。04年に社長を辞任。06年に新日本を退団する。

★現在 「ドラディション」を立ち上げ、11年には長州らと「レジェンド・ザ・プロレスリング」も旗揚げ。15年3月には、猪木に次いで日本人2人目となるWWE殿堂入りを果たした。昨年からは「日本プロレス殿堂会」を発足させて、後世の育成にも尽力する。「50年という感じはしないが、いろんな人と話をするとよみがえってくるので年月は感じる。いろんな歴史を見てきた中でいい経験をさせてもらっている」と話した。

第2回は、波瀾(はらん)万丈の人生を歩む藤波のプロレスとの出会いに迫る。(つづく)

◆藤波辰爾(ふじなみ・たつみ) 1953年(昭28)12月28日、大分県生まれ。中学卒業後、70年に日本プロレスに入団。猪木の付き人をしながら、71年5月9日、北沢戦でデビュー。71年猪木らとともに新日本プロレス移籍し、旗揚げより参戦。75年に欧州、米国遠征し、76年NWAデビュー。78年WWWFジュニアヘビー級王座を獲得(その後防衛計52回)し凱旋(がいせん)帰国。81年ヘビー級転向。88年にIWGPヘビー級王者に輝く。89年に腰痛を患い、1年3カ月休養。99年に新日本プロレス社長就任、03年に辞任。07年無我(後のドラディション)の代表取締役に就任。15年3月WWE殿堂入り。183センチ、105キロ。

83年10月26日、タッグ戦で長州力(下)に逆サソリ固めで攻める藤波
83年11月19日、新日本プロレス千葉大会でリングに上がった左から藤波、アントニオ猪木、ハルク・ホーガン

関連するニュースを読む

明生「まずは三役に上がりたい」豊昇龍、天空海らを相手に約20番

夏場所に向けてマスクを着用しながら稽古に励む明生(日本相撲協会提供)

大相撲夏場所(9日初日、東京・両国国技館)で東前頭2枚目に就いた明生(25=立浪)が新三役への思いを語った。5日、茨城・つくばみらい市での部屋での稽古後、報道陣の電話取材に応じた。春場所では2大関撃破を含む10勝5敗で、初めての敢闘賞も獲得するなど飛躍。自己最高位に並ぶ夏場所に向けて「しっかり気持ちを強く持って自分の相撲を信じて、15日間取り切れば大丈夫。まずは三役に上がりたい気持ちを強く持っています」と意気込んだ。

左上腕の負傷で昨年初場所を休場して以降、専属トレーナーをつけた効果が出ているという。「(専属トレーナーとのトレーニングを)週4回くらい、2時間くらいやっている。相撲は動きがある中でのトレーニングなので、動きを取り入れたトレーニングだったり、そういうことを意識しながらやっている。全部(相撲に)生きていると思う」。稽古熱心で知られるが、けがをするまでは土俵外でのトレーニングに頓着していなかった。「相撲を強くなるのは相撲しかないという意識ではいたので、そこの意識、考え方が少し変わった」と明かした。

11年技量審査場所が初土俵で、夏場所から11年目となる。大関復帰を果たした照ノ富士や、幕下15枚目付け出しでデビューした日体大出身の千代大龍らが同期。中学を卒業して15歳で入門した明生は「学生の人たちに負けたくないなとずっと思ってましたね」。新弟子のとき、教習所の稽古ではレベルの高いA土俵へ勝手に乗り込んでいたと振り返る。「吹っ飛ばされていた。(相手は)学生ばっかりで。何か負けたくなかったので(A土俵に)いったんですけど、全然相手になっていなかったと思います」。元来の負けず嫌いだった。

入門から丸10年がたち、三役目前の地位まで番付を上げた。「やはり三役とかそういうことより、入門したときからずっと横綱になりたくて入ってきた。簡単なことではないが、横綱にと思ってやってきて入ってきたので、ずっと思って10年たった」。高い志を持って今後も出世を目指す。

この日は平幕の豊昇龍、天空海らを相手に約20番取って汗を流した。初日まで残り4日。「上位なので厳しい戦いになると思う。しっかり勝ち越せるように強い気持ちで土俵に上がりたい」と話した。

関連するニュースを読む

宇良、憧れた“ミニマリスト”に転身「何をやるか明確に」本業にも好循環

夏場所に向けて稽古に励む宇良(左)(日本相撲協会提供)

大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)で西十両2枚目に就いた人気業師の宇良(28=木瀬)が3日、“ミニマリスト”になったことを明らかにした。報道陣の電話取材に応じ「最近ミニマリストに憧れていた。本格的に始めたのは去年の4月くらい。いろいろメリットがあるので」と説明した。

物欲が強いタイプではないが、もらい物などを部屋にため込んでしまう傾向があったという。「(昨年春に)大阪に帰ってから、ずっとユーチューブで勉強して、本も読んできた。(何冊読んだかは)読み過ぎて分からない」。現在は服なども必要な分だけ残し、Tシャツは5枚に厳選。服選びに費やす時間や、部屋掃除の時間が減った。「自分に必要なものは何かを見つめ直せた。整頓もしなくていい。置く場所も決まっている。モノの住所を決めるじゃないけど、自然とちらからないような部屋になった」。紙媒体で読んでいたミニマリスト関連の書籍は古本屋に売り、電子書籍に切り替える徹底ぶりだ。

ミニマリストに転身したことで、本業の相撲でも「(プラスになったことは)ありますよ。自分が日常で何をやるか明確になった。自分に使う時間も増える」と強調する。関取復帰3場所目となった先場所は、左ふくらはぎの負傷で途中休場がありながら2桁白星に到達。17年九州場所以来の幕内復帰も見えてきた。

公称の体重は143キロ。「自分で言うのもなんなんですが」と前置きした上で「昔(幕内で活躍していた時期)の動きにはついていけないが、絶対体は強くなっている。失ったものを別のもので補っている感じ」と説明。アクロバティックな動き以上に、力強くなった押しの威力を好調の要因に挙げた。

押しに磨きをかけるため、さらなる体重増が必要と考えている。自身の食の細さを認める宇良。「楽しく(食事を)している人がうらやましい。僕はけがもあって仕方なくこういう形で取っているけど、仕方ないからやっているだけ。僕は痩せたいです」と冗談っぽく話し、笑いを誘った。

夏場所に向けて稽古に励む宇良(日本相撲協会提供)

関連するニュースを読む

両国国技館土俵周りで「土俵上の応急対応処置講習会」を開催 相撲協会

響龍さん(2020年7月21日撮影)

日本相撲協会は30日、5月7日に東京・両国国技館の土俵周りにて「土俵上の応急対応処置講習会」を開催することを発表した。

審判、警備担当の親方衆、医師、その他スタッフが参加する。

前日29日には境川部屋の三段目力士、響龍の天野光稀(あまの・みつき)さんが急性呼吸不全のため東京都内の病院で死去した。響龍さんは春場所13日目の取組で、すくい投げを食った際に頭部を強打。自力で立ち上がることができず都内の病院に救急搬送された。

負傷時は協会関係者に体のしびれにより首から下が動かないと訴えていたが、入院後は徐々にまひした体が動くようになった。しかし28日に容体が急変して死去。入院先で寝たきりの状態が続いており、肺血栓を患っていたという。

春場所(両国国技館)は、講習会から2日後の5月9日に初日を迎える。

関連するニュースを読む

飯伏幸太が地元凱旋で復帰戦勝利「プロレスの力みんなに」思い出の地で躍動

新日本プロレス鹿児島大会 アーロン・ヘナーレにカミゴェをさく裂させる飯伏幸太(新日本プロレス提供)

<新日本プロレス鹿児島大会>◇29日◇西原商会アリーナ◇観衆1701人

姶良市出身の飯伏幸太(38)が、昨年12月以来となる地元凱旋(がいせん)で、勝利を収めた。

今月4日両国大会でオスプレイに敗れ、自ら提案して創設された、IWGP世界ヘビー級の初防衛に失敗。その後負傷していた足の傷も癒え、25日ぶりにリングに戻ってきた。

棚橋と組んで、コブ、ヘナーレ組と対戦した飯伏は、久しぶりの試合で、みなぎる闘志を見せたかったのか、ニーパッドをつけずに入場。「地元で楽しくプロレスができて最高」と、高い位置からのドロップキックや、勢いのあるエルボー、強烈なジャンピングニー、カミゴェなど軽快な動きでファンを魅了した。横で戦った棚橋も「久しぶりに組んだけど、正直言って別人だった。今日は飯伏の力で勝った」と目を細めた。

高校時代まで過ごした思い出の詰まった地で、地元のスターが躍動した。小学生時代、家族とプロレスを見に行き、興味を持った飯伏少年は、周りの目も気にせず、夢に向かって真っすぐに進んだ。プロレスに対する熱い思いは、職業となった今でも少年時代と何も変わっていない。「休んでいる間に、何か満たされない部分があって、今日少しだけ満たされた。プロレスって楽しくないですか? プロレスができて本当に幸せ」と素直な気持ちを語った。

プロレスラーになったころは、路上など、お客さんがほとんどいないところでも興行を経験。コロナ禍で中止となる地域もある中、観客の前で、しかも地元で試合ができることに喜びを感じている。「見に来られる場所が減っている中、制限はあるけど、何千人の前で試合ができるだけでうれしい」。もちろん、自分が満足するだけでなく「元気を与えたい。プロレスの力をみんなに伝えたい」と役割も理解している。

試合後には対戦したコブにシングルマッチを要求。「まだまだ刺激が足りない。もっとください」と5月15日横浜スタジアム大会での対決を熱望した。レスリングで五輪出場の経験もあるコブに対し「彼はアスリート。自分にはその能力が欲しい。今、1番悔しいと感じている」と明かした。「僕はチャレンジする」。失ったベルトを取り戻すため、飯伏が大好きな鹿児島から再スタートを切った。

関連するニュースを読む

【記者の目】響龍さん死去は大相撲の未来に警鐘 頭部強打で迅速に対応を

響龍さん(2020年7月21日撮影)

<記者の目>

大相撲の境川部屋の三段目力士、響龍(ひびきりゅう)さん(本名・天野光稀)が28日午後6時20分、急性呼吸不全のため東京都内の病院で死去した。日本相撲協会が29日、発表した。28歳だった。響龍さんは、春場所13日目の取組で頭部を強打。救急搬送されて入院中だった。現役力士の死去は、昨年5月に新型コロナウイルス性肺炎による多臓器不全でなくなった三段目の勝武士さん以来。取組で負傷した力士が死亡するのは異例の事態となった。

   ◇   ◇   ◇

あらためてアクシデントが発生した際の協会の対応を振り返った。取組後、響龍さんはうつぶせのまま動けず、倒れてから約1分後に呼び出し3人があおむけにした。その約3分後、国技館内の相撲診療所から医師が到着。響龍さんの状態を確かめ、担架に乗せて土俵を降りて救急搬送した。一連の対応に、約6分以上の時間を要した。

協会としてはできる限りの対応をしたと見るべきか。しかし、響龍さんが6分間以上、土俵に倒れていたのは、異様な光景に見えた。医師の到着が遅くはないか、もっと迅速に対応できなかったのか、そう思わざるを得なかった。

春場所後に行われた審判部による夏場所番付編成会議では、土俵近くに医師を滞在させた方がいいのではないか、という意見が出たという。今後は日本相撲協会として対応を考えることになる。当時の取組後の対応などについて問われた芝田山広報部長は「ここでは何とも言えない。後日、まとめてお伝えできる状態にしたい」とした。相撲協会は5月7日に警備担当の親方衆や若者頭らを集めて「土俵上の緊急対応講習会」を実施する。響龍さんの死去は、大相撲の未来に警鐘を鳴らす形になった。【佐々木隆史】

【プロボクシングはドクター義務づけ】

○…プロボクシングの興行では日本ボクシングコミッション(JBC)のライセンスを持つコミッションドクターが、リングサイド最前列に着席して立ち会うことを義務づけている。レフェリーの要請があれば負傷ボクサーの診断をし、緊急事態が起こった場合は速やかに応急の処置をとる。また、ボクサーに試合を続行させることが適切でないと判断した場合は、レフェリー及びJBCに試合中止を勧告する権限もある。試合前日の計量から立ち会い、身体検査も行う。

関連するニュースを読む

【最近の土俵上アクシデント】脳振とうの再取組、湘南乃海の一番で規則変更

響龍さん(2020年7月21日撮影)

大相撲の境川部屋の三段目力士、響龍(ひびきりゅう)さん(本名・天野光稀)が、急性呼吸不全のため東京都内の病院で28日に死去した。日本相撲協会が29日、発表した。28歳だった。響龍さんは、春場所13日目の取組で頭部を強打。救急搬送されて入院中だった。現役力士の死去は、昨年5月に新型コロナウイルス性肺炎による多臓器不全でなくなった三段目の勝武士さん以来。取組で負傷した力士が死亡するのは異例の事態となった。

   ◇   ◇   ◇

◆最近の土俵上のアクシデント 初場所10日目、幕下の湘南乃海-朝玉勢戦でのこと。最初の立ち合いは手つき不十分だったとみられ、行司が待ったをかけた。しかし、頭同士がぶつかり、湘南乃海がフラフラになって立てなくなった。脳振とうになったとみられる。審判団が協議し、本人の意思を確認した後に取組をやり直した。だが、この判断は危険だったとされ、日本相撲協会は初場所後の理事会で審判規則の一部を変更。「審判委員は、力士の立ち合いが成立する前に、相撲が取れる状態でないと認めた場合には、協議の上で当該力士を不戦敗とすることができる」とした。

朝玉勢(手前)と立ち合い不成立となるもフラフラになり立てない湘南乃海(21年1月19日)
朝玉勢との立ち合いが不成立となるもフラフラになり立てない湘南乃海(後方)は審判団が話し合う中、花道で険しい表情を見せる(21年1月19日)

関連するニュースを読む

響龍さん死去 28日に容体急変 「たんがよくたまる」入院中に訴えていた

響龍さん(2020年7月21日撮影)

大相撲境川部屋の三段目力士、響龍(ひびきりゅう)の天野光稀(あまの・みつき)さんが28日午後6時20分、急性呼吸不全のため東京都内の病院で死去した。日本相撲協会が29日、発表した。28歳だった。響龍さんは、春場所13日目の取組で頭部を強打。救急搬送されて入院中だった。現役力士の死去は、昨年5月に新型コロナウイルス性肺炎による多臓器不全でなくなった三段目の勝武士さん以来。取組で負傷した力士が死亡するのは異例の事態となった。

   ◇   ◇   ◇

懸命の祈りも届かなかった-。響龍さんが亡くなり、電話取材に応じた芝田山広報部長(元横綱大乃国)は「何が原因か、因果関係は分からない。こんなことが起きるとは誰も思っていない」と突然の訃報に戸惑いを隠せなかった。

響龍さんは春場所13日目の取組で、すくい投げを食った際に頭から落ちた。近くで見ていた関係者によると、頭部が俵と土俵の間に挟まるかたちで首に圧力がかかる不運があったという。意識はあったがうつぶせのまま立つことができず、倒れてから約1分後に、呼び出し3人があおむけにした。審判の親方衆や医師らが容体をうかがうなどし、倒れてから約6分後に担架に乗せられて土俵を降り、都内の病院に救急搬送された。響龍さんは救急搬送された際、協会関係者に体のしびれにより首から下が動かないなどと訴えていた。

救急搬送された翌日には、師匠の境川親方(元小結両国)が協会広報部を通じて「いま、一生懸命、治療に専念しています」とコメントしていた。関係者によると、入院していた響龍さんは、徐々にまひした体が動くようになっていたという。しかし、28日に容体が急変し、死去した。入院生活で寝たきりの状態が続いており、肺血栓を患っていたという。また、関係者には「たんがよくたまる」などと訴えていたという。取組でのアクシデントがきっかけとなった死去は、異例のことだ。

芝田山広報部長は「搬送された後は入院していたが、意識はあって話ができるとは聞いていた。若い力士が亡くなったことは非常に切なく、残念」と悔やんだ。葬儀・告別式は境川部屋関係者のみで執り行われる。夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)まで10日と迫る中、角界が大きな悲しみに包まれた。

◆響龍光稀(ひびきりゅう・みつき)本名・天野光稀。1993年(平5)3月17日、山口県下関市生まれ。山口・響高校(現下関北高)相撲部出身で、11年5月の技量審査場所で初土俵。最高位は19年秋場所での西三段目24枚目。通算195勝206敗5休。

響龍さん(2020年7月21日撮影)

関連するニュースを読む

ONE王者青木真也「格闘技って一期一会」1勝1敗フォラヤンと3度目対決

フォラヤン(左)と青木真也(2019年3月28日撮影)

アジアを拠点とする格闘技団体ONEチャンピオンシップの元ライト級王者青木真也(37)が29日、シンガポール・インドアスタジアムで開催されるONE on TNT4大会でエドゥアルド・フォラヤン(36=フィリピン)と対戦する。

両者は16年11月、19年3月に続く3度目対決で、過去2戦は1勝1敗。元王者同士が決着戦を迎える。

当初、青木が対戦予定だった元UFCファイターのセージ・ノースカット(米国)が新型コロナウイルス感染の後遺症で欠場。急きょ対戦相手変更となったものの「普通に毎日練習をしているので、特に影響はないんじゃないかな」と冷静そのもの。ファラヤンとの3度目対決は望んでいなかったとしながらも「1試合、1試合、別ですよね。格闘技って一期一会なもんだし。全試合別ですからね。お互いで年を取って衰えもあるけれど、その分お互いに経験した分もあって、また2人で新しい勝負になるから。厳しい試合が待っているんじゃないかなと思います」と気を引き締めた。

一方、フォラヤンは当初対戦予定だった秋山成勲の負傷欠場で青木との3度目対決が決まったこともあり「お互いの試合の相手が欠場になり、また会うしかなかったのだろう。当然、別の選手に向けての準備だったから、別のスタイルに向けて練習していた。シンヤとの3度目の試合に向けて、戦略などを変えなくてはならなかった。アジャストするところは多いけれど、相手の変更にとらわれず、自分の最高のパフォーマンスを見せたい。また会える、いい機会だ」と平常心を貫いていた。

関連するニュースを読む

プロレスと格闘技「道」追求もいまだ届かぬ境地/タイガーマスクの40年3

初代タイガーマスクこと佐山サトル(2007年4月26日撮影)

「タイガーマスク」佐山サトル(63)は、プロレスだけでなく、格闘技にも力を注いできた。23日にデビュー40周年を迎える初代タイガーマスクの記念大会「ストロングスタイルプロレス」(22日、後楽園ホール)に向け、佐山が日刊スポーツの取材に応じた。「タイガーマスクの40年」と題した連載最終回(全3回)は、格闘技の世界へ。

衝撃的なデビューから2年がたった。3年目に突入した83年も、タイガーマスク人気は衰える気配はなかった。試合をこなし、イベントに顔を出し、殺到するマスコミ取材に対応する…。プロレスラーとして誰もが羨望(せんぼう)する地位を築いた。リング上のパフォーマンスも円熟味を増していた。しかし、25歳になった佐山は、そんな現状に物足りなさを感じていた。

78年5月のデビュー戦後間もなく、新日本に新設するマーシャル・アーツ部門の「第1号選手にする」と指名された。以来ずっと、佐山は格闘家になるための練習を続けていた。実は「18歳くらいから格闘技を取り入れようと考えていた」という。メキシコ、英国での海外修行中も、自室に自腹で購入したサンドバッグを備え付けた。タイガーマスクになってからも、毎朝の走り込みを欠かさず、イメージトレーニングも続けていた。

83年6月12日、タイガーマスクは突然赤いパンタロンを履いてリングに登場した。メキシコシティーでのフィッシュマンとのWWF世界ジュニアヘビー級王座決定戦で、マーシャル・アーツで着用するコスチュームをまとった。得意の4次元殺法も駆使したが、それ以上に蹴り技で相手を圧倒した。負傷により1度手放した王座を奪回するとともに、格闘技への情熱をリングの上でアピールした。

心の中に閉じ込めていた欲求をリング上で解放したことで、佐山は腹の底から沸き上がる格闘技への情熱を抑えることができなくなった。フィッシュマン戦から国内シリーズが開幕する同7月1日までの半月間で引退の意志を固めた。同シリーズでもパンタロンをはいて戦い続けた。ファイトスタイルも格闘家に近くなっていた。佐山の心は完全にタイガーマスクから離れていた。

83年8月、新日本に契約解除を告げ、引退を表明した。84年2月、タイガージムを設立して新しい形を模索。ジム開設から2年後の86年6月、ついに理想とする格闘技「シューティング(現・修斗)」の記念すべき第1回大会を開催した。グローブやリングなど、考えたルールは60項目にもなったという。ジムでは技術を教え、選手を育てた。「プロレスラーは、寝技はやっているが、打撃も含め、総合的なものをやっていこうと新しい競技を作った」。

プロレス界で革命を起こした男が、格闘技というリングで先駆者になった。「プロレスと格闘技は融合しない」という理論は今も変わりはない。「格闘技の世界では1回負けることは許されない。選手は命を懸けて勝つための練習をやって、リングに上がっている」。プロレスと格闘技をへてたどり着いたのは「プロレス最強」。プロレスラーは格闘家としての強さを備えた上で、ファンを喜ばせるテクニックを身につけていなければならないという。

22日の大会で、リングに上がる愛弟子のスーパータイガーは、格闘家からプロレスに転向した。自身の精神論に一番近いと考える。「まだプロレスに慣れていないところがある。体で表現できていないというか。そこがしっかりしてくれば、分かってくると思う」と愛弟子の成長に期待する。

いずれは礼儀を重んじ相撲、柔道のような「道」を作りたいと考えている。「シューティングも武道にしたくて修斗という(漢字の)名前にした」。天覧試合をやろうと計画したこともあった。技術は教えられても、精神的な部分は現在も模索中だ。自身もまだその境地にたどり着いてないという。「精神を統一して、不動心で試合に臨む。そのためにはメンタル、人格、平静心を鍛えていかないと。できていないファイターも多い。弟子たちには話したりしているが、なかなか伝えきれていない」。

プロレスを守り、格闘技の選手を育てる。2つの魂を持ちながら佐山はこれからも「道」を追及し続ける。(おわり)【松熊洋介】

スーパー・タイガーと初代タイガーマスクこと佐山サトル(2017年11月24日撮影)
「タイガージム」をオープンさせ写真に納まる初代タイガーマスク(1984年2月撮影)

関連するニュースを読む

ボクシング世界王者奥田朋子が前王者吉田実代と初防衛戦 敵地で再戦

奥田朋子(2016年7月20日撮影)

ボクシングのWBO女子スーパーフライ級王者奥田朋子(37=ミツキ)が6月29日、東京・後楽園ホールで前王者の吉田実代(33=三迫)と初防衛戦に臨むことが16日、発表された。

20年12月13日、エディオンアリーナ大阪第2競技場で王者吉田に挑戦し、5回に偶然のバッティングで右目上をカットした影響で、6回に試合ストップ。3-0の負傷判定勝ちを収め、世界初挑戦で王座奪取に成功していた。今回は会場をホームからアウェーに移したダイレクトリマッチとなる。

関連するニュースを読む

WWE、元王者サモア・ジョーら9選手解雇、祭典翌週での発表に衝撃走る

米プロレスWWEは15日(日本時間16日)、元WWE・US王者サモア・ジョー(42)ら9選手の解雇を発表した。

ジョーは米国でWWE、ROH、TNA、日本ではゼロワンで活躍し、日米で人気のあるサモア系米国人レスラー。WWEではNXT王座、US王座を各2度戴冠していた。近年は脳振とうなどの負傷が続き、ロウ大会の解説者などを務めていた。

また女子選手ではWWE女子王座5回、ディーバズ王座1回の計6回王座戴冠を誇るミッキー・ジェームス(41)や、ユニット「アイコニックス」として活躍した元WWE女子タッグ王者ビリー・ケイ(31)、ペイトン・ロイス(28)もそろって解雇となった。

年間最大の祭典レッスルマニア37大会を終えた翌週での主力メンバーのリリース発表は衝撃が走った。

今年3月からWWE選手部門の責任者に再び就任したジョン・ローリナイティス氏(58=元全日本プロレスのジョニー・エース)は米メディアに対し、予算削減が複数選手の解雇理由だと明かしているという。WWEは新型コロナウイルス感染拡大を受け、年間の予算削減を掲げている。

なお解雇された選手たちは次の通り。

(1)サモア・ジョー

(2)ミッキー・ジェームス

(3)ビリー・ケイ

(4)ペイトン・ロイス

(5)チェルシー・グリーン

(6)カリスト

(7)タッカー

(8)ウェズリー・ブレイク

(9)ポー・ダラス

関連するニュースを読む