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旧東関部屋に移転した二子山部屋が始動「地元の方と交流していきたい」

寅さんの街に相撲部屋が残った-。3月いっぱいで部屋が閉鎖された東京・柴又にある旧東関部屋に、埼玉・所沢に部屋を構えていた二子山部屋が移転し、1日から始動した。

この日の朝稽古は午前7時半から約3時間。稽古後に電話取材に応じた二子山親方(43=元大関雅山)は「所沢で頑張ってきたものを発揮して、これからみんなで、さらに頑張るぞ、というのを感じられるいい稽古内容でした。関取を狙うのもいるし、同世代はそれに置いていかれないように頑張っていました。新しい部屋になって、さらにその相乗効果が出ていた気がしました」と語った。

所沢の部屋で飾っていた、現役時代の師匠だった先代武蔵川親方(元横綱三重ノ海)のA3サイズほどの写真も玄関に飾り「新たに大きな写真をいただいたので、それを稽古場に飾っている」という。またベンチプレスの器具も所沢から持ち運ぶなど、前の部屋から培われたものを引き継いでいる。

地元・柴又との交流についても言及。「コロナが落ちついたら、地元の方と交流していきたいですね。稽古見学もしてもらいたい。僕のツイッターにも(情報を)載せるので」と、コロナ収束後の日常生活が戻った際には、稽古場見学を歓迎する気持ちを口にした。

東関部屋は2代目師匠の先代東関親方(元前頭潮丸)が、初代師匠(元関脇高見山)が開設した東京都墨田区東駒形から、18年1月に葛飾区柴又へ移転。だが先代は翌19年12月に死去し、現東関親方(元小結高見盛)が部屋を継いだが、精神的負担の重さから難色を示し、1年で部屋は閉鎖。東関部屋の力士は同じ高砂一門の八角部屋へ転籍し、柴又の部屋は空き状態だった。先代東関親方の遺族や土地を有償で貸し出す葛飾区との話し合いが続き、二子山部屋が移転することが決まり、この日、門出を迎えることになった。

部屋は、葛飾区が観光戦略など地域活性化を狙って相撲部屋を誘致。約150坪の区有地を、有償で借し出して建てられた。完成から3年あまりとリフォームも必要ない築浅で2階建て。先代(故人)の「ケガした力士でも2階に上がらないで済むように、力士の生活が1階だけで全部できるようにした」という弟子への愛情から、稽古場や風呂場、ちゃんこ場がある1階に大広間も作った。2階にも20畳ほどの部屋と関取用の個室2部屋を用意。両国国技館にも公共交通機関で30分ほどと利便性もあり、相撲部屋として申し分ない立地にある。

徒歩10分ほどの所には、寅さんシリーズとなった映画「男はつらいよ」の舞台となった、東京の観光名所・帝釈天もあり、葛飾区としては観光など地域活性化の期待もかけている。

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二子山部屋が旧東関部屋に移転へ 一門の枠超え継承

二子山部屋

寅さんの街に相撲部屋は残ります-。

3月いっぱいで部屋が閉鎖された東京・柴又にある旧東関部屋に、埼玉・所沢に拠点を構える二子山部屋が移転することで調整が進んでいることが5日、分かった。関係者によれば、細部の条件が整えば今月中旬にも移転するという。

東関部屋は2代目師匠の先代東関親方(元前頭潮丸)が、初代師匠(元関脇高見山)が開設した東京都墨田区東駒形から、18年1月に葛飾区柴又へ移転。翌2月に部屋開きが行われた。だが先代は翌19年12月に死去。年明けの20年1月に、現在の東関親方(元小結高見盛)が部屋を継いだが、精神的負担の重さから難色を示し、1年をかけて高砂一門内で後継者探しを模索。それでも適任者が見つからず3月の春場所を最後に封鎖され、今年4月1日付で東関親方や力士は八角部屋(元横綱北勝海)に移籍した。

柴又の部屋は、葛飾区が観光戦略など地域活性化を狙って相撲部屋を誘致。区有地を50年間の有償で借し出して建てられた。完成から3年あまりとリフォームも必要ない築浅で、約150坪の広大な敷地に2階建ての建物。先代(故人)の「3階建ても考えたけど、ケガした力士でも2階に上がらないで済むように、力士の生活が1階だけで全部できるようにした」という弟子への愛情から、稽古場や風呂場、ちゃんこ場がある1階に大広間も作った。2階にも20畳ほどの部屋と関取用の個室2部屋を用意するなど環境は抜群。その部屋が閉鎖されたことを惜しむ多くの声が、角界や地元・柴又からもれていた。

後継師匠捜しが難航し、断念の方向に向かうと同時に、両国まで公共交通機関を使っても30分足らずという、絶好の環境にあるその部屋を、何とか継続使用できないかと関係者間で話し合いが進められていた。そんな中で浮上したのが二子山部屋の移転だ。二子山親方は藤島部屋から分家独立し、18年4月に所沢に部屋を創設。農地に囲まれた自然豊かな環境にあり、所沢市としても西武線沿線としても初の相撲部屋として話題となった。

ただ、最寄り駅から両国までは、電車を数本乗り継いで最速でも1時間以上かかり、力士の負担は大きかった。前日、明らかになった立浪部屋の茨城県つくばみらい市から、東京・台東区への移転同様、解禁された際の出稽古や東京場所で両国まで通う“通勤負担”の軽減など、稽古環境を整えたいという師匠としての思いがあった。

関係者によれば、先代東関親方の遺族や葛飾区との折衝が進み、詰めの交渉は最終段階に入っている。二子山親方は電話取材に、全てがクリアされたことを前提に「亡くなった(先代東関親方の)潮丸さんとは現役時代から仲が良かったので、その遺志を引き継ぎたい。今はコロナ禍で、すぐには難しいかもしれませんが、地元の方々と触れ合って地域の活性化に貢献したい」と話した。41歳の若さで死去した先代東関親方は、柴又に部屋を構えた際、「寅さんシリーズ」となった映画「男はつらいよ」の舞台となった「帝釈天でパレードできるような力士を育てたい」と夢を膨らませていた。志半ばで他界し「東関」の部屋名もなくなったが、その思いは一門の枠を超え、新たに部屋を構えることになる二子山部屋に継がれようとしている。

二子山部屋の看板

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高見山最後の弟子引退 東関部屋閉鎖とともに区切り

華王錦(2020年7月22日撮影)

元高見山の先々代東関親方(76)がスカウトした最後の現役力士が、土俵に別れを告げた。元十両華王錦(かおうにしき、42=東関)が春場所限りで引退。東関部屋閉鎖とともに区切りをつけ、新たな人生を歩み始めた。現在の心境などを聞いた。【取材・構成=佐々木一郎】

-引退が発表され、今の心境は

「まだ落ち着いてはいません。東関部屋は3月31日までで、4月3日に八角部屋へ引っ越します。その前には出て行かなくてはいけないので、荷物をまとめたり、役所に行って転出届を出したりしています」

-引退のきっかけは

「場所前にヘルニアを悪化させてしまいました。一時は、歩くのもしんどかった。そんな中、部屋がなくなるのもあるんで…。20年間、東関でやってきて、東関で終わりたいので」

-春場所は、最後の1番だけ出場しました

「(部屋を)移ってやるなら、しっかり治した方がいい。でも、自分は東関部屋として最後なので『1番出させてください』と言って出させてもらいました」

-決まり手は逆とったりでした

「たまたまあんな感じになっちゃって…。いろんな人に、『そんな業師だった?』とか『最後だからって必死になりすぎ』って言われました。土俵に立つ以上は一生懸命ですから。2番前に首から落ちた力士(響龍)がいて、ちょうど土俵下にいたんです。中途半端な気持ちで土俵に上がりたくないなというのがあったんで、自然と体が動きました」

-角界での一番の思い出は

「やっぱり、初めて化粧まわしをつけて土俵に上がったときはうれしかったですね。緊張もしました。初めての(土俵入りの)時はどっちに回るんだっけとか、手の上げ方とか、塩まきとか、緊張しましたね。これが関取なんだと、いい経験をさせてもらいました」

-十両2場所目で膝をケガして苦しみました

「ケガして休場してから、再出場しました。もうちょっと様子を見た方がよかったですね。とにかく出なきゃと思ったんで。当時、医師に『どうにか土俵に立ちたいので何とかお願いします』と無理を言っていろいろしてもらった。本来はよくない。焦っていた部分もあります。しっかり治さないといけなかった」

-丸20年、現役でした

「いろんな人から『20年、長かった』と言われるんですけど、力士でいられることは楽しかったですね。いろんな人から声をかけてもらったり、応援してもらうのがすごくうれしかったので、続けることができました」

-一時は協会に残るという話も聞きました

「若者頭として申請を出していたのですが、かないませんでした」

-断髪は

「東関部屋がなくなるので、部屋でできなかったんですよ。そうしたら先々代の高見山さんが『最後の弟子だから、私が責任を持って(まげを)切るよ』と言ってくれました。前の東関部屋はまだ稽古場があるので、そこでやります。本当によかったです。その言葉に、本当にこの部屋で良かったと…。高見山さんにスカウトされて、定年後もずっとかわいがってくれた。力士としてのスタートがあそこだったんで、まだ土俵があるのもありがたいです」

-いつごろになりますか

「コロナの様子を見ながら、あくまで予定なんですが、5月30日に。まだ正式に決まっていないけど、そういう方向で話が進んでいます」。

-今後はどうされますか

「まだ決まっていないんです。部屋があればその間探せるけど、部屋がなくなるし、コロナの状況もあるので…。相撲が好きなので、相撲に携わる仕事があればなと思っています」

◆華王錦武志(かおうにしき・たけし) 本名・村田武志。1978年(昭53)9月14日、秋田県生まれ。東洋大から元関脇高見山の東関部屋に入り、2001年夏場所初土俵。2011年名古屋場所新十両。最高位は西十両6枚目。通算403勝383敗49休。

20年2月 大相撲の継承発展を考える有識者会議に出席する高見山大五郎さん(左)と王貞治ソフトバンク球団会長
東関部屋の看板

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東関部屋が春場所最後に消滅 精神的負担がネックか

東関親方(2020年1月30日撮影)

日本相撲協会は12日、東京・両国国技館で理事会を開き、4月1日付で東関部屋の師匠である東関親方(元小結高見盛)や力士6人ら全員が、八角部屋に転属することを承認した。また、同日付で東関部屋を封鎖することも承認した。

東関親方は19年12月に先代東関親方(元前頭潮丸)が死去したことに伴い、部屋付き親方だったことから、昨年1月に部屋を継承。ただ、部屋の運営には師匠としての精神的負担から難色を示し、関係者によれば1年ほどの“暫定的”な継承として師匠の座を引き継いだという。高砂一門内で次期継承者を模索したが、後任選びは難航していた。

今回の承認を受けて、東関親方は協会を通してコメントを発表した。「私なりに精進して参りましたが、部屋の力士たちにとって、よりよい環境などを求め、八角理事長に相談させて頂き、3月場所を最後に東関部屋を封鎖して、力士たちと八角部屋に転属させていただく決断をいたしました」と部屋移籍および封鎖の経緯を説明した。

東関部屋は、ハワイ出身で高砂部屋付きだった12代東関親方(元関脇高見山)が、86年2月に高砂部屋から分家独立して東京・東駒形に創設。横綱曙、高見盛や潮丸らの関取を輩出した。09年6月の定年後は、当時小野川親方の先代東関親方が部屋を継承。話題を集めた人気部屋だったが、大相撲春場所(14日初日、東京・両国国技館)を最後に、約35年の歴史に幕を閉じることになった。

東関部屋の入口(2021年2月6日撮影)

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東関部屋が春場所を最後に閉鎖か、継承者選びが難航

東関部屋を継承し、報道陣の取材に対応する東関親方(2020年1月30日撮影)

外国人力士のパイオニアが創設し、優勝11回の横綱を輩出した東関部屋(東京都葛飾区柴又)が、大相撲春場所(3月14日初日、東京・両国国技館)を最後に、閉鎖される可能性があることが8日、関係者への取材で分かった。

現師匠である東関親方(44=元小結高見盛)の後任選びが難航しているためで、このままの状況が続けば約35年の歴史に幕を閉じるという。

東関親方は、19年12月に41歳の若さで死去した先代東関親方(元前頭潮丸)の死去に伴い、部屋付き親方だったことから、年明けの昨年1月、部屋を継承した。ただ、部屋の運営には師匠としての精神的負担から難色を示し、関係者によれば1年ほどの“暫定的”な継承として師匠の座を引き継いだという。

そのため高砂一門内で、次期継承者を模索。先代高砂親方(現錦島親方=元大関朝潮)の定年に伴い、高砂部屋を継承しなかった若松親方(元前頭朝乃若)らが候補に挙がったが、不調が続き現状では候補者不在。前述の「1年間」のリミットが切れる状況では、部屋封鎖もやむなしの方向で話が進んでいるという。

東関部屋は、ハワイ出身で高砂部屋付きだった12代東関親方(元関脇高見山)が、86年2月に高砂部屋から分家独立して東京・東駒形に創設。外国出身者による初めての部屋で、ジェシーの愛称で人気を博したこともあり話題を集めた。同じハワイ出身の曙が横綱に上り詰め、高見盛や潮丸らの関取を輩出。09年6月の定年後は、当時小野川親方の先代東関親方が部屋を継承。18年1月に現在の部屋に移転した。

現在の部屋は、地域活性化の狙いで誘致した葛飾区が、区有地を有償で貸し出した土地に建築された。行政側との問題なども残り「完全には(撤退は)決まっていないが、その方向にはある」と関係者は話し、その際には東関親方と力士6人は、同じ高砂一門の八角部屋(師匠=元横綱北勝海)に移籍する方向性も示されているという。

○…部屋の存続問題について東関親方は、電話取材に「自分がどうこう言っても悪い方にとられてしまう。正直、ノーコメントです」と話した。14日初日の春場所が迫っていることもあり「場所も近いし余計なことは言いたくありません」とも付け加えた。コロナ禍で力士の生活環境も厳しい状況が続く。「自分も力士も外出はしてませんが、こんな状況ですから、いつ感染するかもしれない。(いつ感染するか分からないという)覚悟はしています」と予断を持たずに責務を全うする姿勢を示した。

◆東関大五郎(あずまぜき・だいごろう)本名・加藤精彦、元小結高見盛。1976年(昭51)5月12日、青森・板柳町生まれ。99年春場所で幕下付け出しデビュー。00年名古屋場所で新入幕。愛称は「ロボコップ」。13年初場所で現役を引退し同年10月に年寄「振分」を襲名、20年1月に年寄「東関」を襲名して部屋を継承

東関部屋の入口(2021年2月6日撮影)
東関部屋の外観(2021年2月6日撮影)

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貴景勝3度目かど番、2年ぶり小結3人以上/新番付

貴景勝(2021年1月18日撮影)

日本相撲協会は1日、新型コロナウイルス感染防止の観点から、通常の大阪から東京開催に変更した大相撲春場所(14日初日、東京両国国技館)の新番付を発表した。

横綱は7場所連続で東に白鵬(35=宮城野)、西に鶴竜(35=陸奥)が就いた。ともに4場所連続休場(全休は3場所連続)明けで、復調を示す土俵となる。5場所ぶり45回目の優勝を目指す白鵬は、新たな金字塔を打ち立てた。新入幕から幕内連続在位が前人未到の100場所となった(2位は元関脇高見山=先々代東関親方=97場所)。幕内連続在位としても、史上最多の元大関魁皇(現浅香山親方)の106場所に次いで100場所に到達。幕内在位も魁皇の107場所に次いで史上2位の100場所となった。昨年の名古屋場所以来9場所ぶり7回目の優勝を目指す鶴竜は、進退をかける場所になる。

大関は、ともに先場所、かど番を脱出した正代(29=時津風)が東、この日27歳の誕生日を迎えた朝乃山(高砂)が西に。綱とりの先場所、途中休場した貴景勝(24=常盤山)は、東の序列2番目で、昨年7月場所以来、3度目のかど番として迎える。

両関脇は東西変わらず。東は2場所連続の照ノ富士(29=伊勢ケ浜)で三役は3場所連続。今場所は大関復帰をかける場所となる。西は3場所連続関脇となる隆の勝(26=常盤山)で三役も3場所連続の在位になる。

小結も東西は、東が3場所連続小結の高安(30=田子ノ浦)、西が2場所連続小結(三役は5場所連続)の御嶽海(28=出羽海)で変わらず。新たに先場所、初優勝した大栄翔(27=追手風)が4場所ぶりに西の序列2番目の小結に復帰(三役は3場所ぶり復帰)。なお小結が3人以上、名を連ねるのは19年九州場所(阿炎、遠藤、北勝富士、朝乃山)以来となる。

大相撲春場所は、12日の取組編成会議で初日と2日目の対戦相手が決定。14日の初日を迎える。

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貴景勝Vで今年はすべて優勝力士が別 戦国時代象徴

八角理事長(右)から優勝賜杯を受け取る貴景勝(撮影・鈴木正人)

<大相撲11月場所>◇千秋楽◇22日◇東京・両国国技館

今年2度目の優勝を目指した小結照ノ富士(28=伊勢ケ浜)を退け、大関貴景勝(24=千賀ノ浦)が2年ぶり2度目の優勝。看板力士の面目を保ったことで、逆に今年の“主役不在”を物語るデータが出た。

今年の幕内優勝力士は、初場所が徳勝龍、春場所が白鵬、7月場所が照ノ富士、秋場所が正代、そして11月場所が貴景勝と、年間複数回優勝者がなく、それぞれ違う顔触れとなった。

過去に年間で優勝者の顔触れが異なるのは91年(霧島、北勝海、旭富士、琴富士、琴錦、小錦)以来、29年ぶりのこと。年5場所以上に絞っても、57年(千代の山、朝汐、安念山、栃錦、玉乃海)、72年(栃東、長谷川、輪島、高見山、北の富士、琴桜)を合わせて29年ぶり4度目の“珍事”に。主役不在の戦国時代を象徴する年となった。

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通算連続出場、玉鷲が1286回で歴代9位/新番付

玉鷲(2019年1月28日)

日本相撲協会は26日、開催地を通常の福岡から東京に変更して行う大相撲11月場所(11月8日初日、東京・両国国技館)の新番付を発表した。新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、7月場所と9月の秋場所は1日あたりの上限入場者数を約2500人に制限していたが、11月場所から約5000人に引き上げて開催される。

現役力士の今場所達成可能な歴代10傑入りなどの記録は以下の通り(在位したことで達成済みも含む)。

【通算勝利数】

既に横綱白鵬(35=宮城野)が1170勝で歴代トップに君臨。どこまで伸ばせるか注目だ。ちなみに現役2位は琴奨菊(36=佐渡ケ嶽)の827勝。歴代10位の寺尾(元関脇=現錣山親方)まで33勝だ。

【幕内在位場所数】

今場所で白鵬が、高見山(元関脇=元東関親方)と安美錦(元関脇=現安治川親方)を抜き、歴代単独3位の98場所に浮上した。現役2位の琴奨菊は十両に陥落したため、歴代7位の92場所のまま。ちなみに歴代1位は元大関魁皇(現浅香山親方)の107場所。

【幕内出場回数】

琴奨菊が歴代6位の1332回まで伸ばしたが、今場所は十両陥落のため更新できない。白鵬が同8位の1265回。現役3位は鶴竜の1027回。なお歴代1位は、元関脇旭天鵬(現友綱親方)の1470回。

【幕内勝利数】

白鵬が1076勝で、2位の魁皇に197勝もの差をつけ歴代トップ。歴代6位に琴奨菊(718勝)が名を連ねる。同5位の元横綱大鵬までは、あと28勝で届く。十両の今場所で来場所の再入幕を果たし、さらに白星を積み重ねれば…。

【通算連続出場】

初土俵以来、無休の「鉄人記録」の歴代9位に1286回の玉鷲(35=片男波)が入っている。04年春場所の序ノ口デビューから足かけ17年の「皆勤賞」だ。

【金星獲得】

現役力士で歴代10傑入りは不在だが、今場所チャンスがあるとすれば現在7個の北勝富士(28=八角)。横綱2人を倒せば通算9個で10位タイに滑り込む。番付を2枚下げ、東前頭4枚目は番付上、ギリギリで上位総当たりとなりそう。果たしてどうなるか…。

なお8個で現役トップの逸ノ城(27=湊)は、西前頭13枚目。よほどの快進撃がなければ、横綱戦はなさそうだ。なお7個で追う遠藤は、西前頭7枚目まで番付を下げた。こちらも優勝争いに加わる快進撃で後半戦に横綱との一番が組まれるかというところだ。

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北勝富士あと横綱2人 金星獲得10傑入り/新番付

北勝富士(2020年1月14日撮影)

日本相撲協会は8月31日、開催を目指す大相撲秋場所(9月13日初日、東京・両国国技館)の新番付を発表した。新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、開催の可否や開催形態は理事会で決定する見込み。

現役力士の今場所達成可能な歴代10傑入りなどの記録は以下の通り(在位したことで達成済みも含む)。

【通算勝利数】

既に横綱白鵬(35=宮城野)が1170勝で歴代トップに君臨。どこまで伸ばせるか注目だ。ちなみに現役2位は琴奨菊(36=佐渡ケ嶽)の825勝。歴代10位の寺尾(元関脇=現錣山親方)まで35勝だ。

【幕内在位場所数】

今場所で白鵬が歴代5位の96場所。11月場所在位で高見山(元関脇=元東関親方)、安美錦(元関脇=現安治川親方)に並ぶ同3位に浮上する。琴奨菊は安芸乃島(元関脇=現高田川親方)に並ぶ同7位タイの91場所。現役3位は横綱鶴竜(34=陸奥)の81場所。ちなみに歴代1位は元大関魁皇(現浅香山親方)の107場所。

【幕内出場回数】

琴奨菊が歴代6位の1321回、白鵬が同8位の1265回。現役3位は鶴竜の1027回。なお歴代1位は、元関脇旭天鵬(現友綱親方)の1470回。

【幕内勝利数】

白鵬が1076勝で、2位の魁皇に197勝もの差をつけ歴代トップ。歴代6位に琴奨菊(716勝)が名を連ねる。同5位の元横綱大鵬までは、あと30勝で届く。

【通算連続出場】

初土俵以来、無休の「鉄人記録」の歴代9位に1271回の玉鷲(35=片男波)が入っている。04年春場所の序ノ口デビューから足かけ17年の「皆勤賞」だ。

【金星獲得】

現役力士で歴代10傑入りは不在だが、今場所チャンスがあるとすれば現在7個の北勝富士(28=八角)。横綱2人を倒せば通算9個で10位タイに滑り込む。東前頭2枚目まで番付を上げ、上位総当たりは確実だが果たして…。

なお8個で現役トップの逸ノ城(27=湊)は再入幕だが、上位とは当たらない幕尻の東前頭17枚目。ただ「幕尻の17枚目」といえば、今年1月の春場所で西の徳勝龍が、7月場所では東の照ノ富士が、アッと驚く幕尻優勝を果たしている。両者とも、両横綱が途中休場したため横綱戦はなかったが、大関戦は組まれた。もし逸ノ城が快進撃の末、優勝争いに加わり横綱対戦が実現すれば…。1つでも勝てば歴代10傑入りする。なお7個で追う遠藤は、返り三役のため金星のチャンスはない。

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千代の富士5発で沈めた小錦/記者振り返るあの瞬間

84年9月、秋場所14日目、千代の富士(右)に押し出しで勝った小錦

<スポーツ担当記者 マイメモリーズ(50)>

真っ暗な会場に蛍の光が流れ、観客もペンライトを振りながら歌う。ドームのお別れコンサートではない。中心には羽織はかまや締め込み姿の大男がいた。蔵前国技館最後の場所となった84年秋場所千秋楽。しんみりとしたフィナーレも、初日前から何かざわつき、列島を騒がせた場所だった。

場所前に立ち合い研修会があり、必ず両手をつく正常化が打ち出された。マラソンのスタートのような立ち腰、自分勝手な立ちしぶりなどが目立っていた。春日野理事長と二子山理事長代行という栃若の厳命に、力士は神妙ながら戸惑った。実際に場所ではチョン立ちで不成立とされ、5度仕切り直した一番もあった。

夏場所全勝優勝で復活した北の湖が、首を痛めて3日目から休場した。千代の富士、隆の里の両横綱に、2度目の横綱挑戦の若嶋津も早々に土がついた。全勝ターンは平幕多賀竜だけ。土俵は腰が据わらず、落ち着きがなかった。

混沌(こんとん)とする中、終盤戦に大旋風が起きた。入幕2場所目の小錦が10日目に勝ち越し、優勝戦線に生き残っていた。11日目には隆の里を押し出し、横綱初挑戦で初金星を挙げる。入門してまだ2年2カ月も破壊力抜群だった。

さらに若嶋津の綱とりを阻み、次期大関候補大乃国も撃破する。14日目には千代の富士をもろ手突き5発で吹っ飛ばした。多賀竜に1差で、千秋楽に大逆転Vがかかった。黒船襲来。300年の国技を揺るがすと言われた激震となった。

当時の記者クラブは別棟2階にあった。片隅に昼寝できる畳敷きスペース、雀卓も置かれていた。支度部屋ではたばこが吸え、力士は素足で床に踏みつけて消していた。おおらかだが、閉鎖的でもあった。

当時の外国人力士は9人で、多くの親方衆は否定的だった。ハワイ生まれの若造に次々と看板力士が倒されて「日本人の恥」とまで言った親方もいた。小錦も「協会はこれね」と頭の両脇に指を立ててみせた。「怒ってるでしょ。外国人がダメなら入れなければいい。力士になったボクは勝つだけ」と言ったものだ。

72年名古屋場所で外国人初優勝の高見山は夏場所で引退していた。バトンを受けた後輩の快進撃。大関、横綱も現実味を帯びたが、結果的に琴風に敗れて優勝はならず。翌九州場所はケガで途中休場。協会幹部は胸をなで下ろし「相撲は甘くない」と言い放った。

その後は大けがもあり、大関になったのは3年後の87年夏場所後だった。89年九州場所で初の賜杯も手にしたが、横綱の座は遠かった。ハワイの後輩の曙にも追い抜かれた。大関陥落決定の黒星は、横綱曙に喫したもの。陥落後はしのびない土俵もあった。

それでも200キロを超す巨体から爆発させた、驚異のパワーは衝撃の記憶だ。今も世界中で人種差別が問題となっている。角界でその壁を乗り越え、外国人初の大関となった。あの蔵前の悔しさが始まりで、両国国技館でのモンゴル全盛への道筋も作ったと言えるだろう。【河合香】

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礼儀欠かさなかった曙親方/記者が振り返るあの瞬間

曙太郎K−1入り会見 K−1参戦を表明し会見する曙親方(右)と谷川貞治プロデューサー=東京・帝国ホテル(2003年11月6日)

<スポーツ担当記者 マイメモリーズ>(32)

政府の緊急事態宣言が延長され、スポーツ界も「自粛」状態が続いている。

日刊スポーツの記者が自らの目で見て、耳で聞き、肌で感じた瞬間を紹介する「マイメモリーズ」。サッカー編に続いてオリンピック(五輪)、相撲、バトルなどを担当した記者がお届けする。

  ◇  ◇  ◇

その声が自分に向けられたものだとは、すぐには分からなかった。もう1度「オイッ!」という低い声が飛び、鋭い眼光は相撲担当になってまだ2日目の自分を見ている。03年10月31日。朝稽古の取材で東関部屋を訪れて、一礼だけして後方に座った直後、曙親方(元横綱)に呼ばれた。怒気をはらんだ口調だった。

前日、部屋の幕内高見盛が出稽古先で横綱朝青龍につり上げられ、バックドロップのようにたたきつけられて右肩を負傷した。様子を確認しに来た自分が気に食わないのかもしれない。テレビでしか知らなかった巨体に恐る恐る近づく中で、いろいろと考えた。首に下がる記者証をにらみつける親方の目が怖かった。

「お前、あいさつはどうした?」。そう言われて慌てて名乗ろうとした。すると「オレじゃない!」と語気が強まった。「師匠にだ。部屋に入ってきたらまず師匠にあいさつするのが礼儀だろ。それが日本人の心ってもんじゃないのか」。

分かる人も多いだろうが、稽古中は意外と静かな間が多い。体同士、時に頭と頭がぶつかり合う鈍い音が響き、呼吸の乱れもよく分かる。そんな空間で、相撲のすの字も分からないペーペーの担当記者ができることは、ひたすら存在を消すこと。物音を立てず、邪魔にならないよう隅っこで見ていようと思っていた。稽古を遮るあいさつすら失礼になると思い込んでいた。

その静寂を壊してまで「礼儀」を説いてくれた曙親方の思いを、今も感じることができる。慌てて師匠の東関親方(元関脇高見山)に頭を下げると、にこりと笑ってくれた。曙親方に戻り、一から名乗ると「それを忘れないようにな」と優しい声で言われた。ハワイ出身の親方に教わった「日本人の心」は、その後の記者生活の土台になった。

ところが話はまだ続く。

1週間後の11月6日の朝、日刊スポーツ1面に「曙親方 K-1参戦へ」の文字が躍った。スクープだった。部屋に行くと東関親方は明らかに落胆していて、退職の申し出は受けていたものの「気がついたら部屋に荷物がなかった。こういう言葉は使いたくないけど、裏切られた」と恨み節が出た。

稽古場で諭してくれた、あの「日本人の心」は一体どこに…。当時は自分もだいぶ混乱したものだった。

ただ、実際にK-1やプロレスに転向した曙はその後も部屋を訪れて師匠と肩を並べている。先日は闘病中の体を押して、東関親方として急逝した元幕内潮丸の葬儀に訪れた。非礼のままであれば、そうはいかないのがこの世界。礼儀を欠かさなかったからこそだと、曙の姿を見るたび、そう感じている。【今村健人】

福岡市の福岡国際センターで行われた前夜祭の支度部屋で、曙親方のKー1参戦を伝える本紙に目を通す小結高見盛(2003年11月6日撮影)

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王貞治氏、紺野美沙子ら大相撲の国際化など議論

大相撲の継承発展を考える有識者会議に出席する高見山大五郎さん(左)とソフトバンク王貞治会長(撮影・中島郁夫)

日本相撲協会は6日、東京・両国国技館で「大相撲の継承発展を考える有識者会議」(山内昌之委員長)の第5回会合を開いた。外国出身初の関取になった元関脇高見山の渡辺大五郎氏も出席し、大相撲の国際化など王貞治委員らを交え活発に議論した。

歌舞伎役者の松本白鸚は「相撲は神事。何かを信じ、何かから信じられれば自ずと不祥事もなくなり魅力ある相撲界になると思う」と話した。

また「相撲と女性」について女優の紺野美沙子らが意見交換。女性を土俵に上げる可否の議論を男女間の差別問題として考えるのは、なじまないのではなどの意見が出た。次回は4月に開催予定。

大相撲の継承発展を考える有識者会議に出席する紺野美沙子(左)と松本白鸚(撮影・中島郁夫)

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48年ぶり異例場所、正代浮かれず騒がず引っ張る

松鳳山(右)を寄り切りで破る正代(撮影・河田真司)

<大相撲初場所>◇10日目◇21日◇東京・両国国技館

西前頭4枚目の正代(28=時津風)が夢の初優勝へ、また1歩前進した。平幕の松鳳山を強烈な右おっつけから寄り切って1敗を守った。「優勝争いの実感はない」と言うが、熊本県出身力士初の幕内優勝への期待は高まる。幕尻の徳勝龍も1敗を守り、10日を終えて平幕2人がトップで並ぶのは1972年(昭47)名古屋場所の豊山、高見山以来、48年ぶり。3人が2敗で追うが三役以上は大関貴景勝だけの大混戦場所で正代が「初」に挑む。

   ◇   ◇   ◇

根こそぎ持っていくようなド迫力だった。立ち遅れた正代だが、松鳳山を左からつかまえると右の強烈なおっつけから一気に寄り切った。「ケンカ四つなんでかみ合わなかったけど、よく反応できている」。宣言している「攻めの相撲」を貫き堂々トップを走る。

「優勝争いはまだ全然。実感がない。ここからの5日間が長いんですよね」。大きなことは言わない。しかし、帰り道も「熊本から来たんよ~」というファンに囲まれた。熊本出身力士で幕内優勝者はいない。正代は「いませんでしたっけ」と薄い反応だが、5月に東京五輪の聖火ランナーを務める。郷土は「初」の快挙へ熱が高まっている。

9日目に勝ち越しを決めた。外で食事して祝うことも考えたが部屋に戻った。「変に特別なことをしたら、感覚が狂うんじゃないかと不安になって。部屋で飯食ってゴロゴロしてました。1日が終わるのが早い」。自分のペースを崩さないが、「肉体的には大丈夫だけど、精神的にはだいぶ疲れている。注目され慣れていないんで」。余計なことはまだ意識しない。そんな心情を思ってか、師匠の時津風親方(元前頭時津海)は「勝ち越したから楽しんでこい」と声をかけた。

7連敗中と苦手だった貴景勝に勝って勝ち越しを決めた後、花道で思わずガッツポーズが出た。その姿はばっちり生中継。「あれはいかん。正直、反省してます。あそこにカメラがあるのを忘れてた。見えないところでやらないと」。謙虚な男が大混戦場所を引っ張る。【実藤健一】

◆主な熊本出身の力士 現役関取は平幕の正代と佐田の海の2人だけ。横綱輩出はなく過去には、土俵上での礼儀正しさが光った大関栃光、強烈な張り手から「フックの花」と呼ばれた関脇福の花、元小結普天王の稲川親方などがいる。

◆幕内優勝力士が出ていない出身地(国内) 宮城県、埼玉県、静岡県、岐阜県、福井県、京都府、滋賀県、和歌山県、島根県、徳島県、熊本県、宮崎県、沖縄県。ちなみに最多は北海道の13人で通算120回。

正代(右)は松鳳山を寄り切りで破る(撮影・柴田隆二)

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東関親方の告別式500人参列 八角理事長涙の弔辞

出棺される元潮丸の東関親方(本名・佐野元泰)の棺がある祭壇の前で弔辞を読む葬儀委員長の八角理事長(撮影・現場代表)

さる13日、血管肉腫のため41歳で死去した東関部屋の師匠、東関親方(元前頭潮丸、本名・佐野元泰さん)の告別式が19日、東京都葛飾区柴又の東関部屋で営まれた。

前日18日の通夜に続き、日本相撲協会の八角理事長(56=元横綱北勝海)を葬儀委員長とする高砂一門の一門葬として執り行われた告別式には、協会理事や一門の枠を超えた親方衆、関取衆や、故人とゆかりのあった政治家の鈴木宗男氏ら約500人が参列。先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎さん、元関脇富士桜の中沢栄男さんら多数の高砂部屋OBも参列した。

八角理事長は時折、涙で声を詰まらせながら「さぞ無念だったでしょう。あなたの誠実な人柄に私もほれ込んで、一回り年下でも何か相談するたびに、あなたの言葉に救われました。自分の体を失ったような感じで、運命の残酷さを痛感しています」などと弔辞を読み上げた。

戒名は、師匠として率いた部屋名の一部、本名から「大優院東元泰善居士」と付けられた。告別式終了後、東関親方の遺体を乗せた霊きゅう車は、部屋がある葛飾区内の四ツ木斎場に向かい荼毘(だび)に付された。

東関親方は今月10日ごろ、再入院していた都内の病院で様態が悪化。故人の遺志をくんで12日に部屋に戻り、力士一人一人の手を握り、声をかけたという。翌13日午後9時52分、力士や部屋関係者、夫人で喪主を務めた真充さん(40)らにみとられながら息を引き取った。

喪主を務めた東関親方(本名・佐野元泰)の妻の真充さん(左から2人目)(撮影・河田真司)
元潮丸の東関親方の告別式に参列する、元高見山の先代東関親方(撮影・河田真司)

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東関親方通夜、元高見山も参列「これからだった」

元潮丸の東関親方の通夜に参列した先代東関親方(撮影・河田真司)

血管肉腫で13日に41歳で亡くなった元前頭潮丸の東関親方の通夜が18日、東京・葛飾区の部屋で高砂一門葬として営まれた。葬儀委員長を務めた相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)ら多くの親方衆、大関豪栄道、高安をはじめ現役力士ら約550人が参列した。

遺影は昨年2月、部屋開きの際の笑顔のものだった。八角理事長は「最後の1年間は闘病生活で、家族のため、力士のため復帰するという強い気持ちで頑張っていたところ残念でなりません。笑顔が絶えず、みんなに慕われていました」などとコメント。

参列した師匠で先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎さんも「まだ若い。これからだった。もう少しいてほしかった」と悲しそうに話した。

元潮丸の東関親方(本名・佐野元泰)の祭壇には、18年2月に行われた落成パーティー時に撮影された笑顔の写真が遺影として飾られていた(撮影・河田真司)

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振分親方「感謝の気持ちしか」死去した東関親方へ

東関親方死去に伴い部屋で報道対応する振分親方

血管肉腫のため13日に41歳で死去した東関部屋の師匠、東関親方(元前頭潮丸、本名・佐野元泰さん)に関する取材対応に、部屋付きの振分親方(元関脇高見盛)と、おかみで故人の真充夫人(40)が14日、東京都葛飾区柴又の東関部屋で応じた。

今月7日に再入院した東関親方は10日ごろに意識がもうろうとなったという。ちょうど部屋は、宮崎・延岡合宿をしていて11日に帰京。振分親方は、その足で都内の病院で東関親方と対面。人工呼吸器を付けていたが、そのマスク越しでも聞こえる声で「おつかれさん」と語りかけてくれたという。「自分が行って、元気になってくれたと。目を見開いて言ってくれたので、元気になってくれると信じていたのが…。あんなに身も心も強い人が、急に体調が悪くなるなんて、信じられない。感謝の気持ちしかない」などと、時折、言葉に詰まりながら話した。

おかみの真充夫人によると、かねて「力士たちに会いたい」と話していた師匠の希望をかなえるために、担当医師に頼んで12日に、都内の病院から部屋に病床の親方を連れて帰ったという。そして弟子の1人1人の手を握り、しこ名を呼んだという。「まるで、それを待っていたかのように全員が終わると、呼吸がなくなって。みんなに見送られたのが救いかなと思います」と話した。

それから1日たって13日午後9時52分に、東関親方は息を引き取った。深夜にもかかわらず、先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎さん、一門の八角理事長(元横綱北勝海)ら関係者が弔問に訪れたという。「これからも東関部屋をよろしくお願いします」。気丈に報道対応した真充夫人は、最後にそう言って部屋の継続発展に思いを込めていた。

東関親方死去に伴い部屋で報道対応する振分親方

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元富士桜の中沢栄男氏「早すぎる」東関親方悼む

元関脇富士桜の中沢栄男氏(71)が14日、元前頭潮丸の東関親方の死去を悼んだ。13日は連絡を受けて、東京・葛飾区の東関部屋に駆けつけたという。「41歳はあまりにも早すぎる。子供もまだ小さいし、これからという時だったのに」と声を落とした。

中沢氏は12年12月に中村部屋を閉鎖して転属し、13年2月の65歳定年までは東関部屋付き親方となった。元関脇高見山、元横綱曙と部屋の師範代でもあり、東関親方の入院中は稽古や合宿で指導することもあった。中村部屋から転属した力士3人と床山1人が、今も現役を続けている。「余計な口を出す身ではないが、できる限りの協力はしたい」と話した。

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元前頭潮丸の東関親方が血管肉腫で死去 41歳

元前頭潮丸(08年03月10日撮影)

大相撲の元前頭潮丸の東関親方(本名・佐野元泰=さの・もとやす)が13日午後9時52分、東京・葛飾区の部屋で血管肉腫のため死去した。14日に日本相撲協会が発表。41歳だった。東関親方は体調不良のため、昨年の九州場所から休場していた。通夜、告別式などの日程は未定。

この日、部屋で取材に応じた、おかみさんで妻の真充さん(40)によると、7日から入院していた東関親方は10日に容体が悪化。かねて「力士たちと会いたい」と話していた親方の意向をくんで、12日に入院先の病院から部屋に戻した。宮崎・延岡市で合宿を行っていた部屋の力士も急きょ帰京。部屋に戻った東関親方は、穏やかな表情で弟子1人1人の手を握ってコミュニケーションを取ったという。真充さんは「みんな見送ることができた。それだけは救い」と話した。

現役時代は先代東関親方(元関脇高見山)の弟子として、176センチと小柄な体格ながら押し相撲で活躍した。94年春場所の初土俵から02年初場所で新十両、同年秋場所で新入幕。最高位は西前頭10枚目だった。09年5月の夏場所限りで現役を引退して、同年6月に年寄「東関」を襲名。昨年2月には部屋を東京・墨田区から葛飾区に移転し、部屋開きを行った。がん発覚後、この1年間は化学療法を主に闘病生活を送っていたが、関取輩出の夢はかなわなかった。

弟弟子で部屋付きの振分親方(元小結高見盛)は「現役の頃からあんな強い人が、お酒を豪快に飲む人が何で急に体調が悪くなったんだと。あんなことになるなんて、信じられない」と、早すぎる別れにショックを隠さなかった。師匠を失った部屋の扱いは今後話し合われる。

断髪式で朝青龍にはさみを入れてもらう元前頭潮丸(東関親方)(2010年1月31日撮影)

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初金星に禁断の日本人初ガッツポーズ/井筒親方悼む

84年1月、初場所7日目に全勝の隆の里から初金星を挙げた逆鉾は土俵上で思わずガッツポーズ

大相撲の元関脇逆鉾の井筒親方(本名・福薗好昭=ふくぞの・よしあき)が16日、都内の病院で死去した。58歳だった。秋場所前から体調を崩し、本場所を休場して入院。16日夜に容体が悪くなった。関係者によると、膵臓(すいぞう)がんとみられる。

   ◇   ◇   ◇

土俵ではやんちゃで血気盛んだった。84年初場所7日目に、全勝の横綱隆の里を得意の外掛けで破った。初金星に、思わず土俵上でご法度のガッツポーズをした。それまで高見山が1度やったが、それ以来となる日本人力士で初めてのことだった。

両手をつく立ち合い正常化が求められた秋場所では、取り直し第1号にもなった。大関北天佑をもろ差しで電車道も、九重審判長(元横綱北の富士)に「ちょん立ちだからもう1回」と不可とされた。これに逆鉾はぶぜんとし、審判長をにらみつけながら土俵を横切って戻ったこともあった。

弟寺尾ら昭和38年生まれのサンパチ組が活躍する時代に、2歳年上も存在感があった。父譲りのもろ差しからガブリ寄りが十八番で、相撲っぷりに血統もあって人気者。金星7個に三賞9度。胸を張り、肩をいからせ闊歩(かっぽ)していた。土俵でもアゴが上がる癖が直らなかったが…。

普段はシャイでまじめ。初めて飲んだ時も「記者さん、俺なんか意味ないよ。アビ(弟寺尾の愛称)を誘った方がいいよ」とはにかんだ。小さいころから初代若乃花のファン。雑誌や本を買いあさり、現役時も読みふけった。昭和の土俵を沸かせた個性派だった。【河合香】

井筒親方(10年01月11日撮影)

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朝乃山「一途に前へ」ラッキー呼ぶ/大ちゃん大分析

鶴竜(右)を寄り切りで破る朝乃山(撮影・中島郁夫)

<大相撲秋場所>◇5日目◇12日◇東京・両国国技館

西前頭2枚目の朝乃山(25=高砂)が、無敗の横綱鶴竜を破り、初金星を挙げた。得意の右四つから寄り切る完勝で3勝2敗とした。

      ◇      ◇

ある意味、朝乃山にとってラッキーだったのは、鶴竜が安易に打った右の下手投げだ。あれで朝乃山は左上手を十分に引きつけられた。ラッキーではあるが、そうさせるだけの前に出る馬力が朝乃山にはあった。

負けはしたが攻め込んだ前日の遠藤戦、引かせた3日目の貴景勝戦も内容は悪くない。高見山さん、富士桜さん、私や小錦もそう。四つと押しの違いはあるが、いちずに前に出る相撲は高砂部屋の伝統。その姿勢を朝乃山は見せてくれた。場所前は蜂窩(ほうか)織炎で満足に稽古できなかったから「とにかく前に出ればいい」とだけしか師匠として言わなかった。朝乃山も万全ではないから、その一点に集中して臨んでいるのだろう。前に出れば自然とまわしを取れて四つになれる自信は、優勝した経験が大きい。余計なことを考えずに臨めているのがプラスになっていれば、まさにけがの功名だ。(高砂浦五郎=元大関朝潮・日刊スポーツ評論家)

出待ちファンのサインに応じる朝乃山(撮影・河田真司)

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