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旧東関部屋に移転した二子山部屋が始動「地元の方と交流していきたい」

寅さんの街に相撲部屋が残った-。3月いっぱいで部屋が閉鎖された東京・柴又にある旧東関部屋に、埼玉・所沢に部屋を構えていた二子山部屋が移転し、1日から始動した。

この日の朝稽古は午前7時半から約3時間。稽古後に電話取材に応じた二子山親方(43=元大関雅山)は「所沢で頑張ってきたものを発揮して、これからみんなで、さらに頑張るぞ、というのを感じられるいい稽古内容でした。関取を狙うのもいるし、同世代はそれに置いていかれないように頑張っていました。新しい部屋になって、さらにその相乗効果が出ていた気がしました」と語った。

所沢の部屋で飾っていた、現役時代の師匠だった先代武蔵川親方(元横綱三重ノ海)のA3サイズほどの写真も玄関に飾り「新たに大きな写真をいただいたので、それを稽古場に飾っている」という。またベンチプレスの器具も所沢から持ち運ぶなど、前の部屋から培われたものを引き継いでいる。

地元・柴又との交流についても言及。「コロナが落ちついたら、地元の方と交流していきたいですね。稽古見学もしてもらいたい。僕のツイッターにも(情報を)載せるので」と、コロナ収束後の日常生活が戻った際には、稽古場見学を歓迎する気持ちを口にした。

東関部屋は2代目師匠の先代東関親方(元前頭潮丸)が、初代師匠(元関脇高見山)が開設した東京都墨田区東駒形から、18年1月に葛飾区柴又へ移転。だが先代は翌19年12月に死去し、現東関親方(元小結高見盛)が部屋を継いだが、精神的負担の重さから難色を示し、1年で部屋は閉鎖。東関部屋の力士は同じ高砂一門の八角部屋へ転籍し、柴又の部屋は空き状態だった。先代東関親方の遺族や土地を有償で貸し出す葛飾区との話し合いが続き、二子山部屋が移転することが決まり、この日、門出を迎えることになった。

部屋は、葛飾区が観光戦略など地域活性化を狙って相撲部屋を誘致。約150坪の区有地を、有償で借し出して建てられた。完成から3年あまりとリフォームも必要ない築浅で2階建て。先代(故人)の「ケガした力士でも2階に上がらないで済むように、力士の生活が1階だけで全部できるようにした」という弟子への愛情から、稽古場や風呂場、ちゃんこ場がある1階に大広間も作った。2階にも20畳ほどの部屋と関取用の個室2部屋を用意。両国国技館にも公共交通機関で30分ほどと利便性もあり、相撲部屋として申し分ない立地にある。

徒歩10分ほどの所には、寅さんシリーズとなった映画「男はつらいよ」の舞台となった、東京の観光名所・帝釈天もあり、葛飾区としては観光など地域活性化の期待もかけている。

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二子山部屋が旧東関部屋に移転へ 一門の枠超え継承

二子山部屋

寅さんの街に相撲部屋は残ります-。

3月いっぱいで部屋が閉鎖された東京・柴又にある旧東関部屋に、埼玉・所沢に拠点を構える二子山部屋が移転することで調整が進んでいることが5日、分かった。関係者によれば、細部の条件が整えば今月中旬にも移転するという。

東関部屋は2代目師匠の先代東関親方(元前頭潮丸)が、初代師匠(元関脇高見山)が開設した東京都墨田区東駒形から、18年1月に葛飾区柴又へ移転。翌2月に部屋開きが行われた。だが先代は翌19年12月に死去。年明けの20年1月に、現在の東関親方(元小結高見盛)が部屋を継いだが、精神的負担の重さから難色を示し、1年をかけて高砂一門内で後継者探しを模索。それでも適任者が見つからず3月の春場所を最後に封鎖され、今年4月1日付で東関親方や力士は八角部屋(元横綱北勝海)に移籍した。

柴又の部屋は、葛飾区が観光戦略など地域活性化を狙って相撲部屋を誘致。区有地を50年間の有償で借し出して建てられた。完成から3年あまりとリフォームも必要ない築浅で、約150坪の広大な敷地に2階建ての建物。先代(故人)の「3階建ても考えたけど、ケガした力士でも2階に上がらないで済むように、力士の生活が1階だけで全部できるようにした」という弟子への愛情から、稽古場や風呂場、ちゃんこ場がある1階に大広間も作った。2階にも20畳ほどの部屋と関取用の個室2部屋を用意するなど環境は抜群。その部屋が閉鎖されたことを惜しむ多くの声が、角界や地元・柴又からもれていた。

後継師匠捜しが難航し、断念の方向に向かうと同時に、両国まで公共交通機関を使っても30分足らずという、絶好の環境にあるその部屋を、何とか継続使用できないかと関係者間で話し合いが進められていた。そんな中で浮上したのが二子山部屋の移転だ。二子山親方は藤島部屋から分家独立し、18年4月に所沢に部屋を創設。農地に囲まれた自然豊かな環境にあり、所沢市としても西武線沿線としても初の相撲部屋として話題となった。

ただ、最寄り駅から両国までは、電車を数本乗り継いで最速でも1時間以上かかり、力士の負担は大きかった。前日、明らかになった立浪部屋の茨城県つくばみらい市から、東京・台東区への移転同様、解禁された際の出稽古や東京場所で両国まで通う“通勤負担”の軽減など、稽古環境を整えたいという師匠としての思いがあった。

関係者によれば、先代東関親方の遺族や葛飾区との折衝が進み、詰めの交渉は最終段階に入っている。二子山親方は電話取材に、全てがクリアされたことを前提に「亡くなった(先代東関親方の)潮丸さんとは現役時代から仲が良かったので、その遺志を引き継ぎたい。今はコロナ禍で、すぐには難しいかもしれませんが、地元の方々と触れ合って地域の活性化に貢献したい」と話した。41歳の若さで死去した先代東関親方は、柴又に部屋を構えた際、「寅さんシリーズ」となった映画「男はつらいよ」の舞台となった「帝釈天でパレードできるような力士を育てたい」と夢を膨らませていた。志半ばで他界し「東関」の部屋名もなくなったが、その思いは一門の枠を超え、新たに部屋を構えることになる二子山部屋に継がれようとしている。

二子山部屋の看板

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床山の床鶏3・31付で退職 4・1付で床雅を採用

両国国技館

日本相撲協会は1日、東京・両国国技館で理事会を開き、床山の退職と採用を発表した。

3月31日付で床鶏(28)が退職。床鶏が所属していた東関部屋は4月1日付で閉鎖し、師匠を務めていた東関親方(元小結高見盛)や力士は八角部屋に移籍することが決まっていた。

また、協会は1日付で床雅(本名・加藤真生、18=二子山)を採用した。

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珍事!物言いの説明に物言い 言い間違いで訂正

東照山-千代の勝の一番で再度物言いで集まった後、なんともいえない表情で軍配通り千代の勝の勝ちと訂正のアナウンスをする東関親方(撮影・丹羽敏通)

<大相撲春場所>◇10日目◇23日◇東京・両国国技館

物言いの説明に、物言いがつく珍事が起こった。

東幕下44枚目千代の勝-西幕下46枚目東照山の一番。千代の勝が左を差しながら土俵際に追い込み、東照山が右の小手投げで逆転を狙った。同時に土俵外へ倒れる際どい勝負となり、軍配は千代の勝に上がったが、物言いがついた。

協議の結果を、東関審判長(元小結高見盛)が場内アナウンスで説明した。「ただいまの協議について説明します。行司軍配は東方に上がりましたが、両者が同体ではないかと物言いがつき、協議した結果、両者の体が同時と見て、取り直しといたします」と説明した。

しかし、この直後に、向正面側に座る浅香山審判員(元大関魁皇)と竹縄審判員(元関脇栃乃洋)が、顔を見合わせて何かを確認するようなそぶりを見せた。すると、土俵に上がろうとした両力士を1度土俵下に引かせ、再び審判員が土俵上に集結。状況を理解できずに土俵下にいた東関審判長は、浅香山審判員に手招きで呼ばれて土俵に上がった。

土俵上では苦笑いを浮かべる他の審判員らが、東関審判長に何かを説明する様子が見られた。

約10秒後に土俵下に戻った東関審判長は「ただいまの協議について説明します」と切り出し「行司軍配は東方に上がりましたが、同体ではないかと物言いがつき、協議した結果、西方の足が、体が、足が先に出ており、軍配通り東方力士の勝ちとします」と、しどろもどろになりながら説明した。1度目は取り直しと説明したが、2度目は軍配通りに千代の勝の勝ちとなったと説明した。

幕下の東照山と千代の勝の一番で物言いがつき協議した結果を同体で取り直しとアナウンスした審判長の東関親方(元高見盛)は自らの間違いに気付き、びっくりした表情で立ち上がる(撮影・小沢裕)
物言いがついて、二転三転したあげく勝ち名乗りを受ける千代の勝(撮影・丹羽敏通)
やくみつるさんのイラスト

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東関部屋が春場所最後に消滅 精神的負担がネックか

東関親方(2020年1月30日撮影)

日本相撲協会は12日、東京・両国国技館で理事会を開き、4月1日付で東関部屋の師匠である東関親方(元小結高見盛)や力士6人ら全員が、八角部屋に転属することを承認した。また、同日付で東関部屋を封鎖することも承認した。

東関親方は19年12月に先代東関親方(元前頭潮丸)が死去したことに伴い、部屋付き親方だったことから、昨年1月に部屋を継承。ただ、部屋の運営には師匠としての精神的負担から難色を示し、関係者によれば1年ほどの“暫定的”な継承として師匠の座を引き継いだという。高砂一門内で次期継承者を模索したが、後任選びは難航していた。

今回の承認を受けて、東関親方は協会を通してコメントを発表した。「私なりに精進して参りましたが、部屋の力士たちにとって、よりよい環境などを求め、八角理事長に相談させて頂き、3月場所を最後に東関部屋を封鎖して、力士たちと八角部屋に転属させていただく決断をいたしました」と部屋移籍および封鎖の経緯を説明した。

東関部屋は、ハワイ出身で高砂部屋付きだった12代東関親方(元関脇高見山)が、86年2月に高砂部屋から分家独立して東京・東駒形に創設。横綱曙、高見盛や潮丸らの関取を輩出した。09年6月の定年後は、当時小野川親方の先代東関親方が部屋を継承。話題を集めた人気部屋だったが、大相撲春場所(14日初日、東京・両国国技館)を最後に、約35年の歴史に幕を閉じることになった。

東関部屋の入口(2021年2月6日撮影)

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東関親方「よりよい稽古環境を求め決断しました」

東関親方(2020年1月30日撮影)

日本相撲協会は12日、東京・両国国技館で理事会を開き、東関部屋の師匠である東関親方(元関脇高見盛)と力士6人、床山ら全員が、同じ高砂一門の八角部屋(元横綱北勝海)に移籍することを承認した。4月1日付で、東関部屋としては大相撲春場所(14日初日、東京・両国国技館)が最後になる。

東関親方の話 「昨年の一月場所後から約1年間東関部屋の師匠として私なりに精進してまいりましたが、部屋の力士たちにとって、よりよい稽古環境などを求め、八角理事長に相談させていただき、三月場所を最後に東関部屋を閉鎖して、力士たちと八角部屋に転属させていただく決断をいたしました。今まで大勢の皆様に東関部屋を応援していただきまして感謝申し上げます。今後は部屋付きとして自分のできることを一生懸命頑張りますので、何卒宜しくお願いいたします。東関大五郎」。(以上、原文ママ)。

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東関部屋が春場所を最後に閉鎖か、継承者選びが難航

東関部屋を継承し、報道陣の取材に対応する東関親方(2020年1月30日撮影)

外国人力士のパイオニアが創設し、優勝11回の横綱を輩出した東関部屋(東京都葛飾区柴又)が、大相撲春場所(3月14日初日、東京・両国国技館)を最後に、閉鎖される可能性があることが8日、関係者への取材で分かった。

現師匠である東関親方(44=元小結高見盛)の後任選びが難航しているためで、このままの状況が続けば約35年の歴史に幕を閉じるという。

東関親方は、19年12月に41歳の若さで死去した先代東関親方(元前頭潮丸)の死去に伴い、部屋付き親方だったことから、年明けの昨年1月、部屋を継承した。ただ、部屋の運営には師匠としての精神的負担から難色を示し、関係者によれば1年ほどの“暫定的”な継承として師匠の座を引き継いだという。

そのため高砂一門内で、次期継承者を模索。先代高砂親方(現錦島親方=元大関朝潮)の定年に伴い、高砂部屋を継承しなかった若松親方(元前頭朝乃若)らが候補に挙がったが、不調が続き現状では候補者不在。前述の「1年間」のリミットが切れる状況では、部屋封鎖もやむなしの方向で話が進んでいるという。

東関部屋は、ハワイ出身で高砂部屋付きだった12代東関親方(元関脇高見山)が、86年2月に高砂部屋から分家独立して東京・東駒形に創設。外国出身者による初めての部屋で、ジェシーの愛称で人気を博したこともあり話題を集めた。同じハワイ出身の曙が横綱に上り詰め、高見盛や潮丸らの関取を輩出。09年6月の定年後は、当時小野川親方の先代東関親方が部屋を継承。18年1月に現在の部屋に移転した。

現在の部屋は、地域活性化の狙いで誘致した葛飾区が、区有地を有償で貸し出した土地に建築された。行政側との問題なども残り「完全には(撤退は)決まっていないが、その方向にはある」と関係者は話し、その際には東関親方と力士6人は、同じ高砂一門の八角部屋(師匠=元横綱北勝海)に移籍する方向性も示されているという。

○…部屋の存続問題について東関親方は、電話取材に「自分がどうこう言っても悪い方にとられてしまう。正直、ノーコメントです」と話した。14日初日の春場所が迫っていることもあり「場所も近いし余計なことは言いたくありません」とも付け加えた。コロナ禍で力士の生活環境も厳しい状況が続く。「自分も力士も外出はしてませんが、こんな状況ですから、いつ感染するかもしれない。(いつ感染するか分からないという)覚悟はしています」と予断を持たずに責務を全うする姿勢を示した。

◆東関大五郎(あずまぜき・だいごろう)本名・加藤精彦、元小結高見盛。1976年(昭51)5月12日、青森・板柳町生まれ。99年春場所で幕下付け出しデビュー。00年名古屋場所で新入幕。愛称は「ロボコップ」。13年初場所で現役を引退し同年10月に年寄「振分」を襲名、20年1月に年寄「東関」を襲名して部屋を継承

東関部屋の入口(2021年2月6日撮影)
東関部屋の外観(2021年2月6日撮影)

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礼儀欠かさなかった曙親方/記者が振り返るあの瞬間

曙太郎K−1入り会見 K−1参戦を表明し会見する曙親方(右)と谷川貞治プロデューサー=東京・帝国ホテル(2003年11月6日)

<スポーツ担当記者 マイメモリーズ>(32)

政府の緊急事態宣言が延長され、スポーツ界も「自粛」状態が続いている。

日刊スポーツの記者が自らの目で見て、耳で聞き、肌で感じた瞬間を紹介する「マイメモリーズ」。サッカー編に続いてオリンピック(五輪)、相撲、バトルなどを担当した記者がお届けする。

  ◇  ◇  ◇

その声が自分に向けられたものだとは、すぐには分からなかった。もう1度「オイッ!」という低い声が飛び、鋭い眼光は相撲担当になってまだ2日目の自分を見ている。03年10月31日。朝稽古の取材で東関部屋を訪れて、一礼だけして後方に座った直後、曙親方(元横綱)に呼ばれた。怒気をはらんだ口調だった。

前日、部屋の幕内高見盛が出稽古先で横綱朝青龍につり上げられ、バックドロップのようにたたきつけられて右肩を負傷した。様子を確認しに来た自分が気に食わないのかもしれない。テレビでしか知らなかった巨体に恐る恐る近づく中で、いろいろと考えた。首に下がる記者証をにらみつける親方の目が怖かった。

「お前、あいさつはどうした?」。そう言われて慌てて名乗ろうとした。すると「オレじゃない!」と語気が強まった。「師匠にだ。部屋に入ってきたらまず師匠にあいさつするのが礼儀だろ。それが日本人の心ってもんじゃないのか」。

分かる人も多いだろうが、稽古中は意外と静かな間が多い。体同士、時に頭と頭がぶつかり合う鈍い音が響き、呼吸の乱れもよく分かる。そんな空間で、相撲のすの字も分からないペーペーの担当記者ができることは、ひたすら存在を消すこと。物音を立てず、邪魔にならないよう隅っこで見ていようと思っていた。稽古を遮るあいさつすら失礼になると思い込んでいた。

その静寂を壊してまで「礼儀」を説いてくれた曙親方の思いを、今も感じることができる。慌てて師匠の東関親方(元関脇高見山)に頭を下げると、にこりと笑ってくれた。曙親方に戻り、一から名乗ると「それを忘れないようにな」と優しい声で言われた。ハワイ出身の親方に教わった「日本人の心」は、その後の記者生活の土台になった。

ところが話はまだ続く。

1週間後の11月6日の朝、日刊スポーツ1面に「曙親方 K-1参戦へ」の文字が躍った。スクープだった。部屋に行くと東関親方は明らかに落胆していて、退職の申し出は受けていたものの「気がついたら部屋に荷物がなかった。こういう言葉は使いたくないけど、裏切られた」と恨み節が出た。

稽古場で諭してくれた、あの「日本人の心」は一体どこに…。当時は自分もだいぶ混乱したものだった。

ただ、実際にK-1やプロレスに転向した曙はその後も部屋を訪れて師匠と肩を並べている。先日は闘病中の体を押して、東関親方として急逝した元幕内潮丸の葬儀に訪れた。非礼のままであれば、そうはいかないのがこの世界。礼儀を欠かさなかったからこそだと、曙の姿を見るたび、そう感じている。【今村健人】

福岡市の福岡国際センターで行われた前夜祭の支度部屋で、曙親方のKー1参戦を伝える本紙に目を通す小結高見盛(2003年11月6日撮影)

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振分親方の「東関」継承承認「力士の気持ち考えて」

東関部屋を継承し、報道陣の取材に対応する東関親方

日本相撲協会は30日、東京・両国国技館で理事会を開き、元小結高見盛の振分親方の年寄「東関」の継承と襲名、東関部屋の継承を承認した。両国国技館で行われた師匠会に参加した東関親方は「今も正直、いろいろと落ち着かなくてドキドキしている。できることを精いっぱいやりたい」と心境を明かした。

元前頭潮丸の先代師匠は、昨年12月13日に血管肉腫のために41歳で死去。師匠不在となり、同じ高砂一門の「八角部屋預かり」となっていた。他の部屋への移籍や、一門内からの新師匠の抜てきも浮上。しかし周囲のサポートもあり、育った部屋の存続を優先した。東京・柴又に部屋を新設してから約2年しかたってないこともあり、部屋関係者が存続の道を探っていた中で、春場所前に一段落する形となった。

師匠としての心構えを聞かれた東関親方は「まずは力士たち。親方として相撲を教えるだけではなくて、仮に相撲がダメになっても、第2の人生を考えてあげたい」と責任感を口にした。慎重な性格もあって、報道陣の前でしどろもどろになることも多かったが「先代のいいところを取り入れて、力士の気持ちを考えてやりたい」と堂々と話した。

◆東関大五郎(あずまぜき・だいごろう)本名加藤精彦。現役当時のしこ名は高見盛。1976年(昭51)5月12日、青森・板柳町生まれ。99年春場所で幕下付け出しデビュー。00年名古屋場所で新入幕。取組前に自らの顔や胸を激しくたたくしぐさから、愛称は「ロボコップ」。13年初場所で現役を引退し同年10月に年寄「振分」を襲名。20年1月に年寄「東関」を継承・襲名。

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振分親方が東関部屋継承へ、30日承認なら新師匠に

振分親方(2018年3月28日撮影)

元小結高見盛の振分親方(43)が東関部屋を継承する見通しであることが29日、分かった。30日の日本相撲協会理事会で承認されれば、名跡を「東関」に変更して新師匠になる。

元幕内潮丸の先代師匠は昨年12月13日に血管肉腫のために41歳で死去。師匠不在となり、当面は同じ高砂一門の「八角部屋預かり」となっていた。他の部屋への移籍や、一門内からの新師匠の抜てきなども案として浮上した。だが東京・柴又に部屋を新設してから約2年しかたっていないこともあり、東関部屋関係者は存続の道を探っていた。

振分親方は、先代が入院していることが多かった昨年、師匠代理として稽古場で指導。師匠会にも代理として出席するなど、継承するには最適の立場だった。慎重な性格もあって悩み抜いたが、周囲のサポートもあり、育った部屋の存続を優先。初場所中の高砂一門会でも、振分親方が継承することで話がまとまった。錦戸親方(元関脇水戸泉)は「どうなるか決まった。(発表は)場所後になる」と話していた。力士は環境を変えることなく、新生東関部屋として春場所を迎えることになる。

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師匠急逝の東関部屋の力士、八角部屋が一時預かりへ

大相撲の年寄総会に臨む八角理事長(撮影・小沢裕)

日本相撲協会は23日、都内で理事会を開き、東関親方(元前頭潮丸)の急逝で師匠不在となった、東関部屋所属の力士らを同じ高砂一門の八角部屋の一時預かりにすると発表した。

東関部屋には部屋付き親方として振分親方(元小結高見盛)がいるが、同部屋の継承者は審議中。芝田山広報部長は「どれぐらいの期間かは不明だが、一門の長である八角部屋預かりになった。何か問題があれば八角親方(元横綱北勝海)が責任を取る」と説明。東関部屋の力士らは、これまで通りに東京・葛飾区の部屋で稽古や生活を送る。また、協会のコンプライアンス委員会から「師匠に対する指導のあり方についての特別研修の実施」など、5つの暴力問題再発防止強化策を提言されたことも発表した。

元潮丸の東関親方の通夜に参列した八角理事長(2019年12月18日撮影)

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振分親方「感謝の気持ちしか」死去した東関親方へ

東関親方死去に伴い部屋で報道対応する振分親方

血管肉腫のため13日に41歳で死去した東関部屋の師匠、東関親方(元前頭潮丸、本名・佐野元泰さん)に関する取材対応に、部屋付きの振分親方(元関脇高見盛)と、おかみで故人の真充夫人(40)が14日、東京都葛飾区柴又の東関部屋で応じた。

今月7日に再入院した東関親方は10日ごろに意識がもうろうとなったという。ちょうど部屋は、宮崎・延岡合宿をしていて11日に帰京。振分親方は、その足で都内の病院で東関親方と対面。人工呼吸器を付けていたが、そのマスク越しでも聞こえる声で「おつかれさん」と語りかけてくれたという。「自分が行って、元気になってくれたと。目を見開いて言ってくれたので、元気になってくれると信じていたのが…。あんなに身も心も強い人が、急に体調が悪くなるなんて、信じられない。感謝の気持ちしかない」などと、時折、言葉に詰まりながら話した。

おかみの真充夫人によると、かねて「力士たちに会いたい」と話していた師匠の希望をかなえるために、担当医師に頼んで12日に、都内の病院から部屋に病床の親方を連れて帰ったという。そして弟子の1人1人の手を握り、しこ名を呼んだという。「まるで、それを待っていたかのように全員が終わると、呼吸がなくなって。みんなに見送られたのが救いかなと思います」と話した。

それから1日たって13日午後9時52分に、東関親方は息を引き取った。深夜にもかかわらず、先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎さん、一門の八角理事長(元横綱北勝海)ら関係者が弔問に訪れたという。「これからも東関部屋をよろしくお願いします」。気丈に報道対応した真充夫人は、最後にそう言って部屋の継続発展に思いを込めていた。

東関親方死去に伴い部屋で報道対応する振分親方

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元前頭潮丸の東関親方が血管肉腫で死去 41歳

元前頭潮丸(08年03月10日撮影)

大相撲の元前頭潮丸の東関親方(本名・佐野元泰=さの・もとやす)が13日午後9時52分、東京・葛飾区の部屋で血管肉腫のため死去した。14日に日本相撲協会が発表。41歳だった。東関親方は体調不良のため、昨年の九州場所から休場していた。通夜、告別式などの日程は未定。

この日、部屋で取材に応じた、おかみさんで妻の真充さん(40)によると、7日から入院していた東関親方は10日に容体が悪化。かねて「力士たちと会いたい」と話していた親方の意向をくんで、12日に入院先の病院から部屋に戻した。宮崎・延岡市で合宿を行っていた部屋の力士も急きょ帰京。部屋に戻った東関親方は、穏やかな表情で弟子1人1人の手を握ってコミュニケーションを取ったという。真充さんは「みんな見送ることができた。それだけは救い」と話した。

現役時代は先代東関親方(元関脇高見山)の弟子として、176センチと小柄な体格ながら押し相撲で活躍した。94年春場所の初土俵から02年初場所で新十両、同年秋場所で新入幕。最高位は西前頭10枚目だった。09年5月の夏場所限りで現役を引退して、同年6月に年寄「東関」を襲名。昨年2月には部屋を東京・墨田区から葛飾区に移転し、部屋開きを行った。がん発覚後、この1年間は化学療法を主に闘病生活を送っていたが、関取輩出の夢はかなわなかった。

弟弟子で部屋付きの振分親方(元小結高見盛)は「現役の頃からあんな強い人が、お酒を豪快に飲む人が何で急に体調が悪くなったんだと。あんなことになるなんて、信じられない」と、早すぎる別れにショックを隠さなかった。師匠を失った部屋の扱いは今後話し合われる。

断髪式で朝青龍にはさみを入れてもらう元前頭潮丸(東関親方)(2010年1月31日撮影)

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振分親方「今の力士を」まわしオファー生真面目固辞

青森・板柳町で行われた夏巡業に参加した地元出身の振分親方(撮影・佐藤礼征)

大相撲夏巡業が14日、青森・板柳町で行われ、勧進元を務めた元関脇追風海の斉藤直飛人(44)は「多くのお客さんが集まって良かった」と胸をなで下ろした。

同町出身で引退後は青森で県議会議員を務め、この巡業では同県の相撲普及を狙った。初代若乃花や隆の里、旭富士を輩出した同県だが、近年は相撲人口が減少傾向。「僕らの頃は青森出身の力士とモンゴル出身の力士が同じくらいいた。昔は相撲か野球しかスポーツがなかったけど今は多様化している。これからまた少しでも増えてくれれば」と斉藤氏。この日は2000人近くの観客が集まり、同県出身の幕内力士である宝富士や阿武咲らが人気を博した。

斉藤氏と同じく同町出身の振分親方(元小結高見盛)は、終始写真撮影やサインを求められる人気ぶり。斉藤氏からは「まわしを締めて相撲を取らないか」と打診もあったが断った。「もう自分は力士ではないので。今の力士たちを見てほしいから、自分が目立つというのはあんまりと思い…」と生真面目に話した。

青森・板柳町で行われた夏巡業で勧進元を務めた元関脇追手海の斉藤直飛人氏(撮影・佐藤礼征)

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元安美錦の安治川親方、地元青森巡業で感謝あいさつ

青森市で行われた巡業に参加し、あいさつを行う元安美錦の安治川親方(撮影・佐藤礼征)

大相撲夏巡業が13日、青森市で行われ、同県出身で元関脇安美錦の安治川親方が参加し、地元のファンに感謝の気持ちを伝えた。公の場では初めてのスーツ姿で、土俵上でのあいさつでは「現役中に長きにわたり、ここ青森から応援していただきありがとうございました。今後は青森から関取を輩出するべく、親方として頑張ります」と感謝と今後の意気込みを語ると、集まった約2000人の観客から拍手が起こった。30度近い気温の中で、既製品の黒いスーツ、白いワイシャツ、紺色のネクタイを身につけ「暑いね」と汗を滴らせた。「(特注スーツは)もう少し体形が落ちついてからかな。体重は減ったけど、青森でおいしいものをたくさん食べているから少し戻ってしまった」と笑顔。先週から伊勢ケ浜部屋の合宿が同県で始まり、安美錦もまわしをつけて指導にあたっている。数日前に勧進元からこの日のあいさつを依頼され「このような機会を設けていただきありがたい。これから(人前で)話す機会が多くなると思う。練習と思って、いい機会だった」と、貴重な経験に感謝した。

14日も北津軽郡板柳町にて、同県では2日連続となる巡業が行われ、安治川親方も連日参加する予定。安治川親方がまわしをつけて参加する企画はないが、「話があれば(まわしを)締めてきたよ。部屋でも締めているしね」と意欲満々。同町出身の振分親方(元小結高見盛)とのコラボが仮に行われれば「(膝の)サポーターも持ってくるよ」とおどけ、報道陣の笑いを誘った。

青森市で行われた巡業に参加した地元出身の、左から宝富士、元安美錦の安治川親方、阿武咲(撮影・佐藤礼征)

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元朝青龍関「先生、さようなら」床寿さん通夜に参列

4月30日に亡くなった大相撲の元特等床山、床寿の日向端隆寿さんの通夜を訪れた後、記者に思い出を語る元横綱・朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジさん(撮影・狩俣裕三)

4月30日に肺炎のため75歳で死去した元特等床山、床寿の日向端隆寿(ひなはた・たかじゅ)さんの通夜が5日、東京・江戸川区内の葬儀所で営まれた。

入門から約半世紀にわたり、角界を裏方として支えてきた。大銀杏(おおいちょう)を結う速さ、出来栄えの美しさなどから「伝説の床山」とさえ言われた。所属した高砂部屋の富士桜、高見山、朝潮、小錦らを手がけたほか、高い技術で部屋の枠を超え、同じ高砂一門の横綱千代の富士、横綱曙らの大銀杏(おおいちょう)も結った。

通夜には、その高砂一門で日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)、高砂親方(元大関朝潮)、九重親方(元大関千代大海)、錦戸親方(元関脇水戸泉)、振分親方(元関脇高見盛)ら親方衆はじめ、一門の枠を超えた現役の床山ら関係者が多数、参列した。

その中の1人が、日向端さんを「日本のお父さん」と慕っていた元横綱朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジ氏だ。遺族の意向で「指名焼香」し、親族が終わった後、一般参列者の中でいの一番に焼香した。

最後まで遺族に付き添ったダグワドルジ氏は「まさかこんなに早いとは思ってなく突然のニュースでした。最後のひと言は『床寿先生、さようなら』。もう少し生きてほしかった」と惜しんだ。「お相撲さんと違って床山さんは、侍たちのヘアスタイル(を手がける)」とし、一番印象に残っている言葉に「力士の顔と体つきに合わせて大銀杏を結うんだ、ということを言っていた」と述懐した。

「癖のある自分を直すために、いろいろ言ってくれた。平成の元で出会った2人が令和で別れた」。物静かな穏やかな口調で、恩人の死を悼んだ。6日午後1時から同所(セレモ江戸川ホール=東京都江戸川区谷河内1の1の16)で葬儀が営まれる。喪主は日向端育子さん。

4月30日に亡くなった大相撲の元特等床山、床寿の日向端隆寿さんの通夜を訪れた後、記者に思い出を語る元横綱・朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジさん(撮影・狩俣裕三)
4月30日に亡くなった大相撲の元特等床山、床寿の日向端隆寿さんの祭壇(撮影・狩俣裕三)

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彩豪さん葬儀「100個土俵プロジェクト」受け継ぐ

関係者によって出棺される墨谷さんの棺

6日に43歳の若さで死去した、大相撲の元十両彩豪(さいごう)の墨谷一義さんの葬儀が15日午後、東京・西浅草の長敬寺(東京都台東区西浅草1の2の7)で営まれた。

前日の通夜には、角界から藤島親方(元大関武双山)、錣山親方(元関脇寺尾)、西岩親方(元関脇若の里)、振分親方(元関脇高見盛)、高崎親方(元前頭金開山)ら多数の親方衆や、平幕の妙義龍、佐田の海(いずれも境川)ら現役力士はじめ関係者約300人が参列。この日の葬儀も、故人とゆかりのある多数の関係者が参列し故人の冥福を祈った。

現役時代の師匠だった元中村親方(元関脇富士桜)の中沢栄男氏は、部屋を興して最初の関取誕生となった日を思い浮かべ「やっと生まれた関取第1号に、全ての関係者と舞い上がったことが昨日のことのように思い出されます。まさに力士のかがみ。こちらが見送ってほしかった。あまりに早い」などと弔辞を読んだ。荼毘(だび)に付される都内の葬祭場に向かうバスに乗り込む間際には「現役をやめても巡業の勧進元を6回もやってくれたり、相撲のことで頑張ってくれた。もっと頑張ってほしかった。でも自慢の弟子でした」と涙ぐんだ。

相撲の普及に汗を流していた墨谷さんは、全国の小学校や相撲クラブにある土俵の改修を含め、100個の土俵を作るプロジェクトを今年に入って着手。2月に、さいたま市内で第1号が作られ、続く2番目の土俵も埼玉県内に作る予定だった。その矢先の急死だったが、墨谷さんとともに会社の運営に携わってきた関係者は「その道しるべを墨谷さんが作ってくれたので、あとは私たちで頑張ります」と、その遺志を受け継ぐ決意を語った。参列者には、墨谷さんの相撲人生を読み込んだ相撲甚句「彩豪快一代」が配られた。

弔辞を読み上げる元中村親方の中沢栄男氏(左)と位牌を持つ喪主で妻の墨谷倫子さん(中央)
元十両彩豪さん

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元十両彩豪の墨谷一義さん通夜、同期高崎親方ら参列

東京・浅草で営まれた元十両彩豪の墨谷一義さんの通夜には約300人の関係者が参列した

6日に43歳の若さで死去した、大相撲の元十両彩豪(さいごう)の墨谷一義さんの通夜が14日夜、東京・西浅草の長敬寺(東京都台東区西浅草1の2の7)で営まれた。

墨谷さんは元関脇富士桜の中村親方が興した中村部屋に入門し、1991年春場所が初土俵。95年九州場所で、同部屋第1号の関取になった。突き、押しを得意とし最高位は西十両5枚目で、十両在位は11場所。2005年1月の初場所を最後に引退した。引退後も、さいたま相撲クラブの顧問として少年相撲の相撲に携わり、さいたま巡業の勧進元も務めるなど、協会を離れても相撲の普及に尽力してきた。

そんな人柄をしのぶように、通夜には振分親方(元関脇高見盛)ら高砂一門の親方衆、行司、呼び出し、若者頭らはもちろん、一門の枠を超える藤島親方(元大関武双山)、西岩親方(元関脇若の里)、錣山親方(元関脇寺尾)、同期生の高崎親方(元前頭金開山)らが参列。さいたま巡業では埼玉栄高も運営に協力していた縁もあり、同校出身の平幕力士・妙義龍(32)と佐田の海(31)の境川部屋の現役関取や、幕下以下の若い衆らも参列した。

91年春場所で初土俵を踏んだ同期の高崎親方は「私たち201期生は88人。千代天山、春日錦、私と…(関取になったのは寿山と彩豪を合わせて5人)。急に逝ってしまいました。(3月31日に春巡業が行われた)伊勢神宮で会ったばかりなのに…」と、早すぎる故人の死を悼んだ。

墨谷さんは6日午前、台東区内にある会社事務所で倒れ、救急車で運ばれた先の病院で死去。不整脈からくる心臓発作があったとみられている。15日には同所で、午後1時から葬儀(喪主は妻の墨谷倫子さん)が営まれる。

東京・浅草で営まれた元十両彩豪の墨谷一義さんの通夜には約300人の関係者が参列した

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ロボコップ再び 振分親方勝ち名乗りイメージも…

OB戦で現役時代をほうふつとさせる気合を披露し、観客をわかせた元小結高見盛の振分親方(撮影・横山健太)

<第43回日本大相撲トーナメント>◇10日◇東京・両国国技館

ロボコップが再び国技館の土俵に戻ってきた。人気力士として一世を風靡(ふうび)した元小結高見盛の振分親方(42)が、3カードで実施された「OB戦」に登場。元小結普天王の稲川親方(38)と対戦したが、あえなく送り出しで敗れた。

入場する花道から気合十分。もちろん、最後の仕切り前に見せるパフォーマンスも健在だった。しこ名を呼び上げられると、ここまでで一番の拍手と歓声を浴びた。OB戦は、3年前の40回記念大会の特別企画として実施以降、毎年、目玉企画として行われているが、振分親方はここまで4回連続出場の“皆勤賞”。人気ぶりは、いまだ変わりなかった。

取組前は支度部屋で「(相手が)動いてくれた方が取りやすい。動かれても、すぐに再生できるように動きたい。えっ、ロボコップ? ロボコップは動きが硬いからアレだけど」と、自分なりに勝ち名乗りを受けるイメージを描いていた。だが取組では、差し手争いから左を差すも、出し投げで崩されアッサリと背後を取られた。何とか反転しようとしたが、後ろ向きのまま食いつかれ土俵を割った。

支度部屋に戻って第一声は「やっぱり動いてくれなかった…」と目をパチクリ。久々の土俵で大歓声を浴びたが「緊張しました。落ち着かないっす」と愛嬌(あいきょう)たっぷりの笑いを交えながら話していた。

OB戦で現役時代をほうふつとさせる気合で会場を盛り上げる元小結高見盛の振分親方(撮影・横山健太)
OB戦で現役時代をほうふつとさせる気合で会場を盛り上げる元小結高見盛の振分親方(撮影・横山健太)

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花形の審判部一新、元益荒雄の阿武松親方が部長に

阿武松親方(元関脇益荒雄)(2018年2月2日撮影)

 日本相撲協会は28日、エディオンアリーナ大阪で理事会を開き、新体制での職務を決めた。

 「花形」ともいわれる審判部は、顔ぶれが一新。新理事の阿武松親方(元関脇益荒雄)が、審判部長に抜てきされた。副部長は、副理事の藤島親方(元大関武双山)、役員待遇委員の錦戸親方(元関脇水戸泉)と高田川親方(元関脇安芸乃島)が務める。

 その他の審判部の親方は、以下の通り。

 貴乃花(元横綱)、中川(元幕内旭里)、湊(元幕内湊富士)、玉ノ井(元大関栃東)、大鳴戸(元大関出島)、九重(元大関千代大海)、片男波(元関脇玉春日)、浅香山(元大関魁皇)、時津風(元幕内時津海)、東関(元幕内潮丸)、立川(元関脇土佐ノ海)、田子ノ浦(元幕内隆の鶴)、浦風(元幕内敷島)、竹縄(元関脇栃乃洋)、二子山(元大関雅山)、振分(元小結高見盛)、放駒(元関脇玉乃島)、千田川(元小結闘牙)、友綱(元関脇旭天鵬)、西岩(元関脇若の里)

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