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2代目若乃花と隆の里が乗った伝説の夜行列車を解明

著書「大相撲と鉄道」が発売された行司の木村銀治郎

<「大相撲と鉄道」後編>

大相撲の幕内格行司、木村銀治郎(46=峰崎)の初の著書「大相撲と鉄道」がこのほど、交通新聞社新書から出版された。この本の魅力について、銀治郎に聞いた。後編です。【取材・構成=佐々木一郎】

-本書では、角界における伝説の夜行列車「ゆうづる」についても解き明かしています。今から50年以上前、当時の二子山親方(元横綱初代若乃花)が、青森で2人の少年をスカウトし、同じ列車で上京。2人はのちに横綱2代目若乃花と横綱隆の里になりました。本書では、あの列車を特定しました

「あの列車について、正確に書かれた文献がまったく見当たらなかったんです。いいかげんに書かれたものもありました」

-上京したのは昭和43年6月6日と書かれていましたが

「いろんな文献で、日にちは分かっていました。当事者が後年語っていた内容には、やや記憶違いになっていた部分もありました。例えば、寝台3段の真ん中に寝たって書いてあったものもありましたが、A寝台に3段はないので、真ん中に寝るのは不可能です。文献は花田勝治さん(元横綱初代若乃花)や、若三杉さん(のちの横綱2代目若乃花)の自伝や、ベースボール・マガジン社のDVDマガジンなども確認しました。当時の時刻表は、本当は鉄道博物館で調べたかったのですが(昨年の一時期は)閉まっていたので、ヤフオクで落札しました」

-時刻表で、ゆうづるは1日1往復だったことがわかったんですね

「そうです。何時まで寝台が使えるかどうかも時刻表を見れば書いてあります」

-鳴戸親方(元横綱隆の里)が後年「茨城県に差しかかるころには外は明るかった」と証言したことをもとに、本書では列車の通過時刻と日の出の時刻まで調べてありました

「日の出の時間は、気象台のホームページで調べました。資料が公開してあるサイトがあるんです」

-すべて分かった時は、どう思いました

「調べれば分かることだったんで…。きちんとやっておかないといけないんじゃないかと思っていました。自分もちょっとこだわっていたところなんです」

-コロナ禍にあり、今は本場所の地方開催や巡業がありません。早く元に戻って欲しいですね

「僕も丸1年、東京駅に行っていません。7月は、名古屋に行きたいですね。鉄道と一緒でトンネルをくぐったら、必ず出口はあるんですよ。どんなに真っ暗な長いトンネルでも前に進んでいれば光は見えてくる。あとは抜けるだけです。僕らは止まっちゃいけないんです。まだトンネルの中にいますが、早く抜けられるように努力しないといけませんね」

著書「大相撲と鉄道」が発売された行司の木村銀治郎

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千代の富士5発で沈めた小錦/記者振り返るあの瞬間

84年9月、秋場所14日目、千代の富士(右)に押し出しで勝った小錦

<スポーツ担当記者 マイメモリーズ(50)>

真っ暗な会場に蛍の光が流れ、観客もペンライトを振りながら歌う。ドームのお別れコンサートではない。中心には羽織はかまや締め込み姿の大男がいた。蔵前国技館最後の場所となった84年秋場所千秋楽。しんみりとしたフィナーレも、初日前から何かざわつき、列島を騒がせた場所だった。

場所前に立ち合い研修会があり、必ず両手をつく正常化が打ち出された。マラソンのスタートのような立ち腰、自分勝手な立ちしぶりなどが目立っていた。春日野理事長と二子山理事長代行という栃若の厳命に、力士は神妙ながら戸惑った。実際に場所ではチョン立ちで不成立とされ、5度仕切り直した一番もあった。

夏場所全勝優勝で復活した北の湖が、首を痛めて3日目から休場した。千代の富士、隆の里の両横綱に、2度目の横綱挑戦の若嶋津も早々に土がついた。全勝ターンは平幕多賀竜だけ。土俵は腰が据わらず、落ち着きがなかった。

混沌(こんとん)とする中、終盤戦に大旋風が起きた。入幕2場所目の小錦が10日目に勝ち越し、優勝戦線に生き残っていた。11日目には隆の里を押し出し、横綱初挑戦で初金星を挙げる。入門してまだ2年2カ月も破壊力抜群だった。

さらに若嶋津の綱とりを阻み、次期大関候補大乃国も撃破する。14日目には千代の富士をもろ手突き5発で吹っ飛ばした。多賀竜に1差で、千秋楽に大逆転Vがかかった。黒船襲来。300年の国技を揺るがすと言われた激震となった。

当時の記者クラブは別棟2階にあった。片隅に昼寝できる畳敷きスペース、雀卓も置かれていた。支度部屋ではたばこが吸え、力士は素足で床に踏みつけて消していた。おおらかだが、閉鎖的でもあった。

当時の外国人力士は9人で、多くの親方衆は否定的だった。ハワイ生まれの若造に次々と看板力士が倒されて「日本人の恥」とまで言った親方もいた。小錦も「協会はこれね」と頭の両脇に指を立ててみせた。「怒ってるでしょ。外国人がダメなら入れなければいい。力士になったボクは勝つだけ」と言ったものだ。

72年名古屋場所で外国人初優勝の高見山は夏場所で引退していた。バトンを受けた後輩の快進撃。大関、横綱も現実味を帯びたが、結果的に琴風に敗れて優勝はならず。翌九州場所はケガで途中休場。協会幹部は胸をなで下ろし「相撲は甘くない」と言い放った。

その後は大けがもあり、大関になったのは3年後の87年夏場所後だった。89年九州場所で初の賜杯も手にしたが、横綱の座は遠かった。ハワイの後輩の曙にも追い抜かれた。大関陥落決定の黒星は、横綱曙に喫したもの。陥落後はしのびない土俵もあった。

それでも200キロを超す巨体から爆発させた、驚異のパワーは衝撃の記憶だ。今も世界中で人種差別が問題となっている。角界でその壁を乗り越え、外国人初の大関となった。あの蔵前の悔しさが始まりで、両国国技館でのモンゴル全盛への道筋も作ったと言えるだろう。【河合香】

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「見えてる」83年ぶりチン事/夏場所プレイバック

2000年5月14日付日刊スポーツ

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。4日目は文字どおりの「珍事」です。

<大相撲夏場所プレイバック>◇4日目◇2000年5月13日◇東京・両国国技館

三段目の取組でその“チン事”は起きた。千代白鵬とガップリ左四つに組んだ朝ノ霧が右の上手を離し自分のまわしを抑えた。まわしはズルズルほどけ、ついには「ご開帳」。土俵下の審判員たちが「まわしだ! まわし! 見えてる! 見えてる!」と必死に叫んだ。“あそこ”が本場所では83年ぶりの珍事。勝負規定第16条により千代白鵬の反則勝ちとなった。

「まわしと腹の間がゆるゆるになってヤバイ、ヤバイと思って……」。まわしが短かったことで珍事発生となった朝ノ霧は「出費は痛い」と言いながら、悪夢再現は御免とばかりに帰り際、7メートルのまわしを5600円で購入した。

衛星第2放送で生中継していたNHKも肝を冷やしたが幸い、局部は映らなかった。それでもこの珍事はロイター通信によって「スモウ・レスラーのアサノキリの『MANHOOD(男性自身)』が(中略)試合とともに品位も失った」と世界に打電された。

協会上層部も右往左往。「東方力士の前袋が落ちたので、西方力士の勝ちとします」と場内説明した鳴戸審判長(元横綱隆の里)は「完全に見えちゃったからな。現実をそのまま説明していいものかどうか考えたよ」と困惑すれば、時津風理事長(元大関豊山)も「いくら公開ばやりでも、あんなもんは公開するもんじゃない」と苦笑しきりだった。

まわしが外れて反則負けとなった朝ノ霧は珍妙なポーズで状況を説明する(2000年5月13日撮影)
所が見えるハプニングで反則負けとなった朝ノ霧(土俵右)。左は勝ち名乗りを受ける千代白鵬(2000年5月13日撮影)

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元稀勢の里は父はさみで涙、系譜継ぎ横綱育成誓う

父・萩原貞彦氏にはさみを入れられる元横綱稀勢の里の荒磯親方(撮影・鈴木正人)

1月の初場所中に引退した大相撲の元横綱稀勢の里の荒磯親方(33)が「力士の象徴」という、まげと別れを告げた。

29日、東京・両国国技館で引退、襲名披露大相撲を、1万人を超える観衆が集まる大盛況の中で開催。約300人がはさみを入れた断髪式の終盤には、涙も流した。今後は師匠の隆の里、さらにその師匠の初代若乃花と3代続く横綱の系譜を受け継ぎ、横綱を育てることを誓った。

   ◇   ◇   ◇

断髪式も残り15人となったところで、大粒の涙が、荒磯親方の右目から流れ落ちた。父萩原貞彦さんがはさみを入れ、労をねぎらわれた時だった。幼少から元アマチュアボクサーの父、中学卒業後からは、先代師匠の故鳴戸親方(元横綱隆の里)に厳しく育てられた。この日はちょうど先代の誕生日。土俵を「崖っぷちだと思え」と、命がけの戦場にたとえた先代は、8年前に他界した。怖かった父にも優しくされ、約17年間の土俵人生が終わったことを再認識。感極まった。

その後は次々とライバルがはさみを入れた。04年九州場所で同時に新入幕を果たした元横綱日馬富士のダワーニャム・ビャンバドルジ氏や、白鵬、鶴竜の現役両横綱、史上最多66度も対戦した前頭琴奨菊-。「一緒に戦ってきた仲間。特別な思いがある。いろんな方に来ていただいて幸せです」。国技館の土俵で、そんな面々から「お疲れさま」と声を掛けられた。再び涙腺が緩みかけたが、踏ん張った。

1万人超の観衆からは何度も稀勢の里コールが起きた。「ありがたい。あの歓声が最後と思うとさびしい。あの歓声に何度も助けられたから」。左大胸筋を断裂しながら「損傷」と軽い診断名を発表して土俵に立ち、逆転優勝した一昨年春場所を思い返した。

「力士の象徴」という大銀杏(おおいちょう)を落とし、整髪の間に「力士卒業」と切り替えた。次の目標を問われると「健康でいること」と笑った。真意は「健康でないと力士は育てられない」からだという。元横綱初代若乃花から見て孫弟子にあたり、横綱の系譜を継ぐ珍しい3代目だ。

荒磯親方 横綱(元隆の里)のもとで育ち、横綱とはこういうものと近くで聞いていた。その経験が多少は生かされた部分はある。そういう経験は何人もできるものではない。横綱の気持ち、精神力を教えていくのも務めだと思う。逃げない。一生懸命。正々堂々。それはピンチの時に出る。教えをつなげていきたい。

日本人横綱に託された使命は、後継者の育成に他ならない。【高田文太】

父・萩原貞彦氏にはさみを入れられ涙を拭く元横綱稀勢の里の荒磯親方(撮影・鈴木正人)

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元横綱稀勢の里「ありがとうという気持ちを」断髪式

散髪中の元横綱稀勢の里の荒磯親方(撮影・鈴木正人)

初場所で引退した元横綱稀勢の里の引退、年寄荒磯(33=田子ノ浦)の襲名披露大相撲が29日、東京・両国国技館で開催された。荒磯親方は「長年感謝の気持ちを伝えるために『ありがとう』という気持ちを伝えたかった」と話した。

断髪式には演歌歌手の細川たかし、プロ野球の横浜DeNAベイスターズ元監督の中畑清氏、競泳元日本代表の松田丈志氏ら約300人の関係者がはさみを入れた。細川は「夢を与えてくれた素晴らしい横綱だった」と現役引退を惜しみ、中畑氏は「かっこいい終わり方だった」と右手で親指を立てた。

協会関係者では兄弟子の西岩親方(元関脇若の里)、同じ二所ノ関一門の芝田山広報部長(元横綱大乃国)、親交のある二子山親方(元大関雅山)、稲川親方(元小結普天王)、小野川親方(元前頭北太樹)、現役では白鵬、鶴竜の両横綱、弟弟子の大関高安、平幕の琴奨菊、豊ノ島、歴代横綱では北の富士勝昭氏、石山五郎氏(元三重ノ海)、花田虎上氏(3代目若ノ花)、元横綱日馬富士がはさみを入れた。最後に師匠の田子ノ浦親方(元前頭隆の鶴)が止めばさみを入れた。大銀杏(おおいちょう)に別れを告げた荒磯親方は「あまり実感が湧かない。(大銀杏は)力士の象徴だと思う。力士を卒業してまた1歩だと思った」と力を込めた。断髪式後は審判部で整髪。新しいヘアスタイルでの生活を「想像もつかない」と苦笑いを浮かべた。

この日は8年前に亡くなった先代鳴戸親方(元横綱隆の里)の誕生日。「横綱の気持ち、精神力を僕が育ったように育ちたい」と、部屋付きの親方として後進の指導にあたる今後を見据えた。

散髪を終え笑顔を見せる元横綱稀勢の里の荒磯親方(撮影・鈴木正人)

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初金星に禁断の日本人初ガッツポーズ/井筒親方悼む

84年1月、初場所7日目に全勝の隆の里から初金星を挙げた逆鉾は土俵上で思わずガッツポーズ

大相撲の元関脇逆鉾の井筒親方(本名・福薗好昭=ふくぞの・よしあき)が16日、都内の病院で死去した。58歳だった。秋場所前から体調を崩し、本場所を休場して入院。16日夜に容体が悪くなった。関係者によると、膵臓(すいぞう)がんとみられる。

   ◇   ◇   ◇

土俵ではやんちゃで血気盛んだった。84年初場所7日目に、全勝の横綱隆の里を得意の外掛けで破った。初金星に、思わず土俵上でご法度のガッツポーズをした。それまで高見山が1度やったが、それ以来となる日本人力士で初めてのことだった。

両手をつく立ち合い正常化が求められた秋場所では、取り直し第1号にもなった。大関北天佑をもろ差しで電車道も、九重審判長(元横綱北の富士)に「ちょん立ちだからもう1回」と不可とされた。これに逆鉾はぶぜんとし、審判長をにらみつけながら土俵を横切って戻ったこともあった。

弟寺尾ら昭和38年生まれのサンパチ組が活躍する時代に、2歳年上も存在感があった。父譲りのもろ差しからガブリ寄りが十八番で、相撲っぷりに血統もあって人気者。金星7個に三賞9度。胸を張り、肩をいからせ闊歩(かっぽ)していた。土俵でもアゴが上がる癖が直らなかったが…。

普段はシャイでまじめ。初めて飲んだ時も「記者さん、俺なんか意味ないよ。アビ(弟寺尾の愛称)を誘った方がいいよ」とはにかんだ。小さいころから初代若乃花のファン。雑誌や本を買いあさり、現役時も読みふけった。昭和の土俵を沸かせた個性派だった。【河合香】

井筒親方(10年01月11日撮影)

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元関脇逆鉾、井筒親方が死去 58歳すい臓がんか

優勝した鶴竜に水を付ける井筒親方(2018年5月27日撮影)

大相撲の元関脇逆鉾の井筒親方(本名福薗好昭=ふくぞの・よしあき)が16日、都内の病院で死去した。58歳だった。鹿児島県出身。

関係者によると、死因は膵臓(すいぞう)がんとみられる。弟の元関脇寺尾(現在の錣山親方)、兄の元十両鶴嶺山とともに「井筒3兄弟」と呼ばれ、もろ差しの名人として知られた。引退後は、師匠として横綱鶴竜らを育てた。通夜、告別式などの日程は未定。

   ◇   ◇   ◇

秋場所前から体調を崩していた井筒親方は、本場所を休場して都内の病院に入院していた。だが、16日に容体が悪化し、夜に帰らぬ人となった。同じ時津風一門の親方衆を中心に訃報が伝わり、早すぎる死を悼んだ。

ある親方は「場所前から調子が悪いと聞いていた。それにしても急な話でびっくりしています。信じられません」と話した。急だったため、親方衆が集まる間もなく、日本相撲協会としての対応は17日に検討される見通し。現在は協会の副理事として、巡業部副部長を務めていた。

井筒親方は、父の先代井筒親方(元関脇鶴ケ嶺)の次男として誕生した。1978年(昭53)初場所で初土俵を踏み、81年名古屋場所で新十両、82年九州場所で新入幕を果たした。もろ差しの名人として知られ、殊勲賞5回、技能賞4回を獲得するなど、技巧派力士としてならした。金星は隆の里、千代の富士、双羽黒から7個獲得。87年九州場所から89年春場所まで9場所連続関脇を務めるなど活躍した。92年(平4)の引退後は、井筒部屋の部屋付き親方となり、94年4月の師匠の定年にともなって部屋を継承した。

先代からの弟子を除けば、入門時から関取まで育てたのはモンゴル出身の鶴竜だけ。しかし、その鶴竜を最高位まで育て上げた。入門した時の思い出として、井筒親方は「線が細いから床山にしようかと思ったけど、本人がニコって笑うから、まあいいかと力士として採用した」と話していた。

井筒部屋には現在、横綱鶴竜、三段目鋼、序二段鶴大輝の3人が在籍。部屋が消滅すれば、鶴竜らは今後、どこかの部屋に移籍することになる。実弟が師匠を務める錣山部屋に転籍する可能性もある。

◆井筒好昭(いづつ・よしあき) 本名・福薗好昭。1961年(昭36)6月18日、鹿児島県姶良郡加治木町(現姶良市)出身。78年初場所初土俵、81年名古屋新十両。82年九州新入幕。元関脇鶴ケ嶺の井筒親方譲りのもろ差しで金星7個、殊勲賞5回、技能賞4回と三賞計9回受賞。最高位は関脇。幕内連続出場779回。通算551勝567敗29休。引退後、年寄「春日山」から94年に「井筒」を襲名、井筒部屋を継承した。

井筒親方(2018年12月19日撮影)

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荒磯親方が綱打ち「ちょんまげがなくなるの寂しい」

完成したばかりの綱を締めて、雲竜型の土俵入りを確認する荒磯親方(撮影・高田文太)

元横綱稀勢の里の荒磯親方(33)が24日、都内の田子ノ浦部屋で引退相撲(9月29日、東京・両国国技館)に向けた最後の綱打ちを行った。

「自分が先代(元鳴戸親方=元横綱隆の里)の綱を見て育ったので。無理を言って」と珍しく2本作り、1本は後進が目にできるところに保存し、もう1本を引退相撲で使用する。「ちょんまげがなくなるのは、さみしい。(横綱は)つらいこともあったけど、良いことも多かった」と振り返っていた。

引退相撲に向けて最後の綱打ちに臨んだ荒磯親方(撮影・高田文太)

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振分親方「今の力士を」まわしオファー生真面目固辞

青森・板柳町で行われた夏巡業に参加した地元出身の振分親方(撮影・佐藤礼征)

大相撲夏巡業が14日、青森・板柳町で行われ、勧進元を務めた元関脇追風海の斉藤直飛人(44)は「多くのお客さんが集まって良かった」と胸をなで下ろした。

同町出身で引退後は青森で県議会議員を務め、この巡業では同県の相撲普及を狙った。初代若乃花や隆の里、旭富士を輩出した同県だが、近年は相撲人口が減少傾向。「僕らの頃は青森出身の力士とモンゴル出身の力士が同じくらいいた。昔は相撲か野球しかスポーツがなかったけど今は多様化している。これからまた少しでも増えてくれれば」と斉藤氏。この日は2000人近くの観客が集まり、同県出身の幕内力士である宝富士や阿武咲らが人気を博した。

斉藤氏と同じく同町出身の振分親方(元小結高見盛)は、終始写真撮影やサインを求められる人気ぶり。斉藤氏からは「まわしを締めて相撲を取らないか」と打診もあったが断った。「もう自分は力士ではないので。今の力士たちを見てほしいから、自分が目立つというのはあんまりと思い…」と生真面目に話した。

青森・板柳町で行われた夏巡業で勧進元を務めた元関脇追手海の斉藤直飛人氏(撮影・佐藤礼征)

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元稀勢の里の荒磯親方「緊張」初の相撲中継解説

大相撲生中継の解説に入る、元横綱稀勢の里の荒磯親方(撮影・河田真司)

<大相撲春場所>◇7日目◇16日◇エディオンアリーナ大阪

元横綱稀勢の里の荒磯親方(32)が、NHK大相撲中継の解説を初めて務めた。えんじ色のネクタイ、ストライプの黒スーツに身を包み、NHKの三瓶宏志アナウンサーの質問に答える形で、土俵人生を振り返りつつ、幕内の取組を解説した。

初解説については「ものすごい緊張しています」と言いつつ、その後は滑らかな口調でコメント。横綱昇進後、東京・明治神宮で土俵入りを行った場面には「実は最後、所作を間違えたんです。緊張してましたね」と明かした。2011年11月に急逝した先代師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里)に指導を受ける場面も放送で紹介された。過去の映像にもかかわらず「身が引き締まりますね」と緊張気味に話していた。

解説席から緊張した面持ちで土俵を見つめる、元横綱稀勢の里の荒磯親方(撮影・河田真司)
NHK解説を務める荒磯親方(右)(撮影・渦原淳)

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元稀勢の里「現代風」指導デビュー 高安を横綱に!

稽古後、上がり座敷に座る荒磯親方。木札は「横綱 稀勢の里」から「年寄 荒磯」に変更されていた。右は高安

1月の大相撲初場所4日目で引退した、元横綱稀勢の里の荒磯親方(32)が、部屋付き親方として指導者デビューした。所属する田子ノ浦部屋が4日、都内の部屋で稽古を再開。

現役時代と同じ白い稽古まわし姿で稽古場に下り、若い衆にアドバイスを送った。自らも四股などで体を鍛え、春場所(3月10日初日、エディオンアリーナ大阪)に向け、弟弟子の大関高安の稽古相手に名乗りを上げた。

この日から使い始めた真新しい稽古まわしで、荒磯親方は稽古場にいた。木札も「横綱 稀勢の里」から「年寄 荒磯」へと変更。現役時代は稽古中に声を掛けることはなかった、16歳の序ノ口力士に「何度もやっていれば形になってくるから」と、ぶつかり稽古の押し方から胸の出し方まで優しく教えた。序二段力士には身ぶり手ぶりを交えて助言。慣れない行動を随所に織り交ぜ、初々しい部屋付き親方デビューだった。

稽古後は、これまた公の場では見せたことのなかったジーンズ姿で報道陣に対応した。「みんな強くなってほしい。少しでも、やる気が出るように後押ししたい」と、笑顔を交えて意気込みを語った。自身は元鳴戸親方(元横綱隆の里)の厳しい稽古で強くなった。だが「現代っ子だから現代風にやるしかない」と笑い、スタイル踏襲よりも臨機応変に対応する考えだ。

若い衆への指導と並行して自身の体も鍛えていた。四股で下半身、器具を使って上半身を強化。「大関がいるから。体をつくらないとケガしちゃうから」と、高安の稽古相手に名乗り。これには高安も「ありがたいこと。しっかり準備します」と歓迎した。引退時の188センチ、177キロの体は変わらず貫禄十分。9月29日の引退相撲まで「維持していこうかな」と語った。

現在、高安に次ぐ番付の力士は、三段目と開きがある。高安を横綱にしたいか問われると「もちろん、そうですし、各力士を1つずつ上げていきたい。幕下がいると部屋が活気づく」と力説。十両や幕下が1人もいない現状打破にも意欲的だった。【高田文太】

自ら体を鍛えながら指導した荒磯親方(左端)。木札は「横綱 稀勢の里」から「年寄 荒磯」に変更されていた。左から3人目は高安
田子ノ浦部屋の木札は「横綱 稀勢の里」から「年寄 荒磯」に変更されていた

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元稀勢の里の荒磯親方が指導者デビュー「後押しを」

稽古後、上がり座敷に座る荒磯親方。木札は「横綱 稀勢の里」から「年寄 荒磯」に変更されていた。右は高安

大相撲の元横綱稀勢の里の荒磯親方(32)が、指導者デビューした。部屋付き親方として所属する田子ノ浦部屋が4日、都内の部屋で稽古を再開。荒磯親方は新調した稽古まわしをつけて、土俵周りで若い衆を指導。序ノ口力士に「何度もやっていれば形になってくるから」などとアドバイスを送っていた。

1月の初場所4日目に引退して以降も連日、部屋に顔を出していたが、邪魔にならないよう、稽古後に訪れていた。稽古中に部屋に滞在していたのは引退後、この日が初めてだった。稽古後は「みんな強くなってほしいですからね。少しでも、やる気が出るように後押ししたい」と、指導者としての意気込みを語った。

稽古中は、指導と並行して四股を踏んだり、器具を使って上半身の強化に努めたり、自らの体も鍛えるなど、現役時代と変わらない光景が広がっていた。「大関がいるから。体をつくらないとケガしちゃうから」と、弟弟子の大関高安に胸を出すことを想定。その高安を横綱にしたいか問われると「もちろん、そうですし、各力士を1つずつ上げていきたい。幕下がいると部屋が活気づく」と、高安に続く番付の力士が三段目で、十両や幕下が1人もいない現状打破にも意欲的だった。

自身は元鳴戸親方(元横綱隆の里)の猛稽古で強くなってきた。それだけに、指導者としても厳しく接するか問われると「現代っ子だから現代風にやるしかない」と笑顔を交え、厳しさだけではなく指導していく考えをのぞかせていた。

土俵外での序ノ口力士のぶつかり稽古を指導する荒磯親方(左)。木札は「横綱 稀勢の里」から「年寄 荒磯」に変更されていた

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稀勢の里、故鳴戸親方の誕生日の9・29に断髪式

16日、引退会見で涙を拭う稀勢の里

元横綱稀勢の里の荒磯親方(32=田子ノ浦)は初場所6日目の18日、都内の部屋での朝稽古にも両国国技館にも姿を見せなかった。引退から一夜明けた5日目は、国技館にあいさつに訪れたが2月のNHK福祉大相撲までは職務が未定。国技館への出勤義務はなく、師匠の田子ノ浦親方(元前頭隆の鶴)によると、当面は静養と関係各所へのあいさつ回りなどにあてられるという。

断髪式が行われる引退相撲は9月29日を予定している。くしくも、この日は入門当時から指導を受けてきた、故人の鳴戸親方(元横綱隆の里)の誕生日だ。田子ノ浦親方は「まだ正式にその日に決まったわけではない。たまたまその日になったけど、先代も(天国から)見守ってくれたら」と話した。また、部屋付き親方としての指導者デビューについては、田子ノ浦親方は「(部屋頭の大関)高安も自分の調整ペースがあるから、気を使わせないようにしているのでしょう」と、今場所後にずれ込む可能性も指摘した。数年後には独立する意向で、関係者によると東京都江東区などに部屋候補地があるという。

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お相撲さんイメージ体現 やくみつる氏/稀勢連載1

国技館内を歩きファンと握手する荒磯親方(元横綱稀勢の里)(撮影・柴田隆二)

<稀勢引退~愛された理由(1)>

年寄荒磯を襲名した元横綱稀勢の里が人気絶頂のまま土俵を去った。「稀勢ロス」が広がっている。老若男女を問わず誰からも愛され、人気を集めたのはなぜだったのか。今日から随時、連載します。第1回は好角家として知られる漫画家のやくみつる氏(59)。

   ◇    ◇

多くの人が抱く、お相撲さんのイメージを体現していたのが稀勢の里関だったと思う。お相撲さんは、こうあってほしいというものを持っていた。言い訳もしないし、多くを語らない。でも普段は語らないのに、最後の引退会見では理路整然と話していた。それだけ内に秘めたものなど、普段は語らないからこそ見えてくるものがあった。愚直さが本当に伝わってくる。

相撲も器用なタイプではなかった。どんな相手、立ち合いにも対応できるわけではないような、不器用なところも人を引きつけたと思う。ただ、立ち腰だった割には粘りがあった。(新横綱の17年春場所で)左の胸や腕を大けがをしたことで、上半身に力が戻らなかったことが引退の要因とされている。しかし、むしろ先場所と今場所は下半身の粘りがなくなった。その衰えが引退につながった。

同じような雰囲気を持っているのは、貴景勝関ではないかと思う。左四つの稀勢の里関と同じように、貴景勝関も愚直に突き、押しで番付を上げてきた。言動を見ていても、同じようなものを感じる。他には錦木も苦労人という点で、似たものを感じる。(稀勢の里が引退して今場所4日目に予定されていた初顔合わせが実現せず)最後に取らせてあげたかったですね。

今後は親方として指導するが、引退会見では「ケガのない力士を育てたい」と話していた。(稀勢の里の先代師匠の)鳴戸親方(元横綱隆の里)は「けがは土俵で治せ」という方だったので、少し指導法は違うかもしれない。ただ、同じような雰囲気を持った力士を育ててほしい。

◆やくみつる 本名・畠山秀樹(はたやま・ひでき)。1959年(昭34)3月12日、東京・世田谷区生まれ。漫画家。好角家として知られ、日本相撲協会生活指導部特別委員会委員なども務めた。

ファンに囲まれながら国技館内をあいさつ回りする荒磯親方(元横綱稀勢の里)(撮影・柴田隆二)

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力士仲間に愛された稀勢の里、原点土俵の教習所で幕

引退会見で涙ぐむ稀勢の里(撮影・鈴木正人)

横綱稀勢の里(本名萩原寛、32=田子ノ浦)が引退を表明し、約17年に及ぶ波乱に満ちた力士人生に別れを告げた。

東京・両国国技館で引退会見に臨み「一片の悔いもございません」と大粒の涙を流した。19年ぶりの日本出身横綱として17年初場所で初優勝後、横綱に昇進。中卒たたき上げ、愚直な姿勢から絶大な人気を誇り、誰からも愛される横綱だった。

   ◇    ◇

涙が止まらなかった。冒頭で「私、稀勢の里は、今場所をもちまして引退し」などと、あいさつした時だけ、よどみなく話した。だが最初の質問で、すぐに目には大粒の涙がたまった。「横綱として皆さまの期待にそえないことには、非常に悔いが残りますが…。私の…」。何度も言葉を詰まらせ、泣き顔を見せまいと下を向いた。意を決したように顔を上げ「土俵人生において、一片の悔いもございません」と話すと、こらえ切れずに涙をぬぐった。

前日3日目の打ち出し後に決断していた。初日から3連敗し、自宅へ戻る前に都内の部屋で約1時間半過ごした。そのうち、師匠の田子ノ浦親方(元前頭隆の鶴)と約30分の話し合いは「引退させてください」と切り出した。田子ノ浦親方は「我慢強い男ですから、引退という言葉を使うということは、それなりの覚悟があったと思う」と、決意を受け入れ、引退を慰留することはできなかった。

会見場は15歳で相撲界に入ってから半年間通った、両国国技館内にある相撲教習所だった。すぐ隣には、ほぼ同期の前頭琴奨菊、十両豊ノ島らと連日胸を合わせた、17年間の原点となる土俵があった。その琴奨菊と豊ノ島は、今場所前に「3人で、あのころを思い出してやろう」と、示し合わせて初めて田子ノ浦部屋に出稽古に訪れた。現役生活の最後の思い出もよみがえったのか、涙もろかった。

中学卒業後、鳴戸部屋に入門した。故人の先代鳴戸親方(元横綱隆の里)は「あれは将来、大物になる」と見抜き、すでに三役力士だった若の里に毎日100番も稽古を付けさせた。異例の英才教育で、貴乃花に次ぐ史上2番目に若い18歳3カ月で新入幕。一方で史上2番目のスロー初優勝。それでも愚直に努力で横綱に昇進。不器用さが多くの人に愛された。

新横綱場所で大けがを負い、8場所連続休場、前日3日まで足かけ3場所で8連敗と、ともに横綱ワースト記録を更新した。大けがはひた隠しにしたが、実は左上腕二頭筋断裂だった。「徐々に良くなってきましたが、けがする前の自分に戻ることはできなかった」と話し、号泣する場面も。

愚直に稽古に打ち込む姿勢には、白鵬や日馬富士ら同世代の横綱も「ライバルは稀勢の里」と言い、先輩横綱の朝青龍をも対戦を心待ちにさせた。ファン以上に力士仲間に愛された。先代鳴戸親方から「稀(まれ)なる勢いになれ」と期待された通り、大物になった。悔しくて仕方なくても、好きな漫画「北斗の拳」の登場人物ラオウの名ゼリフを模して「一片の悔いなし」と言い切った。日本中に愛された希代の横綱が、約2年という短い横綱人生に幕を閉じた。【高田文太】

花束を手にする稀勢の里(撮影・鈴木正人)

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心臓から汗を!稀勢の里荒磯襲名4代連続横綱育成へ

花束を手にする稀勢の里(撮影・鈴木正人)

横綱稀勢の里(本名萩原寛、32=田子ノ浦)が、約17年に及ぶ波乱に満ちた力士人生に別れを告げた。

稀勢の里は今後、年寄荒磯(あらいそ)を襲名し、史上2例目となる4代連続の横綱誕生を目指し、後進の指導にあたることになる。入門時から指導を受けた先代鳴戸親方(元横綱隆の里)、その師匠にあたる元二子山親方(元横綱初代若乃花)と、二所ノ関一門における横綱の伝統を受け継ぎ、稀勢の里で3代目だ。

横綱だった師匠がまた横綱を育てる系譜。たとえば出羽海一門では常陸山、常ノ花、佐田の山、三重ノ海、武蔵丸と横綱が5代続く。元武蔵丸の武蔵川親方が、現在も弟子の育成に尽力しているが、稀勢の里にはこれに負けじと、横綱の系譜の継承を期待されている。

昨年11月の九州場所を休場後、自身の稽古と並行して弟弟子の指導も行っていた。自らが保有する上半身を鍛える器具を稽古場に持ち込み、若い衆に筋力強化に努めさせるなど、以前よりも精力的に後進育成に力を注ぎ「みんな力が付いてきた」と目を細めている。

先代鳴戸親方には「心臓から汗をかけ」とハッパを掛けられ、多い日は1日100番にも及ぶ猛稽古で強くなってきた。「心臓から-」は、先代鳴戸親方が、元二子山親方に言われてきた言葉。土俵に命を懸ける心意気を示せという意味もあるという。脈々と受け継がれる教えを踏襲しつつ、現在は部屋の若い衆に四股を踏む際の姿勢から助言。基礎運動重視の伝統的な指導者像もかいま見える。

今場所前は「自分と向き合う稽古もある」との持論を展開し、相撲を取る稽古はこれまでよりも控えめだった。伝統と自身の経験から生まれた指導法で、当面は田子ノ浦部屋の部屋付き親方として指導。その後、荒磯部屋を設立する可能性もある。【高田文太】

引退会見で涙を見せる稀勢の里(撮影・鈴木正人)

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稀勢の里が「引退させてください」昨晩親方に話す

打ち出し後に部屋に戻った稀勢の里は詰め掛けた大勢の報道陣を前に車で引き揚げた(2019年1月15日撮影)

大相撲の横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が、現役引退を決断した。師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)が初場所4日目の16日、東京・江戸川区の田子ノ浦部屋で発表した。今後は年寄「荒磯」を襲名し、田子ノ浦部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる。

田子ノ浦親方は「昨日の夜に話して、本人から『引退させてください』という言葉があった。我慢強い男ですから、引退という言葉を口にしたということはそれなりの覚悟があると思いました。自分としてはまだ、現実として考えられません」と話した。

進退を懸けて初場所に臨んだ稀勢の里は、初日から3連敗。昨年9月の秋場所から3場所にわたって8連敗(不戦敗除く)となり、横綱としては貴乃花を抜いてワースト記録となっていた。

稀勢の里は15歳で鳴戸部屋に入門。本名の「萩原」で初土俵を踏み、17歳で新十両、18歳で新入幕を果たすなど、いずれも貴乃花に次ぐ史上2番目の年少記録を打ち立て、将来を有望視された。新入幕と同時に「稀勢の里」に改名。2006年名古屋場所で小結、09年春場所で関脇に昇進した。11年11月には師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里)が急逝するも、直後の九州場所で大関昇進を決めた。

16年初場所には初優勝を果たし、72代横綱に昇進。同年3月の春場所で横綱として優勝を果たしたが、13日目に左の上腕筋と大胸筋を損傷。この大けがが力士生命を大幅に縮める要因となってしまった。

◆稀勢の里寛(きせのさと・ゆたか)本名・萩原寛。1986年(昭61)7月3日、茨城県牛久市出身。15歳で鳴戸部屋に入門。得意は突き、押し、左四つ。三賞は殊勲5回、敢闘3回、技能1回。金星3個。通算800勝496敗97休。家族は両親と姉。187センチ、175キロ。

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稀勢の里が横綱6連敗…横審も神妙「不安」の声

御嶽海(左)に押し出しで敗れる稀勢の里(撮影・鈴木正人)

<大相撲初場所>◇初日◇13日◇東京・両国国技館

進退の懸かる横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が、完敗した。得意の左四つに持ち込めず、小結御嶽海に押し出された。

昨年秋場所千秋楽、同九州場所初日からの4連敗と合わせ、不戦敗を除いて6連敗。見守った横綱審議委員会(横審)の面々からは不安の声が上がった。今日2日目は西前頭筆頭の逸ノ城と対戦する。

1度も主導権を握れないまま、稀勢の里はあっけなく土俵を割った。立ち合いから押し込んでも、実際には御嶽海の術中にはまっていた。左をねじ込んで得意の左四つに持ち込みたかったが、固められ、おっつけられた。苦し紛れの突き落としを残されると、体勢を入れ替えられ、腰を落とした万全の相手に押し出された。進退の懸かる場所で、過去6勝1敗と合口の良い相手に痛すぎる黒星発進。3場所にわたる6連敗は、横綱として歴代2位の不名誉な記録となった。

引き揚げる際には首をひねり、天井を見上げる場面もあった。支度部屋では、左差しを狙っていたのか問われ「はい」と、声にならないような声で回答。あとは「ここからという気持ちか」など、2日目の逸ノ城戦以降の修正に前向きな気持ちか確認する質問に2度「そうですね」と答え、時折ぼうぜんとしていた。

昨年11月の九州場所で、初日から4連敗(不戦敗を除く)を喫し、途中休場した。横審から史上初の「激励」を決議され、今場所の奮起を促されていた。この日は横審の本場所総見。観客席から見守った北村委員長は「残念ですね。まだ初日。これからがあるといっても、あそこで頑張りきれない。場所を全うできるのか不安になる。バタバタ感がある」と神妙に話した。

一昨年3月の春場所で横綱に昇進以降、これで初日は2勝6敗となった。過去5敗の場所は、すべて途中休場に追い込まれている。データ通りなら途中休場。進退の懸かる今場所は、途中休場に相当する成績なら引退になりかねない。前日12日には「順調にやれた」と、ここまでの調整は万全だと強調。だが多くの親方衆や解説者らからは、稽古量不足を指摘されていた。

入門当時から指導を受けていた、故人の先代鳴戸親方(元横綱隆の里)からは「心臓から汗をかけ」とハッパを掛けられ、猛稽古で強くなってきた。この言葉は先代鳴戸親方が、さらに師匠である元二子山親方(元横綱初代若乃花)から言われたもの。稀勢の里も節目で言われてきた言葉で、関係者によると、稽古量だけではなく、土俵に命を懸ける心意気を示せという意味もあるという。いよいよ後がなくなった今こそ、命懸けの取組を、ファンは待っている。【高田文太】

国技館を引き揚げる稀勢の里(撮影・鈴木正人)

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稀勢の里「非常に順調」進退懸かる初場所へ決意表明

すり足を繰り返した稀勢の里

大相撲の横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が、進退を懸けて初場所(13日初日、東京・両国国技館)に出場する。

10日、都内の部屋で稽古後に「非常に順調。あとは場所に臨むだけ」と決意表明。新番付が発表された昨年12月25日から出場の意向を示していたが、出場の意思表示を迫られる今日11日の取組編成会議を前に、心変わりはなかった。いよいよ“待ったなし”の戦いが始まる。

周囲の声に惑わされない芯の強さが、稀勢の里の決意を物語っていた。体調不良で前日9日の稽古を休んだ弟弟子の大関高安が、稽古を休むことは前日から決まっていた。同部屋には他に関取衆は不在。番数の少なさを指摘する親方衆や解説者らが多い中、出稽古も行わなかった。その後、部屋で約1時間、四股やすり足などで汗を流すと「非常に順調。いい流れでやれた。思い通りの状態に近づいてきたし、焦りもない。あとは場所に臨むだけ」と、決意を表明した。

7日の稽古総見は横綱鶴竜、大関豪栄道と計6番で3勝3敗と、質量ともに不安を残した。9日は昨年11月の九州場所で初優勝した関脇貴景勝を8勝1敗と圧倒。内容は見返したが、依然として稽古量は少なかった。だがこの日「(報道では)番数とか気にするが、それに偏りすぎ。人とやる稽古もあるし、自分と向き合う稽古もある」と反論。九州場所を途中休場後、12月の冬巡業を全休し「体を見つめ直すことができた」と明かし「いい稽古ができた」と、軽めの調整ではないと強調した。

入門以来、先代鳴戸親方(元横綱隆の里)の指導のもと、猛稽古で強くなってきた。だが先代が他界してすでに7年以上。疲労の回復も遅くなり、何もかも当時を踏襲できるわけではない。ハイペース調整で、早々と仕上げながら先場所は初日から4連敗(不戦敗を除く)。「1番いい体調で臨みたい」と、相撲人生の土俵際で新境地を求め、貴景勝ら若手にも「負けていられない」と対抗心を燃やす。心身共に充実した状態に仕上げ、進退場所への出場を決めた。【高田文太】

「横綱 稀勢の里」の木札を背に、目を閉じて精神統一する稀勢の里

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高安敗れ決定戦ならず「この悔しい気持ちバネに」

御嶽海(右)にすくい投げで敗れた高安(撮影・栗木一考)

<大相撲九州場所>◇千秋楽◇25日◇福岡国際センター

すくい投げで土俵に倒れ込んだ高安は、両手を握りしめたまま、目を閉じて動けなくなった。2敗で並んで迎えた結びの一番。3番早く、貴景勝は勝って取組を終えていた。本割で勝って優勝決定戦へ-。初優勝への最低条件をクリアできなかった。御嶽海に立ち合いから土俵際に押し込まれ、体が伸びきるピンチをしのいだ。苦しい体勢から左下手を引いた。1分13秒余りにも及ぶ大相撲。執念で取りにいった白星は遠かった。

支度部屋では無言を貫いた。その後、福岡市内のホテルに場所を移して行われた千秋楽パーティーで、後援者らに「必ずこの悔しい気持ちをバネに、近い将来、皆さまに優勝の報告ができるように、精いっぱい頑張りたいと思います」と語り、雪辱を誓った。

パーティーに参加した、兄弟子の横綱稀勢の里の思いも、3横綱不在で大関の責任も背負って奮闘した。優勝すれば先代師匠の故鳴戸親方(元横綱隆の里)と並ぶ、歴代8位のスロー記録となる新入幕から45場所目での優勝だったが、上回ることになった。優勝して来年1月の初場所で「平成生まれ初」の横綱という目標は前進しなかった。【高田文太】

御嶽海(右)にすくい投げで敗れた高安(撮影・栗木一考)

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