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隆の勝、麒麟児さん訃報は「知り合いから連絡来た」同郷柏出身で同じ関脇

すり足で下半身を鍛える隆の勝(代表撮影)

大相撲の関脇隆の勝(26=常盤山)が15日、同じ千葉県柏市出身で3月1日に死去した元関脇麒麟児の垂沢和春さんについて言及した。都内の部屋での稽古後、代表取材に応じ「(今月13日の訃報は)知り合いから連絡が来て、すぐニュースを見て、亡くなったと知りました」と話した。

18年3月の定年まで北陣親方として協会に所属していた間に「2、3回話したけど、向こうも(同郷だとは)知っていないと思う」と隆の勝。柏市出身で大関はいない。新関脇から3場所連続で勝ち越している大関候補は「(柏市出身)第1号になれるように」と、大関昇進に意欲を示した。

3月の春場所では6日目まで5勝1敗と好調だったが、中盤戦から終盤戦にかけて失速し、8勝止まりに終わった。「4連敗したときはメンタルもどんどん悪い方向に進んだ。あきらめかけたことも若干あった。自分の相撲が分からなくなっていった」と、精神面で課題を残したという。

自身より番付が上の朝乃山、正代の2大関、大関復帰を決めた照ノ富士の3人から白星を挙げられず、地力の差を感じた。「立ち合いでは(差を)感じなかったが、そのあと動きで落ち着いて対応されるので、余裕がなかった。その余裕があるから大関なのかな、と」。まだ上位に定着して1年ほど。「壁にぶち当たっていかないと強くならないし、いい機会、いい経験。勝ち越すまでの相撲内容をしっかりしないと。大関(相手)だから負けてもいいや、ではなくて、大関を倒してやろう、という気持ちの強さがもっと必要。今まで以上にもっと必要だと思った」と前を向いた。

夏場所に向けて稽古に励む隆の勝(中央)。左は貴源治(代表撮影)

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元関脇麒麟児、突然の訃報 30年前の“あの日”と変わらない柔らかな物腰

行司控室で指導を受ける行司として二所ノ関部屋に入門した押田裕光(1989年1月20日撮影)

新年度が始まる春。新たな出会いの季節でもあり、一方で卒業や異動など別れの季節でもあるだろう。悲しいのは人生の卒業…。訃報が飛び込んだのは13日のことだった。

元関脇麒麟児の垂沢和春(たるさわ・かずはる)さんが、67歳の若さで旅立った。今も語り草となっている、天覧相撲での富士桜との死闘。108発にも及ぶ壮絶な突っ張り合いを、今、演じられる取組はないだろう。

当時、大関貴ノ花ファンで中学2年だった私も部活から帰り、固唾(かたず)をのんでテレビで見ていた記憶がある。その垂沢さんが今から3年前に定年を迎えた際は、その3年前に受けた頭部腫瘍の摘出手術を受けた影響から、顔面にまひの症状が残り、現役時代の面影は薄かった。それでも退職間際、最後に会った時の紳士然とした柔らかな物腰は“あの日”と少しも変わらなかった。

1989年、というより平成元年といった方が経過した時間の重みが分かるだろうか。昭和天皇の崩御で喪に服すことから、初日が1日遅れて月曜日から始まった大相撲初場所。それは私にとっての相撲担当「初土俵」の場所だった。3シーズン務めたプロ野球担当からの配置転換で、右も左も分からぬまま頭の中は大混乱。そんな中、場所中にある若者の行司デビューを取材する機会があった。

2カ月後の春場所で、行司として初土俵を踏む15歳の押田裕光君。前年秋場所後を最後に引退した北陣親方(元麒麟児)の、おいにあたる青年だった。千葉・柏中3年の夏、力士になりたかった押田君は「身長規定に足らないんです。でも相撲が好きで身内に相撲界の人がいるから」と二所ノ関部屋で修業に入った。初場所中は、折を見て両国国技館の行司控室で先輩行司から指導を受けていた。

緊張しきりの押田君を横目に、取材に応じてくれた北陣親方は「修業はつらいけど立派に土俵を務めてほしい」と願いを込めるように話してくれた。驚いたのは、その後だ。「どうぞ、よろしくお願いします」。8歳も年下の新米相撲記者に、頭を下げたシーンは今でも鮮明に覚えている。会釈でも、ちょこんと頭を下げたわけでもない。下げた後、少し静止して頭を上げてニコッと笑みを送ってくれた。前年の暮れから相撲担当になったが、稽古場に行っても場所に行っても別世界のように感じられた。言葉遣いも荒っぽく、ちゃんこの味も染みていない若輩記者は、ただただ「怖い世界だな」と思うばかりだった。

そんな中で紳士的に対応してくれたのが北陣親方。部屋付きとして稽古場では、鋭い眼光と若い衆を腹の底から絞り出すような声で叱咤(しった)激励する姿に、あの天覧相撲で見せた「力士麒麟児」をほうふつとさせたが、稽古を終え我々と談笑する際は、まるで別人のような温和な人だった。NHKの大相撲中継でも、ソフトでさわやかな語り口と分かりやすい解説で、お茶の間の相撲ファンを引きつけた。

あの32年前、私に「よろしくお願いします」と頭を下げ成長を見守っていた、おいの押田君は、今や幕内格行司の12代式守錦太夫として立派に土俵を務めている。叔父も、きっと天国から優しいまなざしで土俵を見守っていることだろう。多臓器不全のため亡くなったのは3月1日。発表が1カ月以上も先になったのは、春場所の初日まで2週間を切った時に、悲しい知らせを角界に伝えるのは忍びない、場所も終わって落ち着いた時にでも、という故人の遺志が尊重されたのではないかと、勝手に思っている。

「別れ」でもう1つ思い出した。私の「初土俵」となった、あの89年初場所初日。取材のスタートは、前年12月に部屋開きし、この初場所が晴れのデビュー場所となる新生・峰崎部屋だった。「新米記者には、新しい部屋から一緒にスタートするのがいいだろう」という先輩の温かい? 配慮で、朝6時の稽古から32歳の峰崎親方(元前頭三杉磯)と、3人の弟子の記念すべき1日を追った。

営団地下鉄(現東京メトロ)赤塚駅から市ケ谷を経由して両国へ。超満員電車での“通勤”に峰崎親方が、1番相撲を控える弟子の1人に「サラリーマンにならなくて良かっただろう」と笑顔で話しかけ緊張を和らげていたのが、ほほえましかった。その力士は「峰崎部屋1番相撲」で敗れた上に、移籍前に所属していた「放駒部屋」とアナウンスされるハプニングもあったが、それも今はいい思い出になっていることだろう、と思いたい。緊張で食事も喉を通らなかった、その若い力士も白菜、焼き豆腐、ぶりなどが、たっぷり入ったちゃんこを平らげていた。頼もしい限り…そんな思いで「取材初土俵」を終えた。

その峰崎部屋も、師匠の定年に伴い3月の春場所で閉鎖となった。時の流れとともに、移ろいゆく大相撲の世界。10年ひと昔というが、デジタル化された現代は1年でも「ひと昔」と感じざるを得ない。それでも30年前の記憶が、しっかり残されている。この世界独特の人情味があるからこそだろう。【渡辺佳彦】

75年5月、夏場所で富士桜(右)と猛烈な突っ張り合いを見せる麒麟児

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元大善の富士ケ根親方「お母さん元気になる」と角界誘われ 恩人麒麟児悼む

富士ケ根親方(元大善)

元関脇麒麟児の先代北陣親方(本名・垂沢和春)が67歳で死去し、富士ケ根親方(56=元小結大善)が13日、恩人を悼んだ。

幼少時から家族ぐるみで麒麟児を応援していた縁があり、高1の時にスカウトされた。麒麟児は当時27歳。富士ケ根親方は、本名の高橋徳夫にちなんで「徳(とく)」と呼ばれていた。「おふくろはすごく体が弱くて、30代半ばで総入れ歯に近かった。麒麟児さんに『徳が相撲取りになったら、お母さんは喜ぶぞ、元気になるぞ』と言ってくれて…。もちろん、相撲界に興味はあったけど、力士になろうと思わせる言葉でした」。

二所ノ関部屋に入門すると、師匠(元関脇金剛)はもちろん、兄弟子の大徹(現在の湊川親方)が胸を出してくれて、麒麟児が指導をしてくれた。23歳で関取になった。母明代さんは、家から徒歩10分の春場所会場まで毎年応援に駆けつけてくれた。病気と闘いながら、70すぎまで生き抜いた。麒麟児が入門時に言ってくれた通りだった。

「親方(元麒麟児)は、いてくれるだけで周囲が明るくなる、太陽のような人でした」と富士ケ根親方。先代北陣親方は、NHKの大相撲中継やサンデースポーツの解説でファンから親しまれた。富士ケ根親方が大相撲中継で解説を務めた日、放送を終えるといつも先代北陣親方から留守電が入っていたという。

「『徳、聞いたよ~。もうちょっとゆっくりしゃべれよ』などと、言っていただきました。聞いてくれているんだなと思うと、それがうれしくてね。アドバイスをいただいたのですが、親方の域には達しませんでした。でも、声を聞くだけで童心に戻れました」

先代北陣親方の葬儀は家族葬として執り行われた。最期には立ち会えなかったが、富士ケ根親方は恩を忘れない。「(師匠だった)金剛さんは『井戸を掘った人を大事にしろ』と、つまり導いてくれた人を大事にするんだぞとよく言っていました。感謝してもしきれません。協会も苦しい時期ですけど、しっかり自分もまっとうできるようにしっかりしていきたいです」。【佐々木一郎】

麒麟児
断髪式を終えタキシード姿になった元関脇麒麟児の北陣親方=1989年1月29日

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幕内格行司の式守錦太夫「今日の自分は親方のおかげ」元関脇の麒麟児悼む

現役時代の元関脇麒麟児(1978年撮影)

元関脇麒麟児の先代北陣親方(本名・垂沢和春)が67歳で死去し、親戚でもある幕内格行司の式守錦太夫(47=二所ノ関)が故人を悼んだ。

先代北陣親方は、錦太夫にとって義理の叔父。母の妹が、先代北陣親方の妻だった。錦太夫は「僕が中2の時に『行司になってみないか?』と誘われました。この世界に入って三十数年ですけど、やっぱり何度もくじけそうになったことがあるわけで、そのつど支えてくれたのが親方。今日の自分があるのは親方のおかげだと実感しています」と感謝した。

断髪式を終えタキシード姿になった元関脇麒麟児の北陣親方=1989年1月29日

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元関脇富士桜、突っ張り合い天覧相撲「一番の思い出」好敵手の元麒麟児悼む

75年5月、夏場所で富士桜(右)と猛烈な突っ張り合いを見せる麒麟児

元関脇富士桜の中沢栄男氏(73)は元麒麟児の垂沢氏の訃報に触れ、75年夏場所中日の天覧相撲を「力士として一番の思い出」に挙げた。

「相撲は負けたが、一番の思い出になっている。向こうもこっちもいい相撲がとれた。やり切った感があった」と振り返った。

昭和天皇は富士桜ファンになったとまで言われたが「いい相撲を見せられてよかった。喜んでくれたようで」と話した。両者とも54発の突っ張りの末に、最後は上手投げに敗れた。「向こうの方が一回り大きく、若いし。こっちの息がもたなかった」という。

通算でも9勝17敗と分が悪かった。「勝つのは3回に1回ぐらい。同じ押し相撲で、突っ張りという型も同じ。負けたくなかった。最後の一番はおれが勝っている」と笑った。

「同じ型の相手とはやらなかった」と、稽古をしたことはほとんどなかった。「部屋が違えば、話もほとんどしないものだった」。交友はなかったが「おれより5歳も若いのに」と好敵手の死を悼んだ。

75年5月、夏場所で富士桜(右)と猛烈な突っ張り合いを見せる麒麟児
大相撲 夏場所8日目、麒麟児対富士桜 果てしなく続くように思われた突っ張り合いは、両力士とも56発繰り出し富士桜(左)は口の中を切り鮮血が飛ぶ(1975年5月18日撮影)
大相撲 夏場所8日目、麒麟児対富士桜 精根尽き果て両力士(左手前が富士桜)土俵下へ、突っ張りが大部分で26秒はまさに死闘。天皇陛下も「いい相撲だった」と感想(1975年5月18日撮影)
麒麟児
75年9月、秋場所で三賞受賞者の、左から殊勲賞麒麟児、敢闘賞鷲羽山、技能賞旭国
北陣親方(元関脇麒麟児)(2008年09月6日撮影)
断髪式を終えタキシード姿になった元関脇麒麟児の北陣親方=1989年1月29日

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しこ名でも最難関の漢字「麒麟児」子どもには学びのきっかけ/悼む

現役時代の元関脇麒麟児(1978年撮影)

<とっておきメモ>

日本相撲協会は13日、元関脇麒麟児(本名垂澤和春氏)が3月1日に多臓器不全のため死去したと発表した。67歳だった。

   ◇   ◇   ◇

大相撲で元関脇の麒麟児は、私にとっては「漢字の先生」だった。幼稚園年長から小学校低学年くらいまで、午後4時前からテレビの前に陣取る相撲少年だった。ノートに手書きで、力士名、勝ち負け、決まり手などの勝敗表を、幕内全取組でつけていた。

当時、私の好きな力士は「若嶋津」(現二所ノ関親方)。だが、小1か小2の習字の時間に、担任の先生から「好きな漢字を書いて」と言われ、筆で記したのは「麒麟児」だった。私にとって、力士の中でもっとも書くことが難しかったのが「麒麟児」だった。ようやくきれいに書けるようになったことがうれしかったのだろう。平仮名で書く妥協はせず、泣きながらでも書き続けた成果だった。「鳳凰」「鷲羽山」「魁輝」なども難しかった記憶がある。先生からも、同級生の前で「漢字の横綱」と呼ばれ、鼻を高くした記憶もある。それが、次の力士名を覚える原動力でもあった。女性だった担任は「北の湖」の大ファンだった。若嶋津が北の湖に勝った翌日は、子どもながらに私に対して不機嫌な先生の態度も鮮明に残っている。

大相撲担当時代、元麒麟児の北陣親方に「僕は親方のおかげで漢字をたくさん覚えられたんです」と話したことがある。返ってきた言葉は意外だった。「私は最初、麒麟児のしこ名が嫌だったんですよ。書くことも難しいし、大人にもちゃんと呼んでもらえない時もある。子どもにはキリン(麒麟)なのに、なんで背が低いの? なんて言われたこともあるんですよ」。私が「親方が得意の張り手、突っ張りしなかったんですか?」と冗談を言うと「背が低いキリンもいるんだよ、と言ったんですよ」と笑った。続けて、「おじちゃんの名前は麒麟児でしょ。児というのは子どもってこと。キリンの子どもだから小さいんだよね」と言ったらしい。その子にとっても「児」の意味を教えてくれた、優しい先生になった。【13~14年相撲担当=鎌田直秀】

84年夏場所、北の湖(右)を突っ張りで激しく攻める麒麟児
断髪式を終えタキシード姿になった元関脇麒麟児の北陣親方=1989年1月29日

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元関脇の麒麟児が死去、多臓器不全で67歳 108発の突っ張り合いも

1976年1月、大相撲初場所4日目 富士桜(左)と麒麟児

日本相撲協会は13日、元関脇麒麟児の垂沢和春さんが3月1日に多臓器不全のため死去したと発表した。67歳だった。

強烈な突っ張りを武器に、幕内通算84場所で三賞受賞は11度。昭和28年生まれで「花のニッパチ組」の1人として土俵を沸かせた。現役引退後は北陣親方として後進の指導に当たり、18年に日本相撲協会を退職していた。

   ◇   ◇   ◇

また1人、名力士がこの世を去った。日本相撲協会は、元関脇麒麟児の垂沢さんの死去を発表。協会関係者によると、15年夏ごろに頭部の腫瘍摘出手術を受けた影響で顔面にまひの症状が残り、体調が悪かったという。18年3月に65歳の定年を迎えたが、再雇用制度は利用せずに協会を退職。3年後の3月1日に、自宅で多臓器不全により死去した。近年は糖尿病と腎臓を患っていたという。葬儀・告別式は家族葬で執り行われた。

1967年夏場所で二所ノ関部屋から初土俵を踏んだ。昭和28年生まれで「花のニッパチ組」の1人として、元横綱北の湖、元横綱2代目若乃花らとともに人気を誇った。1975年夏場所8日目の天覧相撲では、富士桜との計108発に及ぶ壮絶な突っ張り合いを披露。昭和天皇が身を乗り出して観戦された一番は、今も語り草となっている。幕内優勝こそ果たせなかったが、金星6個、三賞受賞は11度と実績を残した。

88年秋場所を最後に35歳で現役引退後、北陣親方として二所ノ関部屋で後進を指導した。相撲協会では主に巡業部に所属。大相撲中継では爽やかな語り口の解説で親しまれた。

◆麒麟児和春(きりんじ・かずはる)本名・垂沢和春。1953年(昭28)3月9日、千葉県柏市生まれ。67年夏場所初土俵、74年初場所新十両。同年秋場所で新入幕。強烈な突っ張りを武器に金星6個、殊勲賞4回、敢闘賞4回、技能賞3回と三賞計11回受賞。最高位は関脇。幕内通算84場所で三役は通算17場所。通算773勝792敗34休。88年秋場所限りで引退し、年寄「北陣」を襲名。18年3月に日本相撲協会を定年退職。

麒麟児
北陣親方(元関脇麒麟児)(2008年09月6日撮影)
断髪式を終えタキシード姿になった元関脇麒麟児の北陣親方=1989年1月29日

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大相撲三賞 横綱、大関好調で史上初の該当者なし

大相撲秋場所の三賞選考委員会が23日、両国国技館内で開かれ、殊勲、敢闘、技能の各賞で、いずれも該当者なしに終わった。三賞制度は1947年(昭22)秋場所から始まったが、史上初めて、該当者なしに終わった。

これまでの最少は、63年春場所(敢闘賞の麒麟児のみ)など1人受賞が12例あった。今場所は横綱、大関陣が好調。14日目終了時点で、横綱が三役以下に敗れたのは稀勢の里が喫した3敗だけ。大関陣の平幕への取りこぼしも3つと、安定した成績を残してきた。

この日の三賞選考委員会では、候補として敢闘賞に小結貴景勝(22=貴乃花)と東前頭13枚目の竜電(27=高田川)、技能賞に西前頭15枚目の嘉風(36=尾車)の名前が挙がったが、いずれも表決で出席者の過半数に満たず、71年の歴史ある制度で初の受賞者なしが決まった。

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元大錦の山科親方が定年会見「自分なりに満足」

笑顔で花束を受け取る山科親方(撮影・河田真司)

11日に65歳の誕生日を迎え、大相撲秋場所限りで定年退職する山科親方(元小結大錦)が13日、東京・両国国技館で会見を行った。

68年夏場所で初土俵を踏み、ここまでの50年間を振り返って「本当にさっぱりしてます。自分なりに満足してます。病気やケガもあったけど勉強になったと今は思います」とすがすがしい表情を浮かべた。

元横綱北の湖、2代目若乃花、元関脇麒麟児らと「花のニッパチ組(昭和28年生まれ)」と呼ばれた。新入幕の73年秋場所では、横綱琴桜から金星を挙げての11勝で優勝次点の活躍ぶりを見せた。それでも相撲人生を振り返ると「関取に上がった時に待遇が変わったこと。絶対に(幕下に)落ちないようにと思った」と新入幕の時ではなく、新十両に昇進した時の思い出が強かった。

現役引退後は、出羽海部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たった。そして今場所は、関脇御嶽海(25=出羽海)が大関とりへ奮闘している。「先場所よりも悪い。先場所はもっと攻めてた」と、この日まで4連勝中ながらも厳しめに評価。御嶽海が名古屋場所で初優勝した際に「千秋楽に『いい餞別(せんべつ)になった』と言ったんだけど」というやりとりがあったことを明かし「今回はどういう風に言えばいいか」と、定年退職に大関昇進で花を添えられた際にかける言葉に頭を悩ました。

今後の人生については「いろいろ考えている。旅行に行くとか。でも猫1匹飼ってるからどうしようか」などと話した。大好きな酒やゴルフについては「体が言うことさえ聞いてくれれば」と明るく笑った。

相撲生活の思い出を笑顔で語る山科親方(撮影・河田真司)

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鶴竜5敗目、37年ぶりの不名誉で休場促す声も

玉鷲(手前)に突き出しで敗れる鶴竜(撮影・野上伸悟)

<大相撲初場所>◇10日目◇17日◇東京・両国国技館

 横綱鶴竜(31=井筒)が苦しい5敗目を喫した。関脇玉鷲の激しい突き、押しに防戦一方。一方的に突き出された。不戦敗を除いて10日目までに5敗を喫した横綱は、80年名古屋場所の三重ノ海以来37年ぶりの不名誉な記録となった。

 今場所は東の支度部屋の最も奥に、鶴竜の“席”がある。そこは東の正横綱の定位置。国技館で初めて座ったそこまでの距離が、今は遠く感じた。横綱、大関戦を前にした10日目で5敗目。80年名古屋場所の三重ノ海以来37年ぶりの屈辱に、入り口近くにある風呂場から戻る足取りは、重たかった。「相手を受け止め切れていないですね。自分の相撲を取り戻したい」。大きなため息が交じった。

 完敗だった。玉鷲ののど輪で上体を起こされると、何もあらがえない。ただズルズルと後ろに下がり、粘る腰もなかった。わずか3秒3。14年ほど前に偶然、部屋の前を通りがかったことで入門のきっかけをつくってあげた玉鷲に、あっけなく突き出された。先場所の優勝横綱の面影は、まるでなくなっていた。

 あまりにふがいない内容に厳しい声が飛び交った。前日と同じあっけない相撲に、八角理事長(元横綱北勝海)は「横綱として負け方が悪すぎる。気力のない相撲を取っちゃダメだ」。土俵下から取組を見守った友綱審判部副部長(元関脇魁輝)は「後は本人が責任の持ちようをどう考えるか。出てきたら期待される。それができないなら体調を整えるのも手かなと思う。これから横綱、大関戦。水を差すような相撲は…」と言葉を濁しながらも、状態次第で休場もうながした。

 「しっかり反省しなきゃいけない」と話した鶴竜は帰り際、明日以降も出場するかと問われると「はい」と答えた。ただ、4日目から崩れた相撲をまだ直しきれない。連覇の夢が一転し、99年秋場所の若乃花以来となる皆勤負け越しの恐れも出てきた。【今村健人】

 ◆横綱の10日目終了時の5敗 休場による不戦敗を除き、相撲を取って5敗を喫したのは、80年名古屋で9日目で5敗して10日目から休場した三重ノ海以来37年ぶり。横綱6場所目だった三重ノ海は、初日に西前頭筆頭天ノ山に敗れると、5日目に関脇琴風、6日目に平幕千代の富士に連敗。さらに8日目に関脇朝汐、9日目に平幕黒瀬川に敗れ、10日目麒麟児戦は不戦敗となった。翌秋場所は全休し、九州場所で初日から連敗後に引退している。

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【復刻】大錦らと「花のニッパチ5人衆」/北の湖2

1977年九州場所 北の湖(右)のすくい投げに転がった高見山(左)

 北の湖が横綱に昇進した74年(昭49)、同じ昭和28年(1953年)生まれの麒麟児と栃光(後の金城)が入幕。後に横綱2代目若乃花となった若三杉、大錦とともに「花のニッパチ5人衆」と呼ばれた。角界では前例のない呼び方だった。

 証言 元若三杉の間垣親方(42=元横綱2代目若乃花) 「北の湖関と並べてニッパチと呼ばれたが、私には目標だった。あの当時は、北の湖関に勝ったら館内は大歓声で、ザブトンが舞ってね。その快感が自分の原動力になったことは間違いない」。

 このころ、「新御三家」や「花の中三トリオ」など、同世代のライバルをグループで扱うのが、芸能界でも流行した。この軽いノリを相撲界も受け入れた。現実には北の湖一人が抜きんでていた。

 証言 現二子山親方 「あの体でスピードはあるし、突っ張りも出る。円を描く相撲ができる人だったね。一直線に出てくるんだけど、差し手を返しながら円を描くように攻めてくるんだ」。

 玄人ファンは別にして、美男力士の貴ノ花や若乃花をやっつける北の湖は、茶の間からは悪役に見えた。肩を揺すって花道を歩く姿がふてぶてしいといわれ、負かした相手に手を貸さなかったことが批判された。

 輪島が衰えた78年(昭53)からは優勝を独占し始め、強すぎて憎らしいといわれた。

 証言 間垣親方 「ファンの量の差ではなく、層の違い、質の違いだった。男から見たら、北の湖関のあの強さはあこがれだった。私も、一度でいいから“憎らしいほど強い”と言われたかった」。

 78年(昭53)9月場所では5連覇を達成、この年、大鵬の81勝を破る年間最多勝82を記録した。北の湖の「横綱は負けてはいけない、優勝は横綱から出なくてはいけない」という信念は、みじんも揺るがなかった。しかし、自分の天下が長ければそれでいいという功績主義とは、微妙かつ絶対的な差異があった。

 証言 北の湖 「憎らしいといわれることなど、どうってことはなかった。それより負けることの方がよっぽどつらかった。横綱の重圧がいつもあって苦しかった」。

北の湖は輪湖時代に4回(75年3、5、7月、78年3月場所)、輪島引退後に3回(81年3、5、7月場所)「一人横綱」を務め、7場所で4度優勝した。

 証言 北海道・壮瞥町営「北の湖記念館」勤務の高橋達也さん(40)

「北の湖は、横綱はたくさんいた方がいい、と言っていた。自分の優勝回数は減るかもしれないが、自分がだめなときでもだれかが優勝してくれるから、と」。

 他の力士は、北の湖を破ることで、光ることができた。貴ノ花の2度の優勝や2代目若乃花の誕生は、祭りのような騒ぎになった。千代の富士が大関、横綱の昇進を決めた時も、北の湖を千秋楽で破ってドラマをつくった。

 自身が新横綱をかけた一番では、輪島に2回「待った」をされた。しかし追われる立場になっても、北の湖は絶対にそれをしなかった。真正面から受けて立った。

 証言 元日刊スポーツ相撲担当記者・宮沢正幸氏(65) 「大鵬は何がなんでも絶対王座を死守した横綱だった。一方北の湖には、次の横綱を育てるという意識が強かった。相撲界全体を考えた横綱として、協会の評価は高い」。 【特別取材班】

(つづく)

 ◆新御三家 郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎のトリオが7 2年(昭47)にそろってヒットを飛ばした。実際には野口が56年(昭31)の早生まれだったが、55年(昭30)生まれのトリオとして、60年代の「御三家」(橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦)にあやかり、「新御三家」と呼ばれた。郷の「男の子女の子」、西城の「恋する季節」はともにデビュー曲、前年デビューの野口は2曲目の「青いリンゴ」が大ヒットした。その後、郷は「よろしく哀愁」「林檎殺人事件」、野口は「甘い生活」「私鉄沿線」、西城も「傷だらけのローラ」「YOUNG MAN」などを歌い、郷、西城は今も現役で活躍、野口は現在はタレント活動を中心にしている。

(1995年7月23日付日刊スポーツから)

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引退天龍が三沢さん語る「巡り合わせ」

丸橋(左)にチョップを浴びせる天龍(撮影・田崎高広)

<ノア:三沢光晴メモリアルナイト2015>◇13日◇広島グリーンアリーナ

 メーンの三沢光晴メモリアルマッチではベテランが壮絶なファイトを展開した。

 11月に引退する天龍源一郎が三沢さんへの思いを語った。引退の年と三沢さんの七回忌が重なり「これも人生です。かっこよく言わせていただければ、巡り合わせですかね」と、慎重に言葉を選びながらしみじみ。さらに「ざっくばらんに言えば、プロレスの申し子。三沢は上手で武藤はうまい。言葉としては同じだけど、ニュアンスでね(微妙に違う)」と評した。ノアを背負う丸藤とは壮絶なチョップ合戦の末、ガッチリと握手を交わした。「プロレス界の麒麟児(きりんじ)ですよ。いいもの持ってます」と期待をうかがわせた。

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若の里861勝 寺尾抜き単独“神セブン”

大道(右)を破り通算1563回出場を白星で飾った若の里(撮影・岡本肇)

<大相撲春場所>◇7日目◇15日◇大阪・ボディメーカーコロシアム

 西十両8枚目の若の里(37=田子ノ浦)が東十両5枚目の大道(31=阿武松)を突き落としで下して5勝2敗とした。

 これで通算勝利数は、元関脇寺尾を抜いて単独7位の861勝。悲願の? 単独“神セブン”入りを果たした。「前半で5勝できて良かった」と、ひとまず胸をなで下ろした。

 1つ上の記録は大横綱大鵬の872勝。あと11勝と迫ったが「恐れ多いですよ。オレみたいな十両の弱い力士と大横綱を比べちゃいけないです。うれしいのはうれしいですが、比べるのは失礼です」と何度も恐縮していた。

 通算出場も、元関脇麒麟児を抜いて単独10位の1563回となった。中日8日目の出場で、元関脇水戸泉の1564回に並ぶ。

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旭天鵬が歴代6位幕内在位85場所/春場所

<大相撲春場所>◇初日◇10日◇大阪・ボディメーカーコロシアム

 西前頭8枚目の旭天鵬(38=友綱)が単独歴代6位となる幕内在位85場所目を記録した。

 初場所で麒麟児とタイだった。「まだいきまっせ。記録はモチベーションになる」と黒星発進にも笑み。中日で通算出場1654回となり、歴代5位の高見山に並ぶ。昨年夏場所に優勝したが「1年はやめられないと思った」と話す。「体は元気だけど、来年ここにはいないよ」と言いつつ、ご機嫌で引き揚げていった。

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二所ノ関部屋が閉鎖 所属3力士は引退

 日本相撲協会は28日、二所ノ関部屋が同日付で閉鎖され、二所ノ関親方(元関脇金剛)や部屋付きの北陣親方(元関脇麒麟児)湊川親方(元小結大徹)と行司、床山の計5人が同じ二所ノ関一門の松ケ根部屋に転属すると発表した。

 富士ケ根親方(元小結大善)は出羽海一門の春日野部屋に移り、所属していた3力士は、同日付で引退届を提出した。

 二所ノ関部屋は横綱大鵬らを輩出した名門だったが、二所ノ関親方が昨秋から頭部の疾患により長期入院中で、部屋の運営が困難になっていた。

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中村親方定年「あっという間…満足」

記者会見後に花束を受けとり笑顔の中村親方(共同)

 元関脇富士桜の中村親方が24日、場所後の2月に65歳定年を前に会見した。

 63年春初土俵でちょうど50年に「あっという間。よくやって、満足しました」。昭和天皇がファンで、75年夏の天覧相撲での麒麟児との一番は、今も名勝負と言われる。突き押しに徹して突貫小僧と呼ばれた。「子どもができても小僧は困った」と笑わせた。金星9個に三賞8回受賞。2代目若乃花の新横綱場所初日に金星を挙げ「うれしかったね。結構横綱に強かったんだ」。親方としては同じ中卒たたき上げを鍛え、4人の十両を育てた。すでに先場所で部屋は閉めている。

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富士ケ根親方は貴乃花部屋転属

 二所ノ関部屋の北陣親方(59=元関脇麒麟児)と湊川親方(56=元小結大徹)が10日、部屋の閉鎖にともなって転属する千葉・船橋市の松ケ根部屋へ、行司の式守慎之助(39)、床山の床平(54)とともにあいさつに出向いた。北陣親方によると、3人の力士は初場所限りで引退の予定。富士ケ根親方(48=元小結大善)は貴乃花部屋へ転属する見通しとなった。

 頭部の疾患で入院中の二所ノ関親方(64=元関脇金剛)について、北陣親方は「症状は芳しくない。今回の件を理解しているかどうか、分からない」と説明。一方、富士ケ根親方は出張先の大阪で今後について「話せるときがくれば話します」とした。部屋の閉鎖に伴い、二所ノ関一門の新名称は、初場所9日目の一門会で検討する。場所後に、転属が正式決定するため、松ケ根親方(55=元大関若嶋津)は「その時まで、コメントは控えたい」と話した。

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二所ノ関部屋消滅 横綱大鵬を生んだ名門

59年9月、二所ノ関部屋前で犬を抱く大鵬

 大相撲史上最多の優勝32回を誇る横綱大鵬ら数々の強豪力士を生んだ二所ノ関部屋が初場所(13日初日、両国国技館)を最後に閉鎖されることが9日、日本相撲協会関係者の話で分かった。師匠の二所ノ関親方(64=元関脇金剛)が昨秋から頭部の疾患により長期入院中。部屋の運営が困難になり、今年11月18日の定年を待たずに看板を下ろすことになった。

 二所ノ関親方や、北陣親方(元関脇麒麟児)ら部屋付き親方3人は初場所後に二所ノ関一門の松ケ根部屋などへ転籍する予定。当初は、部屋付き親方の中から後継者を探したが、話がまとまらなかった。二所ノ関部屋には行司と床山が1人ずつのほか、三段目以下の力士3人が在籍。力士は部屋の消滅をきっかけに、初場所限りで引退する可能性もある。

 二所ノ関部屋は大鵬のほか、戦前の土俵に君臨した横綱玉錦や、佐賀ノ花と大麒麟の両大関、後にプロレスラーとして大活躍した関脇力道山や幕内天龍らを輩出。「土俵の鬼」と呼ばれた横綱初代若乃花、横綱玉の海、大関琴ケ浜も入門からしばらく在籍した。現在の二所ノ関親方は1976年9月に部屋を継承し、小結大善(現富士ケ根親方)らを育てた。

 師匠の入院、手術にともない、早期復帰が困難になったため、最近は3人の部屋付き親方を中心とした話し合いがもたれ、結論が出た。部屋の土地は借地のため、現在の建物を使用しての部屋再興は、事実上不可能。大鵬らが育った土俵は、初場所限りで役目を終えることになる。

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大鵬生んだ名門 二所ノ関部屋が消滅へ

 大相撲で史上最多の優勝32回を誇る横綱大鵬ら数々の強豪力士を生んだ二所ノ関部屋が初場所(13日初日・両国国技館)を最後に閉鎖されることが9日、日本相撲協会関係者の話で分かった。師匠の二所ノ関親方(64)=元関脇金剛、本名北村正裕、北海道出身=が昨秋から頭部の疾患により長期入院中で、部屋の運営が困難になっていたという。後継者も見つからず、角界屈指の名門部屋が消滅に追い込まれた。

 ことし11月の九州場所を最後に定年退職する二所ノ関親方や、北陣親方(元関脇麒麟児)ら部屋付き親方3人は初場所後に二所ノ関一門の松ケ根部屋などへ転籍する予定。二所ノ関部屋には三段目以下の力士3人、行司と床山が1人ずつ在籍している。

 二所ノ関部屋は大鵬のほか、戦前の土俵に君臨した横綱玉錦や、佐賀ノ花と琴ケ浜、大麒麟の3大関、後にプロレスラーとして大活躍した関脇力道山や幕内天龍らを輩出。「土俵の鬼」と呼ばれた元横綱初代若乃花も入門から約6年間在籍した。

 現在の二所ノ関親方は1976年9月に部屋を継承し、小結大善(現富士ケ根親方)らを育てた。

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白鵬は順当に勝つ/初日ドキュメント

<大相撲名古屋場所>◇初日◇11日◇愛知県体育館

 賭博問題で開催が危ぶまれた名古屋場所が開幕した。初日のようすをドキュメントで追う。

 【同5時51分】

 結びの一番で白鵬が栃ノ心に勝ち、初日の取組が終了。弓取り式。打ち出し。

 【同4時36分】

 豊真将と木村山が登場。この取組に健康食品「ウィル・サーチ」がかけた懸賞金2本の垂れ幕が登場すると大きな拍手がわく。

 【同4時19分】

 三保ケ関親方(元大関増位山を先頭に入間川親方(元栃司)錦戸親方(元水戸泉)花籠親方(元大寿山)玉垣親方(元智乃花)の勝負審判が入場。

 琴春日―翔天狼から、中入り後の取組がスタート。

 【同4時】

 東方から横綱白鵬の土俵入り。

 不知火不知火型のせり上がりから、しこを踏む瞬間に「ヨイショ ! 」の声が館内からかかる。

 【同3時57分】

 西東方幕内力士土俵入り。高見盛と大関魁皇に大歓声があがる。

【同3時54分】

 東方幕内力士土俵入り。玉飛鳥を先頭に、大関把瑠都まで。

【同3時38分】

 協会あいさつ。黒紋付き姿の村山弘義理事長代行と、役力士が土俵上へ。村山理事長代行が名古屋場所開催にこぎつけた感謝の意を表し「今後ともご指導鞭撻(べんたつ)を」とあいさつすると、館内至る所から「協会頑張れー」の大声援が飛ぶ。

【同3時19分】

 260キロの巨漢、山本山が登場。館内から大歓声。「山本山~」の声援が、あちこちから飛ぶ。だが、安壮富士との取組は、立ち合いで後ろに回られ「送り投げ」という珍しい決まり手で、仰向けにひっくり返されて負け。

【同2時40分】

 十両土俵入り。

【同2時5分】

 大関琴欧洲が、黒のベンツでさっそうと会場入り。

【同2時4分】

 グレーのスーツにメガネをかけたビジネスマン風のいでたちで、伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)が会場入り。

【同2時3分】

 琴奨菊が会場入り。

【同2時2分】

 眼鏡をかけた高見盛が会場入り。薄いえんじ色の着物姿。

【同2時1分】

 関脇・稀勢の里が会場入り。2階席には「どすこい! 牛久」の文句が入ったオレンジの法被の稀勢の里後援会のメンバーが陣取る。

【同1時40分】

 幕下の取組始まる。桟敷席で観戦中の地元・名古屋の高校教員の女性(59)。「処分は妥当な気もするが、差が大きすぎる。解雇になった人間と、謹慎だけで済んだ人間。謹慎の人はNHKの中継がなくてホッとしてるんじゃないですか。今回の騒動の原因は親方の始動が悪い。お金があって株を買えれば、65歳の定年まで安泰。それでいて、幕下以下には給料なし。この体質を変えなければ行けないと思う」。

【同0時40分】

 1杯300円の屋台ちゃんこ。午後1時の販売開始前まで、あと20分もあるというのに、2階通路で80人が並んで待つ。横綱・白鵬に次ぐ、隠れた人気者?

【午後0時23分】

 2階席で取組表に序ノ口からの勝敗を赤ペンで記入して、熱心に観戦する地元・名古屋の40歳の会社員を発見。「今回の一連の騒動の処分は、そこまでしなくてもと思うものもある。琴光喜の解雇とか。でも、暴力団の排除は、しっかりやってほしいですね」。お気に入りの力士は、横綱・白鵬。「人間的にいい。疲れているときでも、嫌な顔をせずにサインをしてくれる。最高ですね」。

【同11時19分】

 北陣親方(57=元関脇・麒麟児)が会場入り。メガネをかけてスリムになったが、童顔は現役時代と変わらず。

【同11時7分】

 桟敷席で地元・名古屋の50代の女性2人連れ。「好きな力士は白鵬。あと出られなくなっちゃって残念なんだけど、豊ノ島と雅山。本当に残念です」。

【同11時3分】

 桟敷席後方で、異様に目つきの鋭い男性2人組を発見。こそこそとささやき合いながら、廊下に出て外の様子をうかがう。この2人の背中には「愛知県警 POLICE」の文字が。暴力団関係者が入り込んでいないか、警戒に当たっている様子。おつとめご苦労さまでございます。

【同10時45分】

 会場内は2割弱の入り。売店の売れ行きはボチボチ。担当のおねえさんは「いつもの場所よりも、この時間にしては人が多いくらい」。お薦めは解雇された大関・琴光喜の雄姿が乗る日本相撲協会のパンフレット、500円。後々、お宝になる可能性も?

【同9時57分】

 勝負審判交代。暴力団関係者の入場お断りと、見つけた場合の退場が場内アナウンスで告げられる。

【同9時24分】

 2800円の当日券を求めて1人で来た一宮市の主婦(56)が、売り切れで9200円のます席Cを購入。「荒汐部屋の宿舎が地元にあるので、地域ぐるみで応援しています。いつも当日に自由席を買って入るんですけど、今回はすごいですね。下の方の人はテレビでやらないから、直接見に来ないと。十両の蒼国来に頑張ってほしいです」。

【同8時50分】

 当日券売り切れ。大人2800円、子供200円の自由席234席がソールドアウト。

【同8時30分】

 序ノ口の取組開始。最初の立錦-福島は、福島の勝ち。

【同8時20分】

 名古屋市の匿名希望の会社員(28)は「名古屋場所は、いつも当日券を買って見ています。今回の騒動は、昔からあったことだと思う。今まで、暗黙の了解みたいなものがあった。大嶽親方と琴光喜が辞めさせられたけど、阿武松親方とか時津風親方と差がありすぎる。相撲界を辞めたら、絶対に戻れないんだから。大嶽親方は社交性があるからなんとかなるだろうけど、琴光喜が心配。名古屋にもたくさん、元力士のちゃんこ料理の店があるけど、うまくいかずにつぶれた店もあるからね」。

【同8時15分】

 開場。先頭に並んださいたま市の会社員(56)。「来られるときは、地方場所でも、来ています。今日は帰るけど、7日目から千秋楽まで、また見に来ます。今回の騒動は昔からあったものが、噴き出した感じ。6割の人が反対ということでNHKが生中継しないけど、その理屈だと秋場所も九州場所も放送できなくなる。各所のNHKの放送局に街頭テレビのようなものを設けて、見られるような工夫をしてほしい」。

【午前8時】

 当日券販売開始。

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